<第9回公募・選外作品紹介>「なんじゃもんじゃ」 著者:成田 信織

 深大寺の境内になんじゃもんじゃの木がある。この名前を聞くたびに、僕にはよみがえってくる懐かしい思い出がある。
 中学校から中高一貫教育の学校に通い始めた僕は、京王線を使って通学していた。柊子に気づいたのは電車通学を始めてまだ間もないころで、明大前まで行く僕は車両の中ほどに、つつじヶ丘で降りる柊子はドアの近くに立っていた。
 六年間、同じ時間の同じ車両を使い続ける生徒はそう多くはないだろう。でも、僕は始業のきっちり二十分前に学校に着くこの電車に乗り続けた。僕は融通のきかない、目立たない生徒だった。毎日同じ時間に家を出て、同じ電車に乗り、律儀に学校に通っていた。
柊子にも、几帳面なところがあったのだろう。やはり六年間同じ電車を使い続けた。
 一言も交わさないまま同じ車両の同じ扉付近に乗り合わせる日々に変化が起きたのは、中学三年の初夏のことだ。野球部員の数が足りなくて都大会に出場できないからと助っ人に駆り出された僕は、朝練のため一か月以上もこの電車に乗ることができなかった。地味で目立たない僕だが、どういうわけか運動神経だけは良かったのだ。試合に負けた翌朝、電車に乗ってきた柊子は、僕を見つけておや?というような表情を見せ、近づいてきた。
 「どうしたの? 南の島にでも行ってた?」
 何の前触れもなく、柊子はそう聞いた。後から知ったことだが、僕がこの電車に乗らなくなったわけを柊子なりにいろいろ考えていたらしい。最初は病気にでもなったかと思ったそうだが、真っ黒に日焼けした僕を見て、考えを変えたのだろう。理由を説明すると、柊子は「らしくないことするのね」と白い歯を見せていつもの定位置に戻っていった。
 この日を境に僕の心の中での柊子の存在は大きく変わった。
 この時の会話を、その後、何度僕は思い返したことだろう。想像の中の僕は何十通りもの気の利いた言葉を吐き、柊子を笑わせた。だが現実には、僕はまだ自分の名前も告げず、柊子という名前も知らないままだった。それでも、柊子が僕のことを気に留めていてくれたと知ったことは僕の胸を熱くさせた。思い返す度に喜びと切なさが胸を締め付けた。 
 短い会話は大きな進展にはつながらなかったが、二人の関係をわずかに近づけた。東府中から乗りこんでくると、柊子は視線を僕に向け、かすかに顎を上げる。それが柊子の挨拶だ。僕は僕で見えるか見えないかくらいに頷き返す。ごくまれに柊子の気が向けば、近づいて話しかけてくることもあった。それは、自宅から駅に向かう道で獰猛なカラスに襲われかけたとか、行き合った小学生のランドセルが珍しい色だったとか、本当にたわいのない事だった。僕は、ぼそぼそと答え、そのあとで、状況を反芻しては気の利いた返事を幾つも思いついた。
 同級生の村岡大吾が同じ電車に乗ってきたのは、高校に入学してから間もなくのことだ。
 大吾とは中学でも二年間同じクラスだった。活動的なグループに属していた彼と僕との間には接点はなかったのに、僕を見つけると、親しげに声をかけてきた。そして、それ以来同じ電車を使うようになった。聖蹟桜ヶ丘から僕、府中から大吾、そして、東府中から柊子が乗る。柊子は、僕が僕らになっても、いつものように軽い挨拶を続けた。
 「あの東府中から乗ってくる子、お前とどういう関係?」
 一緒に通学するようになって間もなく大吾はそう尋ねた。関係という言葉に少したじろいで口を濁したが、大吾はしつこく訊いてきた。僕は仕方なく、これまでのことを話した。
 「お前ら、三年も同じ電車に乗り合わせていて、そんな関係? おかしいんじゃねえ?」
 大吾はそう言って目を丸くした。あんなにかわいい女の子に声をかけられて何もしないなんてと大吾は言った。言われてみれば、柊子はずいぶん美しくなっていた。毎日見ていると変化には気づきにくいが、子供っぽさが抜け、顔立ちがすっきりと整ってきていた。
翌日、大吾は僕を引きずるように入り口まで連れて行き、柊子に声をかけた。相手にされる筈がないと思っていたのに柊子は笑顔で答えた。こうして、三人での通学が始まった。
 大吾は軽いやつだが、バカではなかった。僕よりも世界が広く、話題が豊富だったので、僕たちは結構楽しく一緒の時間を過ごしていた。ほとんどの場合、会話は柊子と大吾の間で行われ、僕は頷くばかりだったけれど。
 深大寺に行こうという話になったのは、その年の秋のことだった。テレビで紹介番組があったのだが、柊子の学校からは近いのに行ったことがないという話になり、大吾がそれなら三人で行こうと言い出したのだ。
 十一月の日曜日、調布の駅で待ち合わせることになった。そこからバスが出ているのだ。
