「大王さまの鬼灯」 著者:佐山 透

「これ、何て読むと思う?」
靖也が差し出したメモ用紙には、くせのある字で〈鬼灯〉と書かれてあった。
「あ、どっかで見たことある――」
 とりあえず口にしてから、考える。靖也はよくこうやってあたしに難しい漢字を出しては、読めるかどうか試すのだ。
「鬼にあかり、でしょ......うーん......」
必死で考えるあたしを、靖也は愉快そうに眺めている。きっと分からないと思ってるに違いない。ま、実際、大抵は分からないんだけど。でも、今日こそ絶対に当ててやる。
「あ、分かった」突然閃いた。「ちょうちん!」
「ブ―」口で音を出してから、靖也はワハハ、と笑った。「惜しいけどな。今、絶対当たってる、って思ったろ。鼻の穴膨らんでたぞ」
「うそ」あたしは慌てて鼻を抑えた。図星だったのが悔しい。「で、正解は何よ」
「正解はね、ホオズキ」
「ホオズキ?」素っ頓狂な声が出てしまう。「何で鬼の灯りがホオズキ? 嘘でしょ?」
 嘘と言われたことにムッとしたのか、靖也の表情が少し固くなる。「鬼に灯り、で、中国語で『小さな赤い提灯』を意味するんだ。英語でもホオズキはチャイニーズ・ランタン・プラントっていうんだって」
「ふーん、でも、何でホオズキって言うの?」
「昔の人が実を口に含んで音を鳴らしたことからきてるんだ。頬を膨らませて突きだすようにして鳴らすから、頬突き、ホオズキ」
「へぇー」
あたしがようやく感心した声を出すと、靖也は満足した表情になった。
「で、来週、深大寺でホオズキ市があるんだけど、一緒に行かないか?」
「えー、深大寺で? 行く行く!」
ホオズキ市はテレビのニュースで見たことがある。でも深大寺には子どもの頃から何度も行ってるのに、そんな催しがあるなんて知らなかった。
「始まったのは去年からだからね。まだ地元の人もあまり知らないんだ。今年はさらにいろいろ盛りだくさんで、食べられるホオズキも出るんだって」
「へー、ホオズキって食べれるんだ」
 さらに感心した声を出すと、靖也の鼻の穴が膨らんだ。

背後から厚い雲が追いかけてくる。自慢の赤いマウンテンバイクで最短距離を駆け、雨との競争に勝ってバイト先の居酒屋の裏に滑り込んだ。
ここでのバイトももう二年近くになる。高校を卒業していったんは事務の仕事に就いたんだけど、半年でやめた。今の仕事は性に合ってると思う。スタッフはみんないい人たちだし、接客も苦にならない。
靖也と出会ったのも、この店でだった。半年とちょっと前、彼は大学の二年生で、学校の仲間と飲みに来たのだ。お酒や料理を運ぶたびに声を掛けてくるので、最初は調子のいい奴ぐらいにしか思っていなかったのに、次の日に一人で飲みに来たから驚いた。常連さんばかりのカウンターで小さくなって、別人のように大人しく飲んでいたのがおかしかった。その日の帰りに携帯の番号を教えられ、付き合うようになったのだった。
「二番テーブル、生三丁に刺盛り、しんこ、唐揚げ、ほっけです!」
「あいよっ。早紀ちゃんはいつも元気だねー」
口開け客の注文を通すと、店長の大崎さんがニカっと笑う。あたしも笑みを返したけど、
本当はあまり元気じゃない。実は今、あたしには大きな悩みごとがあるのだ。
今月、まだ生理がきてない――。まだ十日ぐらいの遅れだけど、今までは三日と狂ったことがなかったから、正直焦る。まさか、とは思うけど、心当たりがないわけじゃない。お医者に行った方がいいのかな。何でも相談できる相手は一人いるけど、さすがにこんな話はできない。靖也には――おそらく、いや絶対に言えないだろう。

「へえ、深大寺で。そりゃあいいね」
ホオズキ市のことを話すと、「何でも相談できる人」は相好を崩した。
「昔はよくみんなで、誰が一番実を鳴らすのがうまいか競ったものよ」
「おばあちゃんも鳴らせたの?」
「もちろん。私は上手だったよ。あれはね、まず実の中身を全部出さなきゃダメなの。で、ホオズキの穴を下唇に当てて、前歯で軽く噛んでやるのがコツ。懐かしいねえ」
若い頃を思い出したのか、おばあちゃん――お母さんのお母さん――は遠くを見つめる目つきになった。
「今は、食べられるホオズキもあるんだって」
仕入れたばかりの豆知識を披露すると、「食べられる?」と眉間にしわが寄った。
「私たちの頃は、ホオズキは口に含んでも食べちゃいけない、って言われたもんだけどね」
「え、そうなの?」
「うん、毒だからって。特に妊婦は流産する恐れがあるから絶対食べちゃいけないってね」
どきん、とした。毒? 妊婦は流産する恐れ? 本当なの? 靖也はそれを知っていて、私に食べさそうとしているのだろうか......。

