<第9回公募・選外作品紹介>「花言葉」 著者:コカネサン

武蔵野の面影が残るこの植物公園に来たのは、これで二回目だ。初めて来たのは、たしか学生最後の秋だった。
シクラメンの花さえ知らなかった僕が、当時つき合っていた彼女にせがまれて、まだカーナビもついていなかった車で来た記憶がある。
「へえ、その彼女も花の名前だったんだ」
芝生の広場で、男の子の投げたフリスビーを目で追いながら、ユリが言った。
「そう、きっと花に縁があるんだよね」
「その割には全く興味ないじゃない。あーあ、花に詳しい人は教養が深いそうだけど...」
「まあ、無教養が僕のチャームポイントだから」
いつものたわいない言い合いを楽しみながら、五月の花々と穏やかな日曜日の日差しに包まれ、僕らは遊歩道を歩いていた。桜の木の下の若いカップルは、彼女の膝枕でうたたねを始めたみたいだ。
来月にひかえた結婚式のため、準備や打ち合わせでこのところずっと忙しく、春の花が終わる前に必ず連れて行くとの約束をやっと果たせた久しぶりのデートだった。
「彼女と最後に来た場所がここだったんだ...」
見覚えのある風景を眺めていたら、小さなトゲのささった痛みのような記憶がよみがえってきて、つい昔の話が口をついてきた。
「へー、どうして別れたの?」
ユリに聞かれて、僕は答えに窮した。別に恥ずかしいとか、ユリの機嫌を考えたとかじゃなく、本当にどうしてだったのか、僕自身にもよくわからなかったからだ。
「何でだったんだろうね、本当に」
「何それ?」
ふと僕は、ユリに聞いてみたくなった。女性として、彼女がどう思ってたのか、もしわかるなら教えてほしいと。
昔の恋人との思い出なんて、デートに最もふさわしくない話題だとわかっていながら、そんなことでケンカするほど僕らは若くもなく、ユリもちょっとしたミステリーを楽しむみたいに尋ねてきたので、僕は少しせつない思いに浸りながら、さくらのことを話し始めたんだ。
「よくある友達の友達ってパターン。僕の大学の学祭に遊びに来て、打ち上げに参加して、そこからつき合いが始まって、大学時代ずっと一緒だった。感情豊かで素直なんだけど、考え方はすごく冷静で、でも変に思い切りのいいところもあったりして...」
「へー例えば?」
「食事に行って何を食べるか迷うと、次の客が男ならパスタ、女ならドリアとか決めて、実際そのとおりにする、みたいな」
「へー」
「『迷う時間も無駄だし、運命は決まってて、踏ん切るきっかけが必要なだけ』っていうのが、彼女の口癖だった」
父親が地方の小さな会社の社長で、ちょっと育ちのいいお嬢さん的な感じがあった。花とアンドレ・ギャニオンとクロワッサンが好きで、グリーンピースと人ごみが嫌いだった。出逢った翌日に彼女から電話があって、翌々日には初めてのデートをしていた。
僕らはよく、中古のシトロエンで校外へドライブに出かけ、帰りに八王子の彼女の部屋に寄り、留守番をしていた猫とじゃれ合って遊んだ。
そう、僕らはケンカ一つしなかったんだ。
「卒業の年、僕は今の研究室に入ることが決まってたし、彼女も都内の出版社に就職が内定してた。お父さんの会社でちょっとゴタゴタがあったようで、彼女も何回か実家に帰っていたけど、深刻な状況だとは聞いてなかった」
「まあ順調だね、確かに」
「ここで最後に会った後、彼女に連絡がつかなくなって、翌月にはマンションも引き払ってた。友達に聞いたら、大学も辞めて、実家に帰ってお父さんの会社を手伝うことになったとか」
「じゃあ、帰った理由はわかってるじゃない? 家業を手伝うためでしょ?」
そう、わかってはいたさ。でもどうして、それが僕と別れることになるのか、わからない。遠距離だってつき合えるし、先々結婚して僕が会社を継ぐって選択肢だって、ない訳じゃない。
「実家の方に連絡は?」
「してない、できなかった」
「どうして?」
「だって彼女が決めたことだろうし、理由はよくわからないけど、結局僕は選ばれなかったってことだろうから、納得するしかない」
「それでよかったんだ?」
「よくはなかったけど...、しょうがない」

