<第9回公募・選外作品紹介>「深大寺界隈を歩いたら」 著者:中村 小鳥音

三鷹通りから深大寺通りに入ったすぐ左にあるそば屋、「多田」でアルバイトを始めてからもうすぐ三カ月になる。注文を取って、そばを運ぶ。それが美紀の主な仕事だ。毎朝八時に自転車でここまで来る。帰りは四時。
気楽な一人暮らしだから、遅番の手伝いをたのまれることもある。今年三十九になるまで、そば屋で働いた経験はないが、にぎやかな調布にあって趣あるこの一角で毎日を過ごせるのならと思ってこの仕事に決めた。店の人はみな親切で、そばもおいしい。
「美紀ちゃん、おつかれさま。」
送り出してくれるおかみさんに軽く会釈して店を出る。このまままっすぐ帰ってもいいのだが、今日は少し深大寺まで、ぐるりと回って帰ることにする。
昭和初期のような雰囲気の通りは緑が豊かでほっとする。美紀はゆっくりここを歩くのが好きだった。
一年前は自分がここで働くようになるなんて考えもしなかった。美紀は歩きながら別れた夫とのことを思い出す。生真面目な人だった。ブランド志向でプライドが高く、なんでもお金で解決できると思いこんでいる人。かわいいところもあったけど、計算高さがいつも鼻についた。夫の浮気は離婚のきっかけではあったが、美紀は自分の心がもうずっと前から違和感を感じていたことを知っていた。
「でも・・・自分もあの人と似てたんだよね・・・」
自分を戒め、それをふっきるように呟いてみる。もう、すべて終わったことだ。別れてから慰謝料として受け取った住まいや調度品はすべて売り払った。なにもかも処分して、新しい自分に生まれ変わりたかった。夫と結婚していた五年間は、今思うと変に背伸びした、空っぽなものだったような気がする。裕福で、たいがいのものは手に入る、高層マンションでの暮らし。満ちたりているはずなのに、いつも自分はなにかを間違えているような気がしていた。
 今の生活は美紀を生き生きさせてくれる。毎日の小さな積み重ねが、やがてなにかに結びつくような気持ちがしてくる。自分はこうだと主張する必要はない。ブログやツイッターで、話題のレストランでの食事や、新作のワンピースの写真をアップしなくても、自分はただ、ここに存在するのだと今の美紀は思えた。それはとても静かで、穏やかな感覚だった。池の水面はそんな美紀の気持ちを実際にしたようだといつも思った。

体を動かすのが心地いい。労働は心をシンプルに、健常にしてくれる。美紀は朝の掃除を楽しみにしている。自分を受け入れてくれたこの店が愛おしい。すみずみまで磨き上げてやりたくなる。
出しの甘い香りが漂う中、ふき掃除をしていると電話が鳴る。
二つ鳴ったところで美紀は受話器をとった。
「長野の宇津井です。」
何度か電話で話したことのある、取引業者だった。多田の人気メニュー、「野草のてんぷら」で使う野草を、週に二度、長野から送ってくる農家の男だ。発送してから内容を電話で伝えてくるのが常だった。
顔を見たことはないが、たぶん歳は美紀とあまり変わらないところだろう。たいがい後ろで重機の音がして、そのせいか少し大きめの声で、ゆっくりと話す男だ。不思議といつも笑顔で話しているように感じる。今回送った野草はとくに鮮度が落ちやすいから、扱いに注意してくれとのことだった。
今日はまだ時間も早い。美紀はいつも疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「野草というからには、養殖ではなく、山で取ってくるものなのかしら」
宇津井は一瞬おいて笑いだした。
「それは栽培っていうんだ。養殖じゃないよ。
野草は、そう、野草って言ってもタラの芽やふきのとうだから栽培してるものが多いかな。時期によっては自分のところの山で地物を取りに行ったりしますよ。」
美紀は少し恥ずかしさを隠すため「あら」と言った。ブランドバッグの製造工程なら大抵把握しているのに、一般的なことに無関心だった自分が情けない。
そして山で野草を取る男を想像する。なんだかとってもたくましいクマのような男。きっと手も大きくて、陽に焼けてチョコレートのような色をしているのかもしれない。
宇津井はじゃあ宜しくとまだ笑いを含んだ声で言って、電話を切った。

