「トドの女房で青い鳥」 著者:綾稲 ふじこ

 深大寺に行こうと妻が言い出したのは、NHKの朝ドラの影響だった。
 私たちの住むさいたま市から深大寺までは、電車で調布まで出て、駅のロータリーからバスに乗るのが一番早い。早いと言っても、ドアツードアで、軽く一時間半はかかる。
ゆっくり家を出たせいもあって、深大寺に着いたのは十二時を少し回ったころだった。決して近くはない。
それでも深大寺に行きたいと思うほどあのドラマを気に入ったのは、もちろんストーリーも良かったのだろうが、向井なんとかという若い俳優の存在が大きかったに違いない。そう睨んでいる。妻は面食いなのだ。
「えーっ、そんなことないわよう。だってあなたと結婚してるのよ? 面食いなわけないでしょ」
 参道を歩きながら、妻はケタケタ笑った。日曜日だからか人出が多い。私たちと同じで、穏やかな秋の日ざしに誘われたのだろう。
「それより、山門前にあるおせんべい屋さんの濡れせん! すごく美味しいらしいわよ。お隣の奥さんが言ってたの。食べましょ」
 人ごみを軽やかに歩く妻はほっそりとしていて、髪は綺麗な栗色に染められている。小じわが少し増えたくらいで、昔とあまり変わらない。
変わったのは私だ。妻と出会ったころから体重は三十キロ近く増えて、白髪まじりの髪は、ほぼ半分に減っている。
管理職なんてなるもんじゃない。サービス残業は多いわ、上司にねちねち嫌味を言われるわ、生意気な部下に気を使わなければいけないわ、本当にロクなことがない。太ったのも抜けたのも、全部仕事のせいだ。
 そのうえ、たまの休みにリビングのソファで昼寝をしていれば、一人娘の明子に
「やだもう! パパったら、浜辺に打ち上げられたトドみたい」
 と失笑される。
職場でも家庭でも虐げられる私の安息の地は、どこにあるのだろうか。
「ほら、あなた。濡れせん。ほんとに美味しいわよ。これで一本百円なんてお得よねえ。お土産用の濡れせん、お隣にも買っていこうかしら」
 串に刺さった濡れせんを、妻は満面の笑みで差し出した。
お前は呑気でいいよな。

