<第11回・最終審査選出作品>「キズアトをたどる」 著者: 宮沢 瞬

石垣のある坂を下りながら、ふぅん、とタカシがつぶやいた。感動でも、相づちでもない、乾いたつぶやきだった。
「結構、人がいる。」
そば屋の前の行列に目をとめて、「ここで食う?」と聞く。
「まだ、お腹、すいてない。」
通りがかりの女子高生が、ちらっと振り返りさざめくように笑った。
「~に似てない?」「ね。」
背が高く、浅黒い肌に鋭いまなざし。俳優の誰かに似ているらしく、タカシは時々、周囲の目をひく。不愉快そうなため息をついて、
「似てるって、いやだな。」とタカシは言う。
「かっこいい人に似てるって言われるなら、いいんじゃない。」
「自分を否定されてる気がする。」と、眉をしかめる。
「しかも、あいつ、おっさんじゃん。」
思わず笑った。30前の俳優をおっさんだと言い切る傲慢さは、ある意味、爽快だった。
年齢よりも幼く見える私とは逆に、タカシは大人びている。まだ20歳なのに、25、6歳に見えなくもない。高校の頃から野球を続けていて、筋肉質で体つきがしっかりしていることと、落ち着いた雰囲気のせいだ。父親が不在の家庭環境で育ったことも関係があるのかもしれない。
日差しが強いので、車道沿いから、右手の、木々が生い茂る砂利道に入った。緑の香り。空気が変わる。
「喉、乾いたな。」
「あそこで何か飲もうか。」
古い民家を改装したような、趣のある店の前にビールと書かれた赤い旗がひらめく。
「ところで、誕生日に深大寺に来たいって、なんで?」
「なんでって。」
「バイト代でたばっかだし、もっと派手なとこでもよかったのに。」
「つまらない?」
タカシはぐるりと首をめぐらし、空をあおぐ。
「思ってたより悪くないけど。」
店で、深大寺ビールを二本買った。時代劇にでてくるような長方形の椅子が、水路沿いに並んでいたので座る。手になじむ茶色い瓶は、染みるように冷たかった。
「実はね」どこまで話そうか、そう考えながらビールを一口飲む。
「ここ、思い出の場所なんだ。」
「へぇ。」タカシもビールを口に含む。
「どんな?」
興味もなさそうにたずねられ、ふっとおかしくなり、口が軽くなる。
「ここから、7~8分歩けば実家なの。父も母も、多分、今もそこに住んでる。」
タカシの目が細められ、強さと鋭さを増す。触れたら切れそうなほど、だが、触れてみたいと思わせる危うさのある表情。
あぁ、私は、この表情を知っている。
胸の奥がうずくように痛んだ。
「...んだよ、それ。」
低い声でタカシがつぶやく。
声まで似ている。
私はタカシを見つめる。いや違う。私が見ているのは、タカシの向こう側にいるあの人だ。
...ただいま
私は思い出を引き寄せる。今も、自分も、タカシも、何もかもがどうでもよくなる。
私は、ただ、あなたに逢いたかった。

あの人に初めてあったのは、中学3年生の夏休みだった。当時、母と義父の折り合いが悪く、私は近所の母の実家によく預けられた。
数年前に祖父がなくなり、祖母だけが住む古い平屋の一軒家は、いつも静かだった。気を使う義父もおらず、母の怒鳴り声も聞こえない空間は、唯一の安らぎの場所だった。
ある日、いつものように祖母の家の玄関を開けると、見知らぬ男が立っていた。家を間違えたのではないかと慌てたが、夏の日差しと蝉の声が降り注ぐ廊下は、間違いなく見慣れたものだった。
彼は無言で振り返った。
鋭いまなざしに、射すくめられた。
身動きができなくなった。呼吸すら忘れた。
どれくらいの時間、そうしていたのか。長いような短いような不思議な時間が過ぎた後、祖母が廊下の向こうから現れた。
「あらあら、二人ともお帰り。」
彼は視線をそらし、祖母と入れ違いに、廊下の奥へと歩み去った。戸惑う私に、祖母はいつものように優しく笑った。だが、そこには少しだけ困ったような表情が混じっていた。

