<第7回公募・選外作品紹介>「はつゆき」 著者:水岡 れい

 「調布駅までお願いします」
タクシーに乗り込み、笠井修平は出張先の会社を後にした。後部座席に深く腰を下ろしたまま、流れる景色へ目を向ける。二十年ぶりの東京は、相変わらず忙しそうだ。
彼を乗せたタクシーが赤信号で止まったのは、涼しげな蕎麦屋の前だった。反対側の歩道では、下校途中の中学生たちが信号を気にしている。その様子をぼんやりと眺めていた修平の目に、一人の少女が映り込んだ。
彼女は、誰かに似ている気がした。
「すみません。ここでいいです」
 彼がタクシーを降りた時、信号が青に変わった。横断歩道の先へと散って行く人の中に、彼女の姿は見当たらなかった。
修平は何かを誤魔化すように、腕時計に目を落とした。帰りの飛行機の時間まで、まだかなりの余裕があった。彼の足は向きを変えると、大通りとは逆方向へと歩き出した。

転勤族だった修平の家族が、調布の街に越してきたのは、彼が十四歳の秋だった。
「笠井修平です。よろしくお願いします」
 新しい学校の新しい教室。教壇の前で決まり文句を棒読みすると、彼は慣れた様子で用意されていた席に着いた。彼がクラスに打ち解ける気がないと分かると、クラスメイトは徐々に、彼に対する好奇心を無くしていった。
 そして、あっと言う間に冬が来た。学校の廊下を歩きながら、彼は次に行く街を想像してみた。だが、どんな景色も思い浮かばない。代わりに、誰かの足音が聞こえてきた。それも、一人や二人じゃない。足音は次第に大きくなり、両側から修平を追い越した。見たことのある女子が五人、その先に伸びる階段へと向かって行く。その途中で、一人がこちらに振り返った。
「笠井くん、明日の放課後よろしくね」
 そう言うと、彼女は階段を二段抜かしで駆け上がって行った。
宮野皐月は、明るく社交的な性格だった。その彼女と、明日の放課後を過ごさなくてはいけなくなってしまった訳は、先々週のホームルームでのことだ。
「それじゃあ、男子は笠井くんで。次は女子。誰か、やってくれる人?」
 学級委員の進行で、来月行われるマラソン大会の実行委員を決めることになった。それが何なのかというと、実際に走るコースの下見をする。ただ、これだけのこと。だが、試験が終ったばかりの今の時期、進んで無駄な放課後を過ごす人間などいるはずがない。もちろん立候補のなかった男子は、ジャンケンで修平に決まってしまった。教室中の女子が下を向く。その中で、たった一人手を上げたのが宮野皐月だった。
その日の放課後、当たり障りのない会話をしながら彼女と歩いた。会話といっても正確には、彼女の話に修平が相槌を打っていただけだった。
「ここ、コースだっけ?」
 彼がそれに気付いたのは、野川を越えた辺りだった。彼女は、悪戯が見つかった子供のような顔をした。それから「ちょっと寄り道」と言って、修平の制服を引っ張った。
コースを外れた彼女が向かったのは、深大寺だった。彼女は、そこに着くなり引いた大吉のおみくじを真剣に見ている。修平も、彼女に引かされたそれを広げた。結果は、凶だった。
「もしかして、落ち込んだ?」
正直、多少は気になったが、覗きこむ彼女に悟られないよう振舞うと、それを括りつけるために高く手を伸ばした。その時だった。ゆっくりと、綿のようなものが落ちてくる。
「雪?」
 彼女が言った。空に粉雪が舞っていた。急に冷えた気がして、彼は思わず手の甲をさすった。隣を見ると、宮野皐月が初雪に目を輝かせている。
「どうして、手を上げたの?」
 修平は、彼女の横顔に尋ねた。なぜ急にそんなことを口にしたのか、自分でも分からなかった。彼女は修平以上に驚いていたが、そっと口を開いた。
「知りたかったの。笠井くんのこと」
 彼女は、普段の様子からは想像できない程、大人びた表情で言った。
「ねぇ、笠井くんって、どうしてみんなと関わろうとしないの?」
真っ直ぐに見つめる彼女の瞳を、彼は咄嗟に逸らしてしまった。
「雪と同じだよ」
 地面に落ちるそれを見ながら、彼は言った。
「意味のないことだから」
「どうして、雪が意味ないの?」
「雪って、最後は溶けて無くなるだろ?俺も同じ。例えクラスに馴染んだとしても、どうせ、またすぐに転校する。無くなるんだ」
 こんなことを、人に話したのは初めてだった。同時に、激しい寂しさが彼を襲った。
「大丈夫よ。無くなったりなんかしない」
 彼女の温かい声が、冷えた心を包み込んだ。
「ねぇ、知ってる?ここでは、五月に降る雪があるの。それは毎年必ず降る、溶けない雪なのよ」
「五月に?」
 修平が聞くと、彼女は大きな木に近づいた。
「そう。この木が降らせてくれるの」
「何の木なの?」
「なんじゃもんじゃの木」
彼女が指差した木の幹には、確かにそう書かれた木の札が掛けられていた。
「周りの木が緑でいっぱいになると、この木が花を咲かせるの。雪が積もったみたいに真っ白な花。そこに風が吹くとね、花がくるくる回りながら落ちてくの。雪みたいに」
 広げた彼女の掌に、雪がちょこんと飛び乗った。今まで何度も見ている雪が、今日はなぜだか綺麗に見えた。
「変わった結び方ね。どうなってるの?」
 彼女は首を傾げながら、彼が結びつけたおみくじを見て言った。結んだ時にできる余った部分を、器用に織り込んで作ったそれは、雪の結晶と同じ六角形の形をしていた。
「五月に、ここに来た時に教えるよ」
 舞う雪に触れながら、修平が言った。
「宮野さんの話を聞いたら、俺もその雪を見てみたくなったんだ」
 弾けたように笑った彼女を見た瞬間、修平の中にあった堅い氷のかたまりが、溶けていくのを感じた。同時に高鳴る胸の鼓動に、彼は何かが始まる気がした。
だが、その期待がそれ以上膨らむことは、もうなかった。校庭の桜が咲き始めた頃、次の転校先が決まった。
「急なのね」
 教室の窓から外を見たまま、宮野皐月が言った。下校のチャイムが鳴るまで、修平は、彼女の背中を見ているだけだった。
「あの約束、ごめんな」
 彼女の机に六角形の紙を置くと、それだけ言って修平は教室を出た。廊下に差し込む太陽の光は、まだ弱々しかった。彼は、その上を踏みしめるように歩き始めた。
その時だった、教室の扉が音を立てて開いた。振り向くと、宮野皐月が立っていた。
「私、あなたのこと忘れないから」
 彼女の右手には、広げられた六角形の紙が握られていた。そこには、修平が彼女に伝えたい一番の思いが書かれていた。
優しい笑顔で手を振る彼女に、修平は同じ気持ちで手を振り返した。

