「ハンスへの手紙」 著者:中田 朋樹

  やあハンス。元気?僕の方は日本に来て四日目だが、今の所快調だ。ホストファミリーは温厚な老夫婦で、二人とも英語ができるから不自由はない。今日からいよいよ高校での交流プログラムが始まった。学生達の内気なのには驚いたよ。英語に自信がないからかもしれないが、挨拶以外、内容のある会話ができたのは、世話好きで活発な相沢優という女の子たった一人だ。もちろん皆気は良くて、休み時間には男子と一緒にサッカーを楽しんだけどね。サッカーは僕より上手い奴が結構いる。もちろん君が来ればスターだろうけど。
 とにかく僕はこの国が気に入った。清潔で、静かで、エキゾチックだからね。ではまた。

 今日僕は老夫婦に連れられて近所にある深大寺という寺に行った。周りは昼でも暗い程の森で、古びた門や神秘的な仏像など、日本的な物が色々あったが、一番印象的だったのは昼食に食べた「そば」というパスタだ。冷たい灰色のパスタを甘辛い汁につけて食べる。珍しいだろう?
 昼食後、僕は不思議な光景に出くわした。店を出たら、白い服を着た長髪の少女が、小さな亀を散歩させながら目の前をゆっくり通り過ぎる所だったんだ。甲羅に巻いた紐の端を手に持って、亀に合わせて少しずつ進む様子に僕は思わずカメラを取り出して前に回り、
「シャシン、イイデスカ」
 と覚えたての日本語で話しかけた。女の子は驚いたらしく、何か小さな声で言いながら首を左右に振り、しゃがみ込んで亀を抱き上げてしまった。僕は少なからず失望しながら、
「ソーリー、ソーリー」
 と言ってその場を離れようとした。その時、寺の階段を女の子がもう一人駆け降りて来た。
「アーロイス!なんでここにいるの!その子になんかしたんじゃないでしょうね」
と英語で言いながら近付いて来た女の子を見て、僕は驚いた。それは学校で一番よく話しかけてくる例の女の子、相沢優だったのだ。
「あ、友達だったのか。僕はただ、亀を散歩させてるのが珍しくて、ちょっと写真をと」
「なーんだ、そうだったの」
 優は言って、亀を抱いた少女と日本語で話しだした。僕はその間、少女をさり気なく観察した。濡れたような黒髪、切れ長の目、透けるような白い肌、スカートの裾から出た細い素足。年齢は十三歳くらいに見えるが、優の友達ということは僕と同い歳なのだろうか。とにかく見れば見るほど美しい少女だった。
「写真は嫌だって。諦めた方がいいよ。でも暇なら一緒にかき氷でも食べない?」
 ブンダーヴァール!僕は少し離れた所にいた老夫婦に事情を説明し、先に帰ってくれるよう頼んだ。二人は笑って頷き、それから僕は女の子二人と一緒にかき氷を買って池の脇のベンチに座り、楽しい時間を過ごしたわけ。
 長くなったけれど、その子をひと目見れば、僕が舞い上がったのも理解して貰えると思う。優の通訳はかなり大雑把で、のぞみちゃん(というのが少女の名前だった)の歳とか、どういう友達かといった事は結局わからなかった。でもまあ優と連絡先を交換して、また三人で遊ぶ約束もしたから、とりあえずは上出来だ。

 やあハンス。メールをサボってごめん。ゲルハルトとモーリスの決闘の話は面白かった。その後どうなったかまた教えてくれ。
 こちらは一週間の交流プログラムが終わり、自由時間に入った。あの後のぞみちゃんと優には二回会った。駅前のゲームセンターに行ったり、喫茶店で駄弁ったり、まあそんな感じだ。優はどんな子かって?まあ僕らのクラスで言えばサラ・ヘーデンボルグに近いかな。あんなに髪は赤くないが、ちぢれ毛で、瞳が茶色で、世話好きなタイプだ。それより何よりのぞみちゃんだよ!実に神秘的でオリジナルな子だ。いつも亀を連れていて、その亀が彼女の指示で歩いたり停まったりするんだぜ。秘密主義で自分の事は話さないが、ドイツに興味があるらしくて、教会の事とか、優を通じて色々訊いて来る。好きな子が自分の国に興味を持ってくれるってのは嬉しいもんだね。

