<第9回公募・選外作品紹介>「あのときから二人は」 著者:連野 潤

 その日、俺は、三鷹の駅前で、ふと思い立って、深大寺行きのバスに乗った。神田のオフィスに戻る途中だったのに、どうしてあんなことが出来たのだろう。小心者の俺としては、でかしたと言って、大胆な行動を誉めてやるべきだったろうか。三鷹駅近くの客先で、期待していた商談が不首尾に終わったことが原因だったことだけは、確かだ。間違いない。
バスの窓から通り過ぎる街並みを見ながら、俺は、深大寺までの光景に、ほとんど見覚えがないことに気づいた。無理もない。前回来たのは、それより十年以上も前のことだ。
卒業した高校のクラス会が神代植物公園で開催された。三鷹駅前の集合場所に来たのは、二十三人だった。よく集まったなと思う反面、俺達は団塊の世代で、同級生が五十五人もいたことを思うと、ちょっと淋しい気もした。
参加者は、就職した仲間が多かった。大学に進学した者も少しは来たが、ほかの連中は、それぞれの大学で学生気分に浸れるから、クラス会に参加する必要もなかったのだろう。
俺たち就職組は、なかなか大人の世界に馴染むことが出来なくて、右往左往の毎日で、どこか疲れて、学生時代への郷愁のようなものがあったような気がする。高校で何かをやり残してきたような、やり遂げることが出来なかった心残りのようなもの、そんな感傷が、みんなの心の中に、潜んでいたように思う。
その日の幹事、就職組の女子二人の案内で、植物公園を散策したが、園内を見ることより、歩きながら旧友との久しぶりの会話に熱中していた。みんな、よく喋った。卒業して会社員となって味わった悲喜こもごもの体験談に花が咲き、喋り疲れて、芝生の上で輪になって、持ち寄った弁当を分け合って食べた。
ハンカチ落としもやった。その日の男たちは、一様に不似合な背広を着て集まっていて、一人前の社会人としての『証』を固く守るように、その上着を、汗や泥で汚さないように丁寧に折りたたんで、ひとまとめにして置いたのだが、それを、どこに置いたのだったろう。その場所を、思い出すことが出来ない。
男女に分かれて歌合戦をした。カラオケなどなかった時代だ。十九歳の初夏だった。
よく考え、よく語り、よく悩み、当時の俺達は、今以上に大人だったような気がする。
暫く遊んだあと、中締めとなって、それで帰宅した仲間もいたが、居残り組のほうが多くて、みんなで近くの深大寺に向かった。
「ここには縁結びの神様がいるのよ」
女子の一人が言った。すると、どういう訳だか、おかしくなって、みんなして笑った。
俺は、房江と一緒に絵馬を書いた。相合傘を書いて、その下に、房江と義男と書いて、それを境内のどこかにぶらさげた記憶があるのだが、それがどこだったか分からない。
しかし、その場所を探す気にならなかった。
その房江は、既に結婚して、子どもが二人いるそうだ。あの房江が、俺の知らない男と結婚して、子どもを産んだ。それを初めて知ったときに俺は、どんなに驚いたことか。
十年以上たって、未だに独り身の俺が、勤務時間中に、ふと思いついて、わざわざ方向違いのバスに乗って、その場所を訪ねるということは、どうしたことだろう。俺の心の中で、あの頃にもう一度戻りたいと願う、そんな未練みたいなものがあったのかも知れない。
未だに房江の笑顔を思い出すことがある。
クラス会は二年おきくらいの間隔で続いているが、房江は一度も顔を見せたことがない。
 深大寺に着いて、バスを降りると、激しい蝉しぐれに囲まれた。暑かった。付近を見回したが、あの日の記憶が、定かでない。クラス会の日に、俺達はどこをどう歩いたのか、思い出せない。こんなに整然と舗装された道路はなかったような気がする。バス停近くの案内所で、散策マップをもらって、見たが、はっきりした記憶につながらなかった。いや、確かにあった記憶を、房江とのことがあったから、俺は封印してしまったのかも知れない。
門前の蕎麦屋に入って、涼しい壁際のテーブルで、天ざる蕎麦を注文したときに、独りの女性が入ってきた。左の手首にリストバンドを巻いていた。バスを降りてから境内で何人かの人たちとすれ違ったが、ほとんど二人か数人連れで、特に若いカップルが多く、年配の女性だけの三人連れも見た。この場所に女性が独りで来るなんて、珍しい筈だ。たった独りで来て、恥ずかしくないのだろうか。
この場所に、どんな思い出があるのだろう。