 美紀の他に、アルバイトはみな学生だった。大学生の男の子が二人と、女の子が一人。3人とも線が細くて、小さな声でさざ波のようにやさしく話す。それに美紀に「若いですね」とか「きれいですね」とか、御世辞まで言ったりする。自分の居場所を少しでも居心地良く、快適にしようという根回しのように感じるが、そういう考えは嫌いじゃない。きっと今の学生たちの世界は、一昔前よりもずっとシビアで精巧にできているんじゃないかと、彼らを見て思う。未熟さや、至らなさまでもが情報によってマニュアル化され、それを読み違えないように細心の注意を払っている。
 男の子は佐々木君と山野君といった。二人とも眼鏡をかけている。佐々木君はチェックのシャツが好きみたいだった。山野君はちょっと暑いとすぐ半袖になってしまう。女の子はケイちゃんといった。ケイちゃんはおそばが食べられない。

また一日が終わった。体を動かすと、無理しなくてもベッドに入るとすぐに眠れる。心地いい眠気だ。後は目が覚めるのを待つだけ。
その日、美紀は長野の男の夢を見た。男はやはりクマのように体格がよく、チョコレートのように陽に焼けていた。その手に触れてみると、熱があるときのように温かくて、大きいのだった。

だから次の日、また宇津井からの電話を取った時はどきっとした。宇津井は仕事の要件を述べたあと、珍しく一呼吸置き、
「深大寺というんですよね、多田さんのお店があるところのお寺は。」
と、尋ねた。
「いや、知り合いがね、そちらに行ったことがあるっていうもんで。聞いたんですよ。東京の喧騒から離れた、趣あるきれいなところだって、言ってましたよ。」
美紀は事情を聞くとほっと息をついた。そして、宇津井が深大寺に来たことがないのを残念に思った。
「深大寺界隈は、緑がたくさんあって、建物も昔ながらの作りで、お寺まで行くと池があって、散策していると時間を忘れてしまうくらい、静かでのどかなところで・・・なんていうか、昔からここに住む人たちが大切に大切にしてきた場所って感じがするんです。だからきっと、優しくて、癒される気がするんだと思う。そんなところなんです。」
宇津井にこの深大寺界隈を知ってもらいたい。
美紀の大好きなこの場所を、宇津井に見せてあげられたら、と思うと気がはやった。
「でも、よく考えたら、長野のほうが緑や自然は多いですよね。お寺や神社だって、長野には有名なところがたくさんあるし。」
落ち着いて考えて、美紀は言った。長野に住む宇津井にとっては珍しいものではないかもしれない。
「ええ、長野にももちろんパワースポットはたくさんありますけど、深大寺は特別なところでしょう。あの、縁結びの伝説がある。」
深大寺縁起に伝わる、豪族の娘と福満という男の恋物語だ。仲を裂かれた豪族の娘に会いたいという福満の願いを聞き入れ、深沙大王の化身の霊亀が彼を背にのせ、逢瀬を叶えたという伝説。
まさか、宇津井のようにクマのような男が(見たことはないのだが)あの伝説を知っているとは思わす、美紀は驚く。勝手な想像に似合わず、ロマンチストなのかもしれない。
「こうして多田さんとお取引があるのもなにかのご縁、ぜひ一度行ってみたいと思っていたんです。
あなたの話を聞いたら、ますます行ってみたくなりました。今は忙しくて抜けられないけれど、落ち着いたらご挨拶にうかがいます。」
そう言って、宇津井は電話を切った。
ゆっくりと受話器を置く美紀を、ケイちゃんがほほ笑んで見ている。美紀は慌てて微笑み返し、からかうような視線をとぼけたふりをして受け流した。

伝説に出てくる豪族の娘は、福満が訪れるのを信じていたのだろうか。深沙大王さえも動かす、福満の情熱とはどれほどのものだったのだろう。
ケイちゃんたち学生ばかりではない。自分だって同じだと美紀は考える。ネットやSNSが悪いわけではないけれど、その仲間内で優位に立つために、また、自分だけ浮いてしまわないように、何か大きくて得体のしれないものに作られた「幸せ」という形に自分をなんとかはめ込もうとしていた。そんな生活にどっぷりと浸かった結果、自分自身の情熱を、見失っていたような気がする。自分で選ぶこと、自分で欲することを。

仕事を終え、美紀は今日も深大寺を回って帰る。
池の前で遠い古に思いをはせ、励まされたように感じる。娘がここで福満を待ったように、自分は宇津井を待ってみよう。
ここに宇津井が訪れ、二人でこの深大寺界隈を歩けたら、また新しい情熱が生まれるかもしれないと、美紀は思う。

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<著者紹介>
中村 小鳥音(長野県上田市/39歳/女性/主婦)

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