<第9回公募・選外作品紹介>「もう少し終わらない」 著者:真弓 史郎

 吉祥寺マルイ前のバス停でふたり並ぶと、一か月ぶりに会う彼女が一回り小さくなったような気がした。彼女が就職して、丸二か月。お節介な連中の「学生と社会人の組み合わせはねえ......」などという言い草に、へらへら笑えていた頃がずいぶん昔みたいだった。
「今日は誘ってくれて、ありがとね」
 僕は曖昧に頷き、見たくもない空を仰ぐ。ついで「痩せたんじゃない?」と投げると、脇よりただ口角を上げられるのだった。
「けっこう遠いんだっけ?」
「こっから三十分ぐらい」
「吉祥寺の大学に四年も通ったのに、深大寺はとうとう行かなかったもんなあ」
「俺はあと二年近くモラトリアムだけど」
 僕が語尾を伸ばしても、彼女はもう笑わない。耳にかかる黒髪で卵形の輪郭をぼかし、長い睫毛ばかり際立たせた。小田急バスの運行間隔が、思いのほか長かった。
          *
「あたし、きみたちの歌が好きみたい」
 そんなふうに声をかけられたのが去年の九月だった。僕が二年で、彼女は四年だった。
 僕はその日も大学の授業を抜け出し、井の頭公園で数少ない友人とラブソングを歌っていた。プロになりたいなんていう野望は露ほどもなく、ただ大声を張り上げていれば楽しい頃だった。
「曲がいっぱい書けるといいんですけど。あんまりないんですよ、オリジナル」
「今日はもうおしまい? もう一曲ぐらい聴いてみたいなあ」
 僕は相棒と顔を見合わせ、「じゃあ、なんかカバー?」なんて、アコースティックギターの側板を拳骨で小突いた。
「何かリクエスト、あります?」
 彼女は顎に右手を乗せ、傾きながら数秒考えるふりを装う、ふう。
「ま、言われても、できませんけどね」
 僕がそう継ぐと、彼女はおかしそうに頬を膨らませた。
 結局、僕と友人はビートルズの「レット・イット・ビー」に即興で日本語詞を乗せ、カバーならぬ替え歌にしてしまった。サビ部分のみ「なるようにー、なるさ」なんてまとめると、歌いながらまんざら悪くない気さえしてくるのだった。
 彼女は曲のリズムに合わせ、遠慮がちに撫で肩を揺らしていた。その背景の空色が、絵の具を薄めたような淡さで、ずいぶん向こうに貼りついていた。
          *
 辿り着いた終点が「深大寺」だった。僕は高地の空気をうやうやしく吸い込み、目線を背景から目下の恋人に戻した。
「ふうん」とおちょぼ口を尖らす彼女は、周囲に散る年配者になど目もくれない。右も左もわからぬくせに、僕に添わず歩いていた。
「おそばが有名なんだっけ?」
 僕は「らしいね」と返し、「らしい?」とまた返される。門前に連なるそば屋を物色するうち、彼女にすっかり先導されていた。
「ラーメン、好きだったよね?」
「今も好きだよ」
 言いながら、僕は甘えているのだとも思う。「そして、そばも嫌いじゃない」
「まあまあ、好きかもしれない?」
「好きかも的な?」
 僕がおどけると、彼女はあらぬ方角を見て吹き出す。
「コウのいいトコだね、そういうの」
「名前呼ばれたの、久々かも」
 彼女の右肩が上がってから緩むのを、僕は有り体に流してやった。
「あたし、まだお腹空かない」
「いいんじゃない」
「何が?」
「どっちが、どっちでも」
「コウの悪いトコだね、そういうの」
 薄手のカーディガンに象られる肩が、勢い僕に斜めを向いた。
 そのまま奥の本道へ進み、二人して砂利を踏んだ。賽銭箱の前に並び立ち、僕はひとまず手を合わせた後、左隣の長い祈りを見守った。
 後方へ下がるなり、二百円のおみくじを引き、「吉」ともらう。神曰く、「人を許し、自戒すること」。その紙を陽光にかざすと、目が壊滅的にやられそうだった。
「そっちはどう?」
「あたしのはけっこう悪くないっぽい」
 彼女は自分のおみくじを早々に木の枝に結びつけ、やおら右手で庇を作って上向くのだった。
「そうそう、深大寺は縁結びでも有名なんでしょ」
 僕は「らしいね」の代わりに、「知ってる」と返した。
「あたしたちの場合、どうなんだろう?」
「どうって?」
「〝縁結び〟って枠に、該当すんのかなあって」
 僕は「どっちでも」の代わりに、「そりゃあねえ」などと濁してみた。
「あたしたちってさあ――」
