「サヨナラヒット」 著者:青木 太郎

時間が止まったように古(いにしえ)の風情を残すベンガラで赤く塗られた柱と梁。それに支えられた茅葺屋根の山門に掲げられた山号額には〝浮岳山〟の文字が見える。その山門をくぐり抜けると境内に出る。東京では浅草寺に次いで二番目の古刹ではあるが、大木が無造作に隣立するわけでもなく、その箱庭のような境内は、モダンな印象さえ受ける。
ある晩夏のとても暑い日、陸はずっと想い続けてきた相手に手紙を書いて、下駄箱に、そっと忍ばせた。
陸の意中の相手とは、テニス部の綾香だった。綾香は物静かでおっとりとしたタイプだが、成績は常に学年でトップクラスの秀才だった。同級生はもちろんのこと、後輩たちの中にも何人かは綾香に好意を寄せている者がいることは知っていた。所謂〝高嶺の花〟だった。
〝今日の放課後、深大寺の境内で待つ〟
野球部の仲間たちからは「やり方が古い」と笑われた。
甲子園を目指してすべてを賭けて打ち込んだ高校最後の夏は、都予選の二回戦ですでに終わっていた。果たせなかった夢を後輩たちに託して、引退した陸の髪は少し伸びて、頭は毬栗(いがぐり)のようになっていた。そこから玉のような汗が数珠のように連なって流れ、糊の効いた真っ白な開襟シャツをぐっしょりと濡らしていた。それは暑さのせいだけではないことは陸も分かっていた。
「当たって砕けろ」帰り道などない玉砕覚悟の離陸だった。
とは言え、緊張と興奮で心臓は早鐘を打っていた。汗は相変わらず滝のように流れて、拭っても、拭っても、まだ足りなかった。右手に握った映画のチケットは湿ってクシャクシャになっていた。「落ち着け!」心の中で何度も叫んだが、それまでに培ってきたマウンド度胸など、クソの役にも立たなかった。そこへなぜか里美が現れた。
幼稚園のころからずっと同じ学校に通う幼馴染の里美は男勝りな性格で、チアリーディング部ではキャプテンだった。持ち前のリーダーシップをいかんなく発揮して、弱小と言われたチアリーディング部を全日本選手権で準優勝するまでにしたほどだった。
陸はこの里美との関係を〝腐れ縁〟と呼び、ずっと同じ学校にいることは「文部科学省の陰謀」と仲間たちに言っていた。
「な......なんだよ」
「綾香なら来ないよ」さっきまで滝のように流れていた汗がピタリと止まった。
「なんでおまえがそんなこと知ってるんだよ」
「あんたさ、告白する相手に彼氏がいるかどうかぐらいは調べなさいよ。ドジ!」そして陸が手に持ったチケットを見て、「ふうん。映画に誘うつもりだったんだ」と続けた。
 陸は慌ててクシャクシャになったチケットをうしろのポケットに押し込んだ。
「おまえに関係ないだろ!」そう言ってその場にしゃがみこんで顔を両手で覆い「終わった......」とつぶやいた。
「あんたね、それで終わりなの? あんたの〝好き〟ってそんなものなの? 相手に彼氏がいたら終わりなの? そんなんだから甲子園にも行けないのよ!」
 里美の言う通りだった。結果が出せなくても努力さえすればそれが美しいなんていうイマドキの高校生の〝一所懸命にやっいてるつもり〟が、里美のようなタイプからすれば物足りないと思われても仕方がなかった。
「ど......どうすればいいんだよ。彼氏がいるなんて知らなかったし......」
「そんなことわたしにだってわからないわよ。でもこんなところでコソコソやろうとしないで、あんたらしくストレート勝負したらどうなの? 最後の試合の最後のボールみたいに......」
〝最後のボール〟とは都大会の二回戦での出来事だった。九回の裏、スコアは二対一で陸のチームがリードしていた。ランナーは一・三塁で、ボールカウントはツーストライクツーボールと、あと一球で試合終了という場面。陸はキャッチャーが出すサインに何度か首を振り、大きく息を吸い込み、渾身の一球を投じた。
――結果はサヨナラヒットだった。
 小細工なしのストレートだった。その瞬間、陸の夏は終わった。
「あんたのこと、ずっとスタンドから見てきたんだから。そのわたしが言っているんだから間違いない。あのときのあんたは格好良かった」里美は自信を持って言った。「そりゃね、あのとき三振を取っていたら、もっと格好良かったわよ。勝負なんだから勝つに越したことはない。でもね勝負は時の運でしょ? これからも勝ったり負けたりして生きて行くんでしょ? だからその負けから何を学ぶかが大事でしょ。あんたはいったい何を学んだの?」陸は黙って考え込んでしまった。そして毬栗頭を掻きむしり、突然走り出した。