日が少し陰ってきて、人影もまばらになってきた頃、僕はふとあるシーンを思い出した。
「そうだ、ここだ、この場所で彼女に聞かれたんだ」
「聞かれたって何を?」
「『どっちの花を選ぶ』って聞かれた。確かこの花壇に真っ赤な花が咲いていて、さっきの道の脇には、白にピンクが混じってる花があった」
僕の指さす先に花はなく、まっさらな土に「サルビア」のプレートが立ててあった。そして来た道を少し戻ると、そこには多年草らしき草があり、「ホトトギス」というプレートがあった。
「花言葉なんて、もちろん知らないよね」
「花言葉があるのは知ってるけど、どの花がどんな意味なんて、全く知らない」
「たぶん、赤い花の方がサルビア、昔の歌の名前にもあったよね、花言葉は『家族愛』。それから白とピンクの方はホトトギス、鳥じゃなくてユリ科の花、花言葉は『永遠にあなたのもの』...」
僕は両方の花を頭に思い浮かべながら、あの時のさくらのちょっとさみしそうな横顔を思い出していた。
「つまり、家族と僕と、どっちを取るかってこと?」
「さあ、わかんないけどね、真実は彼女に聞かないと...。それであなたはどっちを選んだの?」
「...赤い花、サルビア...」
あの時僕は単純に、華やかで目を惹くという理由で、赤い花を選んだんだ。そして、さくらは僕の元を離れた。もしあの時ホトトギスを選んでたら、彼女は僕と別れなかったってこと?
「そっか、でもそういう運命だったってことだよね、つまり」
「ふうん、納得できたんだ?」

すっかり日が落ちて少し肌寒くなってきたので、僕らは植物公園を後にして、すぐ近くの古いお寺へ足をのばし、少し早い夕飯に名物の蕎麦を食べることにした。おいしい蕎麦を堪能し、食後の抹茶アイスを食べていたら、ユリが聞いてきた。
「じゃあ私も質問していいかな?」
「うん? 何を?」
「プリムラとキショウブなら、どっちを選ぶ?」
「えー、それまた花言葉なの? それで、選んだ花言葉によって、僕らも何か変わる訳?」
「だって、運命でしょ? 選択したのが運命なら従わなきゃね」
実はユリは腹を立ててるのかも。そりゃ確かに、昔の彼女の感傷的な話なんか聞きたい訳がない。ここは絶対外せないぞ、と僕は身を固くした。
どっちの花も全く知らない。プリムラの語感は明るい雰囲気だけど、いろんな呼び方があって、別名オニギクだったりして...、キショウブって菖蒲湯のショウブの仲間? だとすると...。
「さあ、どっち?」ユリは笑ってるけど、目はちょっと真剣だ。
僕は自分の勘に運命を託した。
「プリムラ」
「ファイナルアンサー?」
「うん、プリムラ、これで君を手放すならしょうがない」
しばしの沈黙の時間、ユリの反応があるまで、僕は1時間くらいの長さを感じてた。

「おめでとう、プリムラの花言葉は『運命を開く』でした」
僕は肩の力が一気に抜け、残っていたコップの水を飲み干した。
「あーよかった、心臓が止まるかと思った、今回は運命に見捨てられなかった。えーそれでキショウブの花言葉は何なの?」
「よく覚えてないけど『悲しい別れ』とかだったかな...。でも、もしそっちを選んでたらどうするつもりだったの?」
「えー、だって別れの運命だろ? 別れたくないけど、ユリがそうしたいって言ったらしょうがない...。でも良かったー、運命を信じて」
「そうか、じゃあ、まあ良かったね...」
ユリは微笑みながら、でもちょっとさみしそうな顔をした。僕は何かひっかかりを感じながら、それを言葉に出すのが不安で、ただ笑っていた。

家に帰ってから、僕はパソコンを開いて、花言葉を調べてみた。
「えープリムラ、キショウブ、ふうん、こんな花なんだ...」
ピンク色の華やかで大きな花弁のプリムラ、すらっとした葉で淡い黄色の花のキショウブ。
花言葉を調べると、プリムラは確かに『運命を開く』、そしてキショウブは『幸せをつかむ』。
あれ?『悲しい別れ』じゃない...。
そして僕は自分が間違っていたことに気付いたんだ。
ユリはどちらであっても、僕と生きることを決めていた。なのに僕は、運命ならしょうがない、なんて少しでも考えたから。
結婚は、幸せは、既に決まっていて変わらない運命じゃなく、意思で切り開いていくものだって。
もしかしてさくらは、僕が簡単にあきらめてしまったから別れを決めたのかもしれないし、自分の意思でつかまえようとしていれば、結果は違っていたのかもしれない。
僕は同じ間違いをもう一度するところだった。

明日、僕は朝一番に花屋に飛び込んで、キショウブの花を買うんだ。
そしてユリの元に届けよう。
「絶対に二人で幸せをつかむよ」って言葉を添えて。

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<著者紹介>
コカネサン(神奈川県厚木市/47歳/男性/団体職員)

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