 鋭角になった彼女の両目が、広すぎる中空を泳いでいた。
          *
 彼女が就職するまでの半年間、僕らは毎日のように会っていた。彼女は彼女で卒業単位をほぼ取り終えていたので、僕らの足は揃って大学のキャンパスから遠のくこととなった。
 井の頭公園を挟んで互いのアパートを行き来し、気がつくとしょっちゅう日付を跨いでいた。
「コウは何がしたいとかってあるの?」
 何度「ない」と答えても、決まって寝起きの朝に彼女からそう聞かれた。
「そりゃあ、全くないことはないけどさあ」
「ないことも、なくもない?」
 僕は彼女の淹れてくれるコーヒーが好きだった。彼女の部屋のキッチン脇には、常にコーヒー豆が二袋ずつ五、六種類並んでいた。
「でも、俺、思うんだけどさ」
 寝覚めさえ良ければ、会話にしてやらなくもなかった。「ハタチそこらでさ、〝やりたいことはこれです〟なんて決めちゃってるほうが怖い気するんだけど」
 聞き手はたいてい笑わない。
「コウは評論家なの?」
 そうして僕は中腰で卓上を小突かれ、口ごと噤まされた。浄水機能付きのコーヒーメーカーから、ほろ苦い香りが漫然と漂っていた。
「偏屈な表現者のほうが全然カッコいいよ」
 彼女は耳にかかる黒髪を左手で掬い、白い頬とのコントラストを存分にきかせた。
 僕はマグカップに注がれる泥色の液体を眺めていた。新しい曲が作りたかった。
          *
「あたしたちってさあ――」
 彼女は僕の背中を柔な両手でしっかりためてから押した。僕は両足を踏ん張ることなく、そのまま二歩三歩と投げ出されてやった。
「ねえ、もうちょっと一緒に歩いてもらっていい?」
 そんなふうに零され、素直に喜ぶ自分が滑稽だったが、同時にそんな自分も嫌いじゃなかった。
 促されるまま本堂脇の坂道を上りきり、神代植物公園へと辿った。入園料の五百円を払うと、僕の二つ折り財布にはもう千円札が一枚しか残らなかった。
 雑木林に潜り、芝生広場へ抜け、簡易な売店で水を買う。空気が向こうの向こうまで澄んでいた。木のベンチに並んでかけると、そろそろ肝心なことを話さなければならない気がした。
「会社って楽しい?」
「楽しくはない」
「会社で働くのって大変?」
「やっぱりバイトとは違うよ」
 僕は空を見ながら質問した。彼女の顔など、見なくてもわかる気がしたし、見なければわからない気もした。どうでもいいことと肝心なことが、乖離しつつ密着していた。
「そっちから見ると、俺はまだガキかなあ」
 照れ隠しに上げた語尾を上げきらぬうち、隣から「そうね」ともらう。目線を一瞬下げると、スキニージーンズの膝小僧が今さらこちら向きになった。
「俺、回りくどいの、ヤだからさ。たぶん、もうダメなんだろうなっていうのもわかってんの。けど、フェードアウトみたいなのは、やっぱ寂しい気がしちゃうんだよね」
 僕は彼女の横顔を覗き込んだ。ただ、一拍。その鼻柱に陽光が絡む角度が潔かった。
「ねえ、新しい曲は書いてないの?」
 代わって彼女が上空を仰いだ。
「最近はけっこう書けてる。へこんでる時のほうが、創作の神が降りてくるっていうか――」
 僕は僕で、飛行機雲でも見つけたいと思いつつ。「ギター持ってくればよかったな」
「ここに?」
「うん、ここに」
 突然彼女に向き直られ、カーゴパンツの腿を「よし」などと叩かれた。僕はその乾いた音が水平な芝生に収斂するのを待っていた。
「あたしたち、っていうかさあ――」
 彼女はそんなふうに始める。「――まあ、あたしなんだけどね。けっこう諦め悪いんだよ。あっさりしてるふうに見られるんだけど」
 彼女はすでに腰を上げ、僕は「それって――」以降を継げぬまま固まる。恋人の小さなお尻が、僕から距離を取っていた。
「さあ、おそば、おそば」
 向こうむきの彼女の声が、それでもくっきりと通っていた。たぶん気のせいでなく、僕に伝えようとする響きがあった。 

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<著者紹介>
真弓 史郎(東京都練馬区/42歳/男性/会社員)

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