翌日、教室に陸の姿はなかった。里美は窓際の一番後ろの席に座り、主(あるじ)のいない陸の机を見つめた。机の天板には〝直球勝負〟と小さな字で書かれていた。それから少し離れた席に座る綾香と目を合わせて「きっと昨日のことのせいよ」と目配せした。
「ちょっと言い過ぎちゃったかな......」里美がそう思いながら窓からグランドを見ると、ユニフォームに身を包んだ陸が立っていた。
「篠崎綾香さん!」白球を握り締めた右腕を真っ直ぐに前に突き出して、のどが千切れてしまいそうな大声で叫んでいる。
「三年二組の篠崎綾香さん!」
授業は始まったばかりだったが、里美は窓を開けて身を乗り出した。綾香も隣の窓から外を見ていた。ほかの生徒たちも窓際に集まってきた。
遠くの窓に綾香の姿を確認した陸は「三年二組の篠崎綾香さん!」また叫んだ。
ほかの教室の生徒たちもそれに気付いて窓を開けて騒ぎ出した。グランドの隅にある体育教官室からは数人の体育教師が飛び出してきて、何かを怒鳴りながら逃げまわる陸を追いかけている。生徒たちはそれを見て大笑いしながら騒いでいる。授業を受け持つ教師が席に座るように言っても誰も言うことを聞かない。そして俊足自慢の陸上部の顧問がついに陸を捕まえた。陸はそれを振り払おうとしながらまた叫んだ。
「篠崎綾香さん! 好きだ!」
陸は「好きだ! 好きだ! 好きだ!」と力の続く限り叫び続けた。
里美が綾香を見ると、顔を真っ赤にしてうつむいていた。
その日の放課後、校長や担任にたっぷりと絞られた陸は、さっきまで走りまわっていたグランドの真ん中を、肩を落としてとぼとぼと歩いていた。まわりを歩く名も知らない生徒たちがそれを見て、噂話をしながらクスクスと笑っていた。テニスコートからそれを見ていた綾香は陸のところへ走り寄り、申し訳なさそうに言った。
「陸くんごめん。でもありがとう」
 陸は見事にふられた。でも後悔はまったくなかった。自分にできる精一杯のことをやった。そこから陸は胸を張って歩いた。
 翌日の日曜日、陸は深大寺の境内にいた。
「よっ! ふられ男!」そう言って声を掛けてきたのは里美だった。
「またおまえかよ。どこにでも現れるな。だいたいなんでおれがここにいるって分かったんだよ」
「ふられ男をからかってやろうと思って、あんたの家に行ったら、お母さんが『深大寺へ行った』って教えてくれたんだよ」
「だからっていちいち来るなよな!」
里美は陸と話すときにしては珍しく真面目な顔で言った。「誰かを応援するのがチアリーダーでしょ。今までだってあんたの試合があるたびにずっと応援してきたじゃん。これからだって――」里美は意を決したように凛々しい表情で続けた。「――これからだってずっと応援してやるよ」
「それじゃあ恋人みたいじゃん」陸は笑いながら言った。
「バカ! 鈍感!」里美は口を尖らせて横を向いた。
二人のあいだに沈黙が流れた。それは決して気まずい沈黙ではなく、今までのこと、これからのことを思い、感情を噛みしめるような沈黙だった。
先に口を開いたのは陸だった。ポケットからクシャクシャになった映画のチケットを取り出して横を向いたままの里美の顔の前に突き出した。
「よかったら行くか?」
里美はその手を叩き落とし、「ほかの女の子を連れて行こうとしたチケットなんていらないわ。わたしを誘いたいなら新しいのを買ってきてよ」と言って、立ち上がった。そして足早に歩きだした。陸もすぐに立ち上がって里美のあとを追いかけた。
「新しいのを買ってきたら行くのかよ」
「ふざけないで! 誰があんたなんかと。頭を下げて頼むなら考えてやってもいいわ。でも変な勘違いしないでよ! サヨナラホームランでも打ったつもりでいるの? バカ!」
 里美は顔を真っ赤にして、そっぽを向いて歩き続けていた。
「いや、せいぜいサヨナラヒットでしょ」
陸はそう言って笑った。里美は陸の肩を力強く叩いた。そして二人は素直になれないまま歩き続けた。

この二人が付き合うようになるのは、もう少し先の話である。

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<著者紹介>
青木 太郎(東京都府中市/40歳/男性/自営業)

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