まさか、とは思ったけど、どうしても不安が消せなくて、携帯で「ホオズキ」を検索してみた。
〈一説に、果実を鳴らして遊ぶ子どもたちの頬の様子から「頬突き」と呼ばれるようになったという。漢字の「鬼灯」という字は中国語で小さな赤い提灯を意味し〉
何だ、と拍子抜けする。靖也が言ったことはみんなこれの受け入りじゃないか。「何でも知ってる」と思っていた自慢の彼氏が急激に色褪せてくる。解説はさらに続いていた。
〈妊娠中の女性が服用した場合、流産の恐れがある。江戸時代には堕胎剤として利用され〉
だたい。読めなくていい字に限って読めてしまう。おばあちゃんの言っていたことは本当だったんだ......。もう止めよう、と思うのにスクロールする指が止まらない。
〈ホオズキの花言葉 偽り、ごまかし 種と皮だけで「実がない」ことから〉
知らなくてもいいことを、また一つ知ってしまった。

 ホオズキ市のその日――。約束の時間はとうに過ぎているというのに、あたしは家のトイレで携帯をいじっていた。行こうかどうか決心のつかないまま、携帯は朝から電源を切ったままだ。きっと靖也からの着信がいっぱいあるに違いない。いや、もしかしたら何もないのかもしれない。とりあえず確かめてみようと電源を入れた拍子に手が滑った。
あ、と思う間もなく携帯はトイレにドボン。慌てて拾おうとした瞬間、ふいにその感覚がやってきた――。
 二週間遅れで、生理はきた。その安堵と、携帯をオシャカにしてしまった落胆とが入り混じった思いでトイレから出た時、外から帰ってきたおばあちゃんと出くわした。
ホオズキの小さな鉢をぶら下げている。
「おばあちゃん、ホオズキ市行ったの!」
「うん。あんたまだなの? 彼氏と一緒に行ったんじゃないの?」
「え、なんで?」おばあちゃんには靖也に誘われたことは言ってないのに。
「だって、ほら。ここに書いてあるよ」鉢に刺さった小さな札をこちらに見せた。「ホオズキの花言葉。『私を誘って』だって」

 赤いマウンテンバイクで、調布の町を駆け抜ける。なんて馬鹿だったんだ。花言葉なんていろいろある。物の見方も、人の言動だって、捉え方一つで全然違ってしまう。生理がこない不安でいつの間にか疑心暗鬼になって、靖也のことを信じられなくなっていたんだ。
 深大寺に着いて時計を見ると、もう市は終わっている時間だった。参道のそば屋も店仕舞いをして、参道には人影もまばらだ。いなくてもいい。いや、ゼッタイにいないだろう。でも、もしまだ待っていてくれたら――。
ホオズキ市のメイン会場である深沙堂の前のベンチに、ぽつんと座る彼の姿があった。その手には、小さなホオズキの鉢が一つぶら下がっている。安堵と嬉しさで腰が抜けそうになったあたしに、靖也は一言、「遅い」と言った。

深沙大王社に、二人で手を合わせた。
「あーあ、せっかくホオズキのプリンを食べさせてやろうと思ったのにな」
「でも、ホオズキは食べちゃいけないんじゃないの?」
「食用ホオズキっていうのが別にあるんだよ」靖也はいつもの得意顔で言う。「別名フルーツトマトっていって、フランスじゃあケーキ屋のお菓子なんかに使われるポピュラーな食材なんだぜ」
「ふーん」
クスッと笑ったあたしを靖也が怪訝な顔で見る。どうせそれもネットの受け入りなんでしょ。でも、いいよ。そうやっていろんなことを調べて教えてくれるのは、好きな相手にいいところを見せたいからだよね。
それに、靖也が知らないことであたしが知っていることもある。
深大寺が縁結びのお寺で、その中でも特に深沙大王さまは、恋愛成就の神様だってこと。
 靖也がホオズキの実を一つ取って、口に当てている。「あれ、鳴らないな」なんて首をひねっている。
「ホオズキを鳴らすにはコツがあるんだよ」
 靖也から奪った赤い灯りが、手の中で小さく灯った。

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<著者紹介>
佐山 透(東京都杉並区/48歳/男性/フリーランスライター)

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