 深大寺の境内は、緑豊かで心和む空間だった。紅葉には少し早かったけれど、緑が目に優しく心地よい。
冷たい水で手を清めてからお参りをした。ポケットの小銭を賽銭箱に投げる。妻は財布から五百円玉を出して放り込んだ。私は目を疑った。
なぜなら、妻の財布の紐はとても固い。
毎日のようにスーパーマーケットのチラシを見比べて、ここが二十円安いとか、ここは意外に高いとか、チェックに余念がない。
一緒に買い物に行くと
「あーっ、しまった。昨日卵を百三十八円で買っちゃった。ここは九十八円だったのね!」
 とか
「どうしよう。トイレットペーパーがものすごく安い。お一人様一点までって、もう一度来たらばれちゃうかしら。どう思う、あなた?」
 とか、至ってみみっちいことで、真剣に苦悩している。
そういう妻なので、賽銭はいつも五円だ。「ご縁があるように、五円」と、毎回のように言い訳しながら入れている。今年の初詣もそうだった。
それなのに五百円だなんて。いったい妻に何があったのだろう?
妻は一分ほど手を合わせて、なにか祈っていた。それだけ願えば五百円払っても元が取れるだろうと思うほど熱心だった。
私がしびれを切らしそうになった頃、ようやく妻は顔を上げた。
「さ、行きましょ。お腹も空いたし」
 切り替えの早さに呆れながら、すたすたと歩く妻についていく。
「さて、どのお蕎麦屋さんに行きましょうか? これだけあると選び放題ねえ」
 調布駅でもらった深大寺地域観光マップを見ながら散々迷った挙句、山門と植物園の間にある、落ち着いた店構えの蕎麦屋に入った。
なかなか流行っているようで、もうじき一時になるのに、ほぼ満席だった。二人ともせいろを注文した。私はもちろん大盛りだ。
「深大寺、いいところね」
「そうだな」
「お隣の奥さんのご実家、この辺でしょ? 高校もこの付近の農業高校だったんですって。いいわね、こんなのどかな環境で青春時代を過ごせたのは」
お隣の奥さんを思い浮かべる。確かに農業高校卒って感じの、のどかな良い顔だ。私たちより十歳近く若いけれど、妻と気が合っているようで、ことあるごとに井戸端会議をしている。
「じゃあ、どこの蕎麦屋が旨いのか知ってたんじゃないのか? 地元なんだから」
「私もそう思って聞いたんだけど、地元の人って、意外と行かないんですって。もったいないわよねえ」
 本当にそうだ。こんなに旨いのに来ないなんてもったいない。手早く運ばれてきた蕎麦を食べながら、私もそう思った。
 だけど人間とは、元来そういうものなのかもしれない。
明子が子供のころ読んでやった絵本にも、そんな物語があった。
探し続けた青い鳥は、実はそばにいた。同じように、旨い蕎麦屋もそばにある。幸せは、意外と身近な所にあるものだ。
もっとも、今の明子にそんなこと言ったら、
「やだぁ。お父さんったら、蕎麦屋もそばって、そんな寒い親父ギャグ言っちゃって!」
 と、思いっきり冷笑されるだろうけど。深大寺をお参りしたとき、明子がもっと優しくなるようにお願いしておけばよかった。
 そこまで考えて、妻がさっき何をお願いしていたのか、ふいに気になった。
「なあ。さっき深大寺で、何をお願いしてたんだ?」
 満足げに蕎麦湯を飲んでいた妻は、小首を傾げた。
「なんで?」
「だってお前、五百円も賽銭して、かなり熱心に拝んでたし」
「よく見てるわねえ」
 感心したように、妻は目を丸くする。
「実は、向井理と結婚できますようにってお願いしてたの」
「はあ?」
 愕然とした私を見て、妻が吹き出した。
「嘘よ、嘘。そんなわけないじゃない。冗談に決まってるでしょ、もう」
 怪しい。妻なら本気でそのくらい願いかねない。私の疑いの眼差しに、妻はまた笑った。
「明子のことよ。あの子、今年で二十五歳なのに、ちっとも男っ気ないじゃない。深大寺には縁結びの神様がいるらしいし、あの子に良縁がありますようにってお願いしてたの」
 なるほど。それなら頷ける。
明子は妻に似て、社交的な明るい子だ。名は体を表すという好例だろう。
親の欲目かもしれないけど、顔だってなかなか可愛いし、性格だって悪くない(ちょっと口は悪いけど)。
 それなのに、仕事だの女子会だの趣味のバトミントンだので毎日忙しいそうで、決まった男はまだいない。親としてはやっぱり心配だ。私も五百円投じて願うべきだった。
「そうだな。明子が、お前のお気に入りの向井なんとかみたいな男を連れてくるといいな」
 私の言葉に、妻は微笑んだ。
「私は、明子が、あなたみたいな優しい人と出会えますようにってお願いしたのよ」
 思いがけない言葉に、私はまじまじと妻を見た。
「なに? 私なにか変なこと言った?」
 私の反応に、妻もまじまじと私を見た。
「変なことっていうか、だってお前......」
 なんと言っていいのかわからなくて、語尾はごにょごにょと消えていく。
「そりゃあさ、私だってハンサムな人は大好きよ。目の保養になるもの。だけどもし目の前に向井理が現れて『ご主人と別れて、僕と結婚してください』って言われても断固拒否するから。安心していいわよ、あなた」
 安心してって言われても。どう考えても、そんなシチュエーションはありえないだろう。
どうして今が旬の売れっ子俳優が、二十歳以上年上の既婚女性にプロポーズしなくちゃならんのだ。まったく、ひどい妄想だ。
だけどそんな妄想の中ででも、あんな色男に勝ったと思うと、まんざら悪い気はしない。複雑な心情の私を顧みず、妻は言葉を続ける。
「ソファでだらーっと寝てるあなたは明子の言うとおりでトドみたいだけど、優しいし、働き者だし、ずっと暮らしてきて、毎日幸せだもの。いつもありがとね、あなた」
 屈託のない妻の表情に、私は苦笑した。
これだから妻にはかなわない。いくつになっても夢見がちでお喋りで、私のことを愛してくれている。
私だって妻を愛している。体型や髪の量が変わってトドみたいになっても、この気持ちが変わることはない。
 私の安息の地は妻といるすべての場所だと今わかった。
 妻はゲゲゲの女房ならぬトドの女房で、私の青い鳥だったのだ。

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<著者紹介>
綾稲 ふじこ(埼玉県 /32歳/女性/会社員)

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