 今、夜の十一時だ。今夜ちょっと妙な事があってね。君の意見を聞きたいんだ。
今日僕はのぞみちゃんと優と三人で深大寺の盆踊り、という催しに出かけた。迎えに来てくれた二人はゆかた、という伝統的な衣装を着ていて、その美しさ、愛らしさはちょっとたとえようもないくらいだった。白地に小さな赤い花が咲き乱れた優のゆかたも綺麗だったが、濃紺に白い清楚な百合の模様が浮き上がり、目も眩むような赤い帯を締めたのぞみちゃんの立ち姿は、この世ならぬ神々しさを備えていて、僕は正直、ひと目見ただけで頭がくらくらして、何か胸騒ぎさえ覚えた。
 盆踊り、という催し自体も、ダンスフェスタという説明から想像していたのとは全く異なるエキゾチックなもので、森の中の広場に設けられた木製の舞台の周りを、ゆかたを着た女性達がゆったりと、伝統的な音楽に合わせて泳ぐような身振りをしながら回るものだった。太鼓を叩く子供達の愛らしい姿。紙でできた紅白の灯りの発する幻想的な光、周囲の森の神秘的な暗さ。これら全てに幻惑され、僕はただぼうっと二人の後をついて歩いた。
 踊らないの?と僕は訊いたけれど、二人は日本人の女の子らしく尻込みしたので、結局僕らは夜店でいくつか食べ物を買って、広場から少し離れた御堂の石段に腰を下ろした。
 ひとしきり食べたり飲んだりした後、僕はのぞみちゃんの亀に食べ物を与えようと試み、優に通訳してもらいながら亀の食べる物、食べない物をあれこれのぞみちゃんに訊いた。
 その話が一段落した時だった。「ちょっと」と言って優が立ち上がり、早足でそのままどこかへ消えたのだ。最初はトイレだろうと思い、二人で亀と遊んでいたが、優はなかなか戻って来ない。のぞみちゃんは一言も英語を喋らないので、段々気づまりになって来る。十分くらい経っただろうか。とうとう僕は立ち上がって、身振りを交えてのぞみちゃんにここにいるように言って、優を探しに出た。
 白いゆかたを着ていたから、森の中、杉の木にもたれている優はすぐに見つかった。僕はおそるおそる近付いて、
「取り込み中?二人だと間が持たないから戻って来てくれよー」
 と声をかけた。優は小さく頷き、素直に木から離れた。ただ二、三回ゆかたの袖で目を拭うようにしたので僕はドキッとし、迂闊な事は言えないような気がして黙ってしまった。
 御堂の前に戻ると、のぞみちゃんが消えていた。ただ亀だけは元いた石段の上に蹲っていたので、僕はその辺に居るんだろうと思い、大声で彼女を呼んだ。ところが優は急に動揺して僕の手を押さえ、
「あ、あの、のぞみちゃんは私が探すから、今日はとりあえず帰って」
 と言い出した。僕は理解できず、
「どういうわけ?ちゃんと説明してくれよ」
 と言ったのだけれど、優はとにかく帰っての一点張りだった。腑に落ちなかったけれど、段々腹立たしくもなってきて、僕は
「秘密ってわけか。じゃあ詮索しないよ」
と言ってそのまま渋々帰って来たのだった。
 奇妙な夜だった。一体何だっていうんだ?家に着いてからもいろいろ考えたけれどさっぱりわからない。ハンス。君はどう思う?

 今僕は飛行機の中だ。君に送るのは帰ってからになるが、あの神秘の国の印象が薄れないうちにと思ってこのメールを書き始めた。
 昨日の午後、僕はずっと連絡を取っていなかった優に電話をした。あの夜の真相、いや、そんな事よりもう一度だけのぞみちゃんに会いたかったのだ。彼女の指定で落ち合ったのは深大寺の池の前、三人で氷を食べたベンチだった。僕はそこで信じ難い告白を聞いた。
 優はまず、のぞみちゃんが実在の少女ではなく、深大寺に住む神の化身だと言って僕の度肝を抜いた。そして、学校に来たドイツ人の男の子ともっと近付きになりたいと願ったら彼女が現れた事、彼女について行ったらそば屋の前で本当に僕に会えたという事を一気に喋った。「でも」と優は続けた。「のぞみちゃんがあんまり綺麗で、あなたが彼女に会うためだけに私を呼び出すのが段々辛くなって来て、今考えれば私は近付きになりたいってお願いしただけだから、神様はその通りにしてくれたんだけど、私は何て頓珍漢な、邪魔ばかりする神様だろうって思うようになって、とうとうあの時森の中で、どうか消えて下さいって祈ってしまったの。そうしたらのぞみちゃんは本当にいなくなった。あの時あなたに説明できなかったのはそういう訳なの」
 まさかと思うだろう。もちろん僕も最初はそう思った。涙ながらに話す優の姿に心を打たれ、思い当たる節がある事にはっとしたのも事実だったけれど、こんな非科学的な話を信じる習慣は僕らにはないものね。でも......。
「信じられない」
 と呟いて立ち上がろうとした瞬間、僕は靴の先に妙な感触を覚えてふと足元を見た。
 亀だった。大きさも、色も、形も、まぎれもないあののぞみちゃんの亀がいつの間にか僕の足元に寄り添って、黒いつぶらな瞳でじっと僕の顔を見つめていたんだ............。
 ああハンス。日本っていうのは本当に素晴らしい国だよ。あの国には美しくて、不可思議で、おっちょこちょいな精霊が未だに生きていて、それを呼び出す事が出来る純粋な心を持った女の子が住んでいるんだ。
 僕と優はこれからも連絡し合うことを約束して別れた。長く続くだろう優との付き合い、日本との関わりが、僕の今後の人生にとって大切なものになるだろうという確信を君に伝えて、ひとまずこのメールを終える事にする。

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<著者紹介>
中田 朋樹(茨城県土浦市/31歳/男性/アルバイト)

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