彼について、はっきりとは何も教えられなかった。祖母の家を訪ねても、部屋に閉じこもっているのか、外出しているのか、顔を合わせることもなかった。祖母と母は、よく小声で秘密めいた話しをするようになった。好奇心を抑えきれず、私はいつも聞き耳をたてた。内容は、やはり彼のことで、言葉の断片をつなぎ合わせ、一週間もすると大体の事情を察することができた。彼の生い立ちや、なぜ、今、祖母の家に滞在しているのかも。
祖母が友人と出かけて留守の日のことだ。
いつもように合鍵で中に入り、喉が渇いていたのでキッチンに向かった。家の中は静かで、人の気配がなかった。
すっかり油断して、キッチンの扉を開けたら、彼がいた。入り口に背を向ける位置に座り、気だるそうにテーブルに頬杖をついていた。電気もつけず、何をするでもなく、時間の流れが止まってしまったかのように、じっとしていた。
彼は、ゆっくりと振り返った。いつかの鋭いまなざしを思い出し、体がすくんだ。
だが、彼は私を見ると「お帰り」と笑った。
彼の声を聞いたのは初めてだった。思っていたよりずっと耳に心地よい低い声で、私はうつむいて「どうも」とつぶやいた。早足に彼の横を通り過ぎ冷蔵庫を開ける。麦茶のポットを取り出す指先が震えた。顔が熱くてたまらなかった。きっと真っ赤だ。夏の暑さのせいだと思ってくれるようにと、願った。
麦茶をグラスに注いでいると「あ、ついでに俺の分も」と頼まれた。昔からの知り合いに話しかけるような、気さくな言い方だった。テーブルにグラスを置くと、今度は「座りなよ。」と前を指さした。
採光の少ないキッチンは薄暗く、どこか夢の中のようなおぼつかなさがあった。
向かい合っても、顔をあげられず、浅黒い肌と脱色された茶色の髪をそっと盗み見た。猫背がちで、全体に投げやりな雰囲気。余り周囲にはいないタイプだったし、外であったら、かかわり合いになろうとは思わないだろう。だけど、彼の微笑みはとても優しげだった。私の心臓は不自然に震えた。
「あのさ。」彼が言う。「俺のこと嫌いでしょ?」
予想外の台詞だった。答えようもなく黙っていると、「ま、人に好かれたことなんかないから、いいんだけどね。」
と、勝手に皮肉めいた言葉を続ける。
「いいえ。」なんだか腹が立ったので、きっぱりと首を振った。「嫌いじゃない、です。」
しばらくの沈黙のあと、
「深大寺、行こうよ。」
彼は唐突に立ち上がった。ぐずぐずと迷っていると、腕を強くひっぱられた。掌が触れた場所に、痛みにも似た熱さがはしった。

誘ったのは、どっちだったのか。
覚えていない。でも、多分、私だったと思う。
私は彼と二人の時間を望んだし、そうなるように仕組んだ。彼も私も、自暴自棄で投げやりだった。でも、それだけじゃなかったと、私は信じている。

「俺が誰か知ってる?」
夏の終わり、山門付近の遊歩道を歩きながら、彼が聞いた。私がうなずくと、彼は、ほっとしたような、悲しいような、複雑な顔をした。
「おばあちゃんの初めての子供なんでしょ。」
わざと軽く言ってみせる。
「そ。つまり、お前のお母さんの異父兄弟。」
彼も軽く返す。会話がふっと途切れた。これ以上、踏み込めない話題だった。
「この年になってさ、最後の最後にあいたいのが、母親って笑えるよな。」
彼は、来年で37になるという。...もし、誕生日をむかえられるなら。
数歩先の彼の背中は、病魔に蝕まれ、日に日に痩せ衰えていた。
もし私が最後に誰かに逢うなら、彼がいい。叶わないと知りながら願った。少なくとも親には逢いたくない。
母は、義父との関係を修復しつつあった。私にあんなひどいことをした男を、許そうとしていた。母も義父も絶望的に憎い。それでも、私は一つだけ義父に感謝している。義父が私の無知と無垢を引き裂いたことで、新しい自分が生まれたからだ。以前の私なら、彼に近づく勇気はなかっただろう。
遅れて歩く私を、彼が振り返った。鋭く澄んだ目に、とらえられる。私は駆け寄った。

結局、彼は次の誕生日をむかえることはなかった。それと同時に、私は家を飛び出した。
苦しみと喜びを繰り返し、気づけば20年以上が過ぎ去り、私は彼と同じ年になった。

「母さん」と、呼びかけられ我に返る。彼の幻はどこかに消え、目の前にはタカシがいた。
「曇ってきたし、そば食って帰ろう。」
「母さんの実家には、興味ない?」
少し考えてから「ないよ。」と、タカシは立ち上がり歩き出す。その背中は、真っ直ぐで力強い。思わず、笑いと涙が同時にこぼれた。


宮沢瞬(東京都)

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