<第8回公募・選外作品紹介>「ハレの失恋」 著者:波 ユカリ

 請求書やダイレクトメールに埋もれて、一通手触りの良い封筒があった。差出人は、高校時代の同級生カップルだ。交際十年を経て結婚、と聞いていたが、いよいよ日取りが決まったらしい。
 行きつけの喫茶店に着くと、最近話すようになったアルバイトの大学生が注文をとりに来た。
「カフェオレで」
「はい。お待ちくださいね」
彼はここで働き始めて三ヶ月くらいだったと思う。家の方向が同じということが分かってから少し話すようになった。
私とは十も違うせいか、その若さが眩しくてつい目が行ってしまう。彼以外にもアルバイトの大学生はいて、最近入った女の子はさらに初々しい。仕事を覚えるのに一生懸命で、まだ慣れないのだけれど、それすら和んでしまうような女の子だ。
 歳をとったつもりはなかったはずなのに、いつの間にか私は若い者が可愛く見えるようになっていた。
 対して私は、日々のルーチンワークにうんざりしていたことも忘れ、ただ無難に日々が過ぎていくことを望むようになっていた。感情を出すような場所もなく、溜める場所ももうとっくに一杯になっているからか、心は少しずつ弾力を失ってきたと思う。最近は歌を聴いても自己陶酔な歌詞、と感じてしまうことも多いし、小説を読んでも現実の方が後味悪くて滑稽に思うようになっている。いつの間にか私は感動する、ということを忘れてしまったのだ。心を揺さぶられ、鼓動が高鳴る。そんなこと、もうどのくらい感じていないのかもわからなくなっていた。
 カフェオレを飲み終えると、自宅から持ってきた結婚式の返信葉書を出した。
 懐かしい人と会えば、少しは心躍るだろうか。そんな淡い期待をペン先に滲ませながら、出席、という返事を書いた。

 高校三年となる春休み、いい縁に恵まれますように、と春休みに友人たちと深大寺に行った。一緒に行ったのは、彼氏と別れた子、振られた子、好きな人すらいない私。それぞれが高校最後のこの一年にいい出会いといい恋ができるように、と願った。
 冗談半分のつもりが、私にとってはご利益があった。クラス替えで出会った彼は落ち着いていて、余裕があるように見えた。寡黙というわけではなく誰とでも気さくに話すが、さらりと人を褒めることができる人だった。
 ある日、日直だった私は日誌を書いていたら彼がぽつんと言った。
「字が綺麗なんだな。俺字汚いから憧れる。まして割りとどうでもいい日誌なのにさ。すごく丁寧だよね」
 私は幼い頃から書道と硬筆を習っていて、これまでコンクールなどで上位の賞をもらっていた。そのため、字がうまい、ということ自体が私に、みんなに当たり前になっていて、今更褒めてくれる人はいないに等しかった。
 そんな中で彼の言葉は私の中でひとつの柔らかな光となって心の中を優しく照らした。
 余計なことを言わない、すっと人を立てることができる彼を、私はまるで「できる奥様」のようだと思った。普段は黙って話を聞き、時折こちらがぐらりとするタイミングで褒められる。まるで自分が特別な存在になったような気がしてしまうのだった。一緒にいて気分がいいからもっと話していたくなる。私は彼にいろんな話をした。好きな本、好きな景色、家族のこと、将来のこと。
 まだ十七歳の私が恋をするのに時間はかからなかった。