 当日になって、僕は急に怖気づいた。柊子は大吾と二人だけで行きたがっているのではないかと心配になってきたのだ。僕の顔を見たとたんにがっかりする柊子の顔が目に浮かんだ。楽しく語り合う二人の後ろをぽつんとついて行く自分の姿も容易に想像できた。僕は大吾に連絡をして、風邪を引いたから行けないと伝えた。
 翌朝の電車で二人は楽しそうに深大寺の話をした。参道の紅葉がことのほか美しく、思ったより人出が多かったこと、名物のそばを食べようとしたが、高校生には少し高かったので、早めに引き上げて調布のマクドナルドで遅い昼食にしたことなどを僕に報告した。深大寺そばは名物で絶対おいしいというから、今度は一緒に食べようねと柊子が言った。
 黙って聞いていたけれど、二人が話さないことを、実は僕は知っていた。家でうじうじと二人の姿を想像しているうちに、やっぱり我慢できなくなって、深大寺まで二人を追いかけていったのだ。薬を飲んだら調子が良くなったと言い訳をするつもりだった。
 遅れたのは一時間ほどだっただろうか。本堂の前で二人を見つけた。柊子は読み終わったおみくじを細長く折っていた。大吾がそれを取り上げると、怒ったふりをして大吾を追いかけ、横にある木の前でそれを取り合った。まるで恋人同士がじゃれあっているような様子に、僕は声をかける勇気が出なくて、そのままその場を去った。敗北感が胸を浸した。
 三人での通学はその後もしばらく続いたが、僕の中では何かが変わってしまった。しゃべらないのは相変わらずだったが、それまでの満足感に満ちた沈黙は僕の喉元で冷たい塊になり、素直に出せていた笑顔が欺瞞でしかなくなった。それでも、僕は暗い心を抱えたまま、同じ電車に乗り続けていた。
 ある日大吾がこの電車に乗ってこなかった。休みかと思ったが学校に行ったらすでに教室にいた。それ以来、理由も言わずに大吾はこの電車に乗るのをやめた。何故か僕は、柊子と大吾が本格的に付き合い始めたのだろうと思い込んだ。
 大吾が乗らなくなって暫くは一緒に入り口近くに立っていたが、やがて、いつの間にか元の二人の定位置に戻っていった。二人だけでは話が弾まず、沈黙を抱えて並んでいる時間は重く長いものだったから。僕たちの関係はまた中学時代に戻った。あるかないかの会釈を交わし、知らない者同士のように離れて立つ。中学時代と違うのは、柊子から話しかけてくることがなくなったということだった。
 「俺は、人の女には手を出さないの。そういう主義だから」
 大吾が、柊子がどうしているかと僕に尋ねてきたのはそれから一月ほどたったころだっただろうか。びっくりして聞き返すと、大吾はそう謎めいた言葉を残した。だが、大吾が何を言わんとしているのか、その時の僕にはわからなかった。僕は黙って電車に乗りつづけ、柊子への持っていきようのない思慕を心の中に閉じ込めていた。
 そのまま時は瞬く間に過ぎて、卒業の年を迎えた。高三の三学期は短い。二月に入ると、受験に備えて自宅学習になるからだ。僕の通学生活もそろそろ終わろうとしていた。
 「深大寺に行かない?」
 電車の中で柊子が声をかけてきたのは一月のよく晴れた朝だった。僕はそれまで六年間皆勤を続けていて、あと少しで卒業式の壇上で表彰されることになっていた。でも、どうして僕にその誘いを断ることができただろうか? 僕らは調布で電車を降り、バスに乗った。
 冬の深大寺は朝が早いこともあって静かだった。参道の木々は葉を落としている。秋の賑やかさとはまた違う、寺院らしい静けさと落ち着きを感じさせた。柊子は勝手知ったる様子で山門をくぐって歩いて行き、本堂の横にある裸木の前で足を止めた。大吾とおみくじを取り合っていた、あの木だ。
 「これね、なんじゃもんじゃの木っていうの。煮え切らない感じが誰かさんみたい。なんじゃもんじゃ、なんじゃもんじゃ...」
 うたうようにそう言って、柊子は僕を見た。
 「なんであの日来なかったの? ここは縁結びのお寺なんだよ。だから柊子も来たのに」
 柊子の言葉の意味を探りながら、僕は青空に腕を広げているその木を見上げた。
 「告白なんてできない人だってわかってる。だから、代わりにこの木に答えてもらう。誰かさんが柊子を好きなら、柊子が『なんじゃ』って言ったら『もんじゃ』って答えてくれるはず...」
 そう言って、柊子は僕に背を向けて木に近づいて行った。そして、幹に唇を近づけると小さな声でささやいた。
 「なんじゃ?」
破裂しそうなほど高鳴る胸の鼓動とともに、僕の喉元で答えが大きく膨らんだ。

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<著者紹介>
成田 信織(神奈川県川崎市/56歳/女性/講師)

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