「スノードロップ」 著者:芹沢 理都

 幼い頃大好きだった、あの懐かしい香りが鼻をかすめた気がした。
 そう感じて、この深大寺を訪ねるようになったのは、ほんの一か月前であった。
 咲子はいつものように、深大寺内をぶらぶらと歩いていた。大学の講義がない土曜日の夕方は、こんな風に都会の自然の中で息抜きをするのが恒例となりつつある。
大学進学の為に上京してから一年ちょっと経ったというのに、いまだ東京に馴染めていない咲子にとって、なんだかこの場所は地元に通ずるものがある気がして、安らげるのだ。
 お賽銭を入れ、手を合わせる。此処は縁結びの神様で有名だという事なのだが、あいにく咲子には意中の相手はいない。すぐ傍を通り過ぎて行ったカップルを横目で見ながら、少しばかり、うらやましいなぁなんて思う。
さわさわと揺れる新緑に、仄かに暖かい風。日は落ちつつあるが、今日は良い散歩日和だ。

カシャ。耳に心地よいシャッター音が咲子に届いたのはその時だった。つい振り返ってしまうと、そこにはカメラを構えた青年が一人。
 咲子の視線にすぐに気づいたのか、青年は軽く会釈をし、申し訳なさそうに頭を掻きながらこう言った。
「すみません。シャッターの音、耳障りじゃないですか?」
 突然そう言われ、咲子は驚くが、すぐに言葉を返す。
「いえ、そんなことないですよ。さっきまでシャッター音に気づきませんでしたし」
 慌てる咲子を見て、青年はふふっと笑う。くしゃりとしたその笑顔は、夏空の下に咲く花を思わせた。
 これが洋一との出会いだった。

次の週も、また次の週も、土曜日の夕方に境内に足を運ぶと、洋一はカメラを構え、写真を撮っていた。
もしかしたら毎週近くに居たのかもしれないと思うと、今までがとてももどかしく感じた。
土曜日がやって来る度に少しずつ会話を重ねるようになり、洋一に会う事が咲子の楽しみとなっていた。こんな風に気さくに話せる男性は大学内にはいないものだから、新鮮だ。
「お寺とか、神社とか。趣があって自然が綺麗な場所でよく撮影しているんだ」
 ある日、何気ない会話の途中で洋一が言った。都内にある写真の専門学校に通っている洋一は、カメラマンを目指して日々写真を撮る練習をしている。
「どうして?」
 咲子が質問を投げかけると、洋一はゴホン、と咳払いをしてから、少し照れくさそうに小声で答えた。
「その場所の雰囲気、匂いとか、肌で感じるものを、ちょっとでも写真から伝えられるようなカメラマンになりたいから」
 橙に染まり始めている空に、千切れ雲が疎らに泳いでいる。洋一はそれに見入るように斜め上を向き、何も喋らなくなった。
素敵な目標だと思った。この人を心から応援したいと思った。夢を叶える洋一を近くで見ていたいと思った。
 咲子がこの日感じたのは、確かに洋一へと芽生えた「恋心」だった。

 五月も下旬に差し掛かり、天から注ぐ日差しも暖かい、というよりは少々暑いのではないかと思い始める。羽織ってきた薄紅色のカーディガンの袖を捲り上げながら、咲子はこの日も深大寺へと足を運んだ。
 待っていました、というように、洋一は左手を上げて咲子を呼んだ。
「今日は満開になったヒトツバタゴを撮りたい」
 唐突に洋一が言う。
「え?何それ」
 咲子の間抜けな返答にもかかわらず、洋一は「ナンジャモンジャの木だよ」と言い直してくれた。
 洋一はこの木が満開になるのを、何か月間も待ち望んでいたのだという。カメラを覗き込みながら、洋一は口を開いた。
「ヒトツバタゴは英語で『スノーフラワー』とも言われているんだ。ほら、雪が積もっているように見えるから」
 咲子は頷く。
「なるほど......。もう辺りはとっくに春なのに、この場所だけ冬で時間が止まっているみたい」
 咲子の地元は雪国だ。枝に雪がたくさん積もっているようなこの風景はなんだか見覚えがある気がして、心が弾んだ。
「このお寺って、なんだか懐かしい感じがするの。去年まで来たことなかったのに、なんだか可笑しいよね」
 口元に手を当て咲子が小さく笑い、そう言った。
「なんかそれ、分かる気がする。だからつい何度も来ちゃうんだよな」
 洋一も笑った。
 きっとこの場所にはそんな不思議な力があるのだろう、なんて二人で言ってみる。

 時を忘れ、すっかり話し込んでしまい、夕陽のオレンも消えかけていた。
 ずっとこんな風に話していられたらな、と咲子は心中で呟く。洋一はどう思っているのだろうか。一度も聞いたことはないけれど、今は無性に質問してみたくなった。
「あのさ、」
 口を開いたのは洋一だった。
「ずっと言わなきゃと思ってたんだけど......。実は、もうここには来れないんだ」
 咲子は目を丸くする。自身の虹彩が揺れたような気がした。
「それって、今日でもう会えないってこと?」
 スカートの裾をぎゅっと握りしめながら、問い返す。
「カメラマンの研修で海外に行くことになったから」
 それは洋一にとって、夢に大きく近づけるチャンスだった。ずっと応援したいと思っていたのに、咲子は素直に喜べない。風が耳のすぐ傍を横切っていく音だけが、やけに澄んで聞こえる。
「だから、」
 フリーズしていた咲子に、洋一の言葉が沁みこんでいく。洋一は続ける。
「次にここで会う時は、君の写真を撮れるように、一人前になってくる」

咲子は、はっとする。以前洋一が言っていた事を思い出したからだ。いつも自然ばかりを撮っている洋一に、何となしにした質問。『なんで人は撮影しないの?』
洋一はこう答えた。
『俺が人を被写体にするとしたら、恋人以外は絶対に無理だな。人を撮るのは苦手なんだよ』

 そう、それはとても不器用で分かりづらい、それでも最高の告白だった。
 ヒトツバタゴの花が一輪、ふうわりと舞う。
枝から零れ落ちたそれは、雪のように真っ白で綺麗だった。

     *

 そして季節は巡り、ある初夏の候、二人は再会を果たす。
髪が伸びても、香水を変えても、気持ちはあの頃のまま、洋一に恋をしている。
シャッター音はあの夏の香りを呼び戻させ、心のどこかで止まっていた針は、二人の時を再び刻み始める。
それを祝福するかのように、雪の欠片たちは優しい風に乗り、仄かな香りをふりまきながら、二人を包み込んだ。

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<著者紹介>
芹沢 理都(宮城県仙台市 /18歳/女性/学生)

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