 期末テストが終わったある日、彼から五つ年上の人が好きなことを打ち明けられた。そして告白しようか迷っていること、年下の男をどう思うか、と私に相談してきたのだった。
 私は信じられない思いでただ立ち尽くした。彼が恋をしていたなんて。そして、それが私とは全然違うであろう、五つ年上の女性......。その衝撃は今でも覚えている。どこで知り合ったのか、綺麗なのか、社会人で稼ぎがいいのか。オンナのカラダなのか。私にないものが全部その人にあるように思えた。
 私は頬が痙攣してうまく言葉が出てこないのに、彼は照れたり、困ったり、表情をころころ変えながら、無邪気にどれくらい彼女に恋焦がれているのかを話した。そしてそこにいたのは、私が知らない彼だった。
 私は動揺で思考が動かなかった。ただ、滾るように溢れた感情を言葉にするのがやっとだった。
「......気持ち悪い」
 掠れそうな声でそれだけ言うのが精一杯だった
 一瞬、彼が面食らったように見えた。それを見て言ってはいけない言葉だとすぐ気付いた。しかし取り繕うような都合のいいセリフも、器用な冗談も思い浮かばず、私は唇をきつく結んでその場から離れることしかできなかった。
 そのまま夏休みに入り、息苦しいほどまとわりつく湿度がさらに私を追い詰めた。なんとか彼に謝ろうとメールを打っては消して、を繰り返しているうちに冗談でやり過ごすにも、謝るにも時間が開きすぎてしまった。
 二学期になってからも彼は普通に接してくれたが、五つ年上の女の人の話は一切なかった。彼が失恋したのか、成就したのかも分からない。クラスメイトが冗談交じりで恋バナを振っても、好きな奴なんかいないし、と言うだけだった。
 そんな他愛無い日常も徐々に受験の灰色に染まって行き、私と彼はそれぞれ別の大学へと進学してから縁は切れた。
(深大寺で縁結びをお願いしたのに)
 そう神様に毒づいても、彼を遠ざけたのは紛れも無く私自身だ。彼は私の話を聞いてくれたのに、私は彼の話を聞かなかった。
 たとえそれが幼い嫉妬だとしても、今更なかったことには出来ない。
 私は、あの時人を傷つけてしまった。そしてそれが、恋しい人だった。後悔は時間が経てば経つほどにその色を濃くしていった。
 この気持ちが敗北感だと分かったのは、随分後になってからだった。完敗を認めた頃、私は五つ年上の女性の年齢をとうに追い越してしまっていた。

 ある時、喫茶店へ行くと、アルバイトの大学生と女の子の様子がおかしいことに気付いた。その微妙な距離感は何かあったことは明白だった。
「どうしたの?」
「......振られたんです。俺が」
 注文をとりに来た彼がふてくされた様子で話していった。勢いで告白してしまい、気まずくなってしまったことを悔やんでいた。
 気にすることないよ、と私は言った。大学生は苦笑いするだけだったが、私のように相手を傷つけた訳じゃない。勢いとはいえ、自分の気持ちを真摯に伝えたことは賞賛に値すると思った。
 その瑞々しさを私は随分昔に失っていることに気付いた。
 (告白、か......)
  色を忘れた心に小さな焔が灯った。告白、という言葉が私の何かを捕らえた。音も立てずにじっと燃えている。確かにそこにあるのに、なぜ今までそんなことすら気付かなかったのだろう。私にあるのは彼に対する懺悔ばかりになっていた。見失ってしまった恋心を、私はようやく気付くことができた。

 梅雨の合間の晴れやかな午後、鮮やかな葉々が光を湛えている。私は同級生カップルの結婚式に来ていた。
「相変わらず、字きれいだな」
 私がゲストブックに記帳している後ろから懐かしい声がする。その瞬間、私はあの頃のあの季節に戻った。
 色味を帯びた空気、少し低くなった声。高鳴る鼓動を抑え、ゆっくりとペンを置く。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「ひ、久しぶり!」
 声が上ずってしまい、彼はぷっ、と噴出した。恥ずかしさでいたたまれなくなったけれど、心が弾んでいるのが分かった。
「あの、私......」
 用意してきた言葉を全部話せるかは分からない。冗談として笑い飛ばされても構わない。
 私は今日、ようやく失恋できるのだから。

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<著者紹介>
波 ユカリ(千葉県)

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