<第11回・最終審査選出作品>「はじまる日」 著者:江原間

パソコンの画面がふいに薄暗くなった。見上げると、生い茂る樹々の合間から覗いていた太陽に雲が掛かり、東に向かうに従って灰色のグラデーションが増している。そう言えば天気予報で夕方から曇りになると言っていたが、どうやら少し早まったようだ。雨を心配し、出ようと公園の出口へ向かう人の姿も見え始めた。
「3時か」そうつぶやいて、亮二もノートパソコンを仕舞う準備を始めた。
いつものように吉夢庵の蕎麦を食べて帰ろうと立ち上がると、足元にある小さな赤い花に気が付いた。緑に映えた真紅は綺麗だが、花にしては細長い、そう思ってよく見るとそれは小指程の赤い組み紐細工だった。
何気なく拾い上げると、その先には小指大の黒いUSBメモリーが付いていた。一昨日の土曜に来た時には無かったはずだ。ペンを落として拾った記憶があり、その時には気づかなかった。ということは昨日の日曜に落としたものだろうと亮二は考えた。まさか同じような人がいるのだろうか?神代植物公園の中でパソコンを開く人などが...。

亮二が調布に住み始めて5年になる。大学を卒業し、京王線沿線にある広告会社に就職した際、通勤に便利な調布に越して来た。不動産屋が勧めてくれた深大寺と、その参道にある吉夢庵に訪れたのはその翌日のことだ。蕎麦に対してそれほど興味は無かったが、たちまち吉夢庵の虜になった。そして深大寺とそれに隣接する神代植物公園にも。
それからは、雨や冬の日以外は毎週の様に自転車で10分の距離を通っている。亮二がそこまでして通うのは、公園内に置かれた、あるベンチとテーブルが気に入ったからだ。
神代植物公園には三鷹街道に面した大きな正門と、深大寺裏から入る小さな深大寺門の2か所の入口がある。そして深大寺門近くの雑木林の中に、亮二が気に入ったロッジ風の木製ベンチとテーブルがあり、休日にはそこで企画書などを書く仕事をしている。
何が楽しくて休みの日にまで仕事をとも思うが、恋人も無く、趣味もない身としては、致し方ない休日だ。だからこそ「お前が一番ヒマだろう」と言う理由から、昨日は日曜だと言うのにクレーム処理に向かわされた。まあ、翌日に代休を貰えただけ良かったが。
けれど、緑の中で仕事をするのも悪くないと亮二は思う。閉鎖された室内よりも良いアイデアが出そうな気がするし、何となく自分が優雅に仕事をしている気になれる。
調布市には22万人を超える人がいるという。同じように優雅な気持ちで仕事をなんて考える人が他にいてもおかしくないだろう。そう思うと何かしら、USBの落とし主に少し親近感が湧いてきた。さぞや困っているだろうと思った亮二は深大寺門を出る際に、職員に落し物として届け出た。その時、もしかて、ベンチの周りを探しに来るかもしれないと言う考えが頭に浮かび、来た道を戻り出した。
そして雨が降らないことを祈りながら、テーブルに丁寧に畳んだメモを挟んだ。
【USBを拾いました。深大寺門に落とし物として届けてあります】

「ごめんね、付き合わせて」と春奈は片手で拝む仕草を見せた。「まぁ、隣駅だし、どうせヒマだしね」そう言って蕎麦を口に入れた佑香は「でも良かったね、雨にも濡れず、データも壊れてないし」と口を動かしながら、もう何度目か分からない「美味しい」を付け加えた。ここ吉夢庵の蕎麦は青々とした蕎麦の風味を手軽な値段で楽しめるため、子供の頃から調布に住む春奈は、深大寺に来た際は、必ず訪れている。夏でも冬でも盛り蕎麦を注文し、半分は汁で、半分は七味で食べる。日曜も仕事をしに来た植物公園の帰りに寄ったが、夜になってUSBが無いことに気が付いた。公園で落としたに違いないと思ったが、どうしても月曜は職員会議で来られず、たまたま飛び休だった火曜日に探しに来たのだ。
朝一で行こうと準備していると、同じ福祉施設で働く佑香から買い物への誘いの電話があり、事情を話すと「たまには森林浴もいいか」と付き合ってくれることになった。
「電話で問い合わせるか、入口で聞けばすぐだったのにね」蕎麦湯を飲みながら佑香は意味ありげに微笑んだ。確かに電話しておけば深大寺門ですぐに受け取れただろう。あるいは入口で聞けばすぐだったのだが、春奈は何故か、あの雑木林のベンチの下だと思い込み、開門と同時に一目散に向かってしまった。
「でも、そしたら...そのメモ見られなかったしね」そう言って佑香はまた意味ありげな笑みを浮かべた。
USBを拾って届けてくれたと、ノートを千切った2行の伝言。何のことは無い、親切な人からの伝言。文字から男性と思えるが、ただそれだけで、お礼の言いようもない。そう思っていると「さぁ、食べたらさっさと、さっきのベンチに戻るわよ」と佑香はバッグを肩に掛けながら立ち上がった。
「戻るって?」驚きながら尋ねると、「気になるんでしょ!そのメモの字。春奈ってさぁ昔から字の綺麗な人、好きだよねぇー。これも出会いの一つだって」そう言って歩き出した。そして春奈の方へ振り返り「お礼を言いに行くのよ」と手招きした。お礼ってどうやって...。訳の分からないまま佑香の後を追い、緑深まる深大寺門へと再び向かった。