 あの日、私は、深大寺の境内で、汗をふきながら、沢山の絵馬を見ていた。まだあるだろうか。信一さんと二人で書いた、あの絵馬。
「僕は必ず明子さんを幸せにします」
そう書いて、信一さんが優しい目をして渡してくれたので、私は、その横に「お願いします」と小さく書き添えた。信一さんは綺麗な笑顔になって、その絵馬を掛けてくれた。あの絵馬は、今でも、どこかにあるだろうか。
 その信一さんが亡くなって、もうすぐ三年。私は、信一さんを忘れることが、出来ない。
 境内で見事に咲いていた蓮の花に暫く見惚れたあと、門前のお蕎麦屋さんに入ったら、涼しい店内に、独りで座っている男性がいた。
 私は男の人を見ると、信一さんの姿を浮かべてしまう。つい比べてしまう。絶対に信一さんのほうが素敵だ。今もそうだ。ああここに、信一さんが一緒にいてくれたらいいのに。
それにしても、さっきから境内で多くの人たちを見てきたけれど、ほとんどの人には連れがいて、特に若いカップルが多くて、年配の女性が三人で賑やかに歩いている姿も見かけた。独りで来て、どういう神経の持ち主だろう。二十九歳の私と同い年くらいに見えるけれど、独りで照れくさくないのだろうか。よこしまな考えを持っているのかも知れない。
この場所に、何か思い出があるのだろうか。

 バスを降りて、三鷹駅に向かって歩いていたら、さっきの女性が歩いていた。これは、何かのご縁なのだろうか。俺はひかれるように、その後姿を見失わないように注意しながら、女性のあとを追って、歩き続けた。
会社に戻ることを、すっかり忘れていた。
女性は、洋品店や靴店、いろいろな店のウィンドウの前で立ち止まり、眺めていた。そのうちに俺は、動悸が激しくなって、息が苦しくなった。こんなとき、声をかけるべきだろうか。いや、行きずりのように出逢っただけの初対面の女性に対して、馴れ馴れしく話しかけたら、きっと嫌がられるだろうな。

 ウィンドウショッピングをしながら歩いて、三鷹駅に向かっていたら、深大寺のお蕎麦屋さんで見かけた、あの男性にまた出会った。目が合った途端に、不躾な声をかけてきた。
「お茶でも一緒に如何ですか」
なんて古臭い、図々しい誘い方だろう。私は、もちろん即座に断った。私の心の中には、今でも大切な人、信一さんがいるのだから。

 土曜日の朝、いや、もう十時過ぎだ。女房の明子はとっくに起きていて、ふた仕事くらいの家事を片付けて、キッチンテーブルで、折り込みチラシを見ている。だいぶ老けたな。
俺は、テレビの前で新聞を広げて、爪を切っている。太った腹が邪魔をして、足の爪が切りづらい。会社人生は卒業したが、毎週土曜日にしていたこの習慣は今でも続けている。
明子と一緒になって、三十二年。いつでも俺の顔を立てて、俺の言うことを優先してやってくれて有難い。三人の子どもたちは、自立して別々に暮らしている。結婚したのは長女だけだが、昨年の秋、孫が二人になった。
未だに房江の笑顔を思い出すこともあるが、
やはり何かのご縁があったのだろうか。
あの日、深大寺で出逢って、あのときの明子の心の中には、誰かがいた筈だ。間違いない。俺は、そのことが気になっていたが、結婚を申し込むまでの間も、結婚してからも、俺はこれまでに一度も、そのことを確かめることをしなかった。出来なかった。避けていた。遠慮していた。いや、恐れていた。新婚旅行で泊まった宿の露天風呂で、明子の左手首に、ためらい傷があるのを見てしまった。俺は、明子の心の中で生き続けている誰かのことを、知りたくなかった。明子は、今でもその誰かのことを思い出すことがあるのだろうか。あるだろうな。当然だ。あるに違いない。明子はこんなに、いいヤツなんだから。

夫の義男が、やっと起きて来た。かなり太ってしまった。昨年暮れに会社を辞めた。六十歳が定年と決まっていた会社で、その会社の方から、あと一年、もう一年と誘ってくれて、そのまま勤め続けて、六十四歳の誕生月に定年退職。長い間、本当にご苦労様でした。
ご縁、というのは、本当にあるのだろうか。
あの日、初めて深大寺で出逢ってから、ずっと月日がたったある日、私たちは、新宿の街中でバッタリ出逢ったのだ。私はその顔を不思議によく覚えていた。お互い突然のことで驚いて見つめ合って、そのとき私は、旧友に再会したような、懐かしい気持ちになった。
「やはり何かのご縁があるのでしょうか」
 そう言われて、私は思わず笑ってしまった。近くの喫茶店に入り、ひとときを過ごした。
結婚して暫くは、信一さんを想うこともあったけれど、その記憶も段々薄れてきて、夫のことだけを考えるように努力している。だけど時々、信一さんは夢の中に出て来てくれる。話の内容は定かでないのに、信一さんが私の左手首に優しく触れてくれるので、私は嬉しくて、涙を流す。ほっとして切なくなって、幸せな気持ちになり、ハッとして目をあけると、真夜中で、隣で夫が微かな寝息をたてている。私の夢など知らずに静かに眠っている。その寝顔を見て、私はまた目を閉じる。---------------------------------------------------------------
<著者紹介>
連野 潤(神奈川県横浜市/ 66歳/ 男性/ 無職)

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