タクシーを降りた後、彼の足は迷うことなく、深大寺へと向かった。新緑の木々が揺れる。五月の木漏れ日に、彼は思わず目を細めた。そこは、東京とは思えない程、時間の流れが穏やかだった。階段を上がり、引き込まれるように山門の先へと進む。本堂の前まで来ると、彼は静かに手を合わせた。
そして、ゆっくり顔を上げる。彼の目に不思議な光景が飛び込んできた。晴天の空へと伸びる鮮やかな緑の葉に、雪が積もっている。よく見ると、それは白い花だった。
修平がその花に目を奪われていると、前を横切った小さな女の子が、彼の足元に何かを落とした。白い花の付いたヘアピンだった。彼がそれを拾うと、女の子は小さくお辞儀をし、少し離れた所にいた女性の方へ走って行った。
彼は再び時計を見た。針は思っていたよりも進んでいた。そろそろ時間だ。
さっきの女の子が、目一杯背伸びしておみくじを結んでいる。それを見て、修平はハッと息を呑んだ。堅く結ばれたそのおみくじは、六角形だった。
「この結び方、どこで覚えたの?」
 修平が聞くと、女の子は「ママ」と答え、隣の女性を見上げた。
「特に意味はないんです。ただ、昔こんな風に結んでいた人がいて」
澄んだ瞳で彼女は言うと、修平に軽く会釈し、女の子の手を握った。彼の頭の中で、様々な感情がぶつかり合った。全てを壊してしまいそうな大波が、全身に押し寄せる。
すると次の瞬間、女の子が小さな手を修平に向け、ヒラヒラと揺らした。彼はフーと息を吐いた。笑顔は、母親そっくりだ。その幸せそうな親子を、呼び止めてしまわないように、修平はそっと目を閉じた。
そして、目を開けた時にはもう、二人の姿は見えなくなっていた。代わりに彼の目の前を、美しい何かが通り過ぎる。その軌跡を辿るように、修平は視線を空へと向けた。青い空から、純白の花が、風に乗って舞い降りてくる。思わず笑みがこぼれた。本当だ。
「雪みたいだ」
 その雪は風に乗り、高く舞い上がると、深大寺の空から優しく降り注いでいた。

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<著者紹介>
水岡 れい(東京都三鷹市/25歳/女性)

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