【USBメモリー届けて頂き、ありがとうございました。本当に助かりました】
「で?次に雑木林に行ったら、このメモが挟んであったと...」左手で薄いピンクの付箋を亮二に返しながら、吉永は右手で焼き鳥の串を頬張った。吉永とは営業とデザインと言う違いはあるが同期入社で、ある程度は何でも話せる仲だ。お互い早く仕事が終わり、久しぶりに飲もうかと、会社近くの居酒屋に入った。仕事の話から、いつの間にか最近拾ったUSBの話になり、何となく、その女性が気になることも打ち明けた。
「笑われるかもって言ったけど、俺は笑わないよ」と吉永は言い、焼き鳥の串を振りながら「デザインってさ、その文面も大切だけど、色や大きさ、行間なんかも大事な訳よ」と真面目に語り出した。「文字とか文章ってさ、その人を表すものだよ。文字と文字の間の取り方とか、どこで改行するかとかさ」
確かにそうかもしれない。せっかちな人は文字間が狭いような気がするし...そんな事を思っていると、吉永は「最近じゃインターネットなんかで、顔も知らない相手と出会ったりする時代だぜ、ちょっとレトロだけど、それと同じだよ」と言い、ビールを流し込んだ。別れ際の改札で「上手く誘ってみろよ、連絡先書くとかさ。優秀なデザイナーの俺が言うんだ間違いない!その女性は良い感じだ!」そう言った吉永の言葉に、そんな器用な真似が出来るなら、彼女ぐらいいるって。そう思いながら亮二は少しだけ笑ってみせた。

休憩所のソファーで口を尖らせた佑香が「今平成何年だと思う?」と聞いてきた。
「27年?」横でお弁当の蓋を開けながら答えると、「じゃなくて!」と春奈の足を軽く叩いて佑香はさらに口を尖らせた。彼女の怒る理由、といっても本当に怒っている訳ではなく、春奈を思ってのことだが、それは分かっている。4か月前に始まった週に1度程度の数行のメモの交換。それが遅々として進展を見せない、いや進められない春奈と見えない相手に、じれったさを感じているのだ。
落し物から始まった小さな手紙の行き来。もちろん、どんな人かと想像もするし、遭ってみたいとも思う。だけど、何だか改めて会うのが怖い気もするのだ。単調な生活の中での、小さな楽しみ、それが会えば単調な現実に組み込まれてしまう気がして。

「ある意味、2つの奇跡だな」そう言うと吉永はタバコの煙を吐き出した。「一つは、28になる男が中学生みたく女を誘えないこと」そしてタバコをもみ消し「二つ目はそれだけ通っていて、4か月もベンチで鉢合わせしないってことだ」そうだろと言う顔をして吉永は肩をすくめ喫煙所を出て行った。
確かにそうだなと、我ながら亮二も情けなく思うが、会うのは簡単だ。連絡先を書くなり聞くなりすればいい。彼女が望まないなら、それまでのことで、始まる前に終わっただけだ。けれど、偶然始まった小さな世界を壊さず大切にしたい気持ちが強いのも本当だった。

特に仕事が無い日でも亮二は必ずメモの確認と、置きに行くために公園に通い、吉夢庵にも訪れる。その日は混雑時を避けて昼過ぎに店に入ったが、それでもかなりの盛況で、入口付近に、若い女性二人組の隣が一席空いているだけだった。
「で、今日もこの後メモを置きに行くんでしょ?」そんな言葉が亮二の耳に入ってきた。「うん」そう微笑んだ女性は亮二の見慣れたピンクの付箋をバッグから取り出した。「USB落としたの春だよ、もうすぐ秋だってのに、ホントにもう」ともう一人も微笑んだ。
隣からこちらを見つめる男性を不審に思ったのか、付箋を持った女性が亮二の方に目を向けた。ショートカットの似合う人だな。
そんな事を思いながら亮二はメモ用紙に文字を書き連ねた。いつもより緊張した固い文字になってしまったが、ぎこちなく立ち上がりそして女性に近づき、メモを差し出した。

【初めて直接渡せますね。
はじめまして。でいいのかなあ
塚本亮二と言います】

江原間(東京都調布市/44歳/男性/会社員)

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