<第5回応募作品>「雨の深大寺と新しい夢」 著者: 青山 祥

「6月の過ごし方が、わたしの課題なんです」

 助手席の加藤美樹は呟くように言った。
 僕は黙って車を運転していた。
 車は調布駅に向かっていた。
 信号は青に変わろうとしていて、前には中央道の高架橋が、横には白い紫陽花が見えた。

 「青山さん、6月は好きですか?」
 「好きだよ」
 「どうして?」
 「どうしてだろう」
 「私は嫌いなんです」
 「どうして?」
 「まず、祝日が無いじゃないですか。それに、天気は良くなくて気持ちが晴れないんです。わかります? この気持ち」
 「なんとなくわかるよ」
 「だけど、もっと他に理由はあるんですよ」
 「他には何?」 
僕が尋ねても、加藤美樹は黙って窓の外を見続けていた。
 加藤美樹は、このとき大学2年生だった。調布駅から京王相模原線で数駅行ったところにある女子大に通っていた。
 僕は、加藤美樹を最初は調布駅まで送っていたが、数ヶ月もすると家まで送るようになっていた。

加藤美樹と僕は、喫茶店の店主とアルバイトという関係だった。ただ、そうじゃなくなるかもしれない夜があった。

 「今夜は帰りたくないんです」
 助手席に座ってすぐに、加藤美樹は言った。
 「どうして?」
 「面倒くさいんです。もう何もかも」
 僕は理由を聞かなかった。
 「今夜は、青山さんの家に泊めてもらえませんか?」
 「構わないよ」
 僕はそう言って、加藤美樹の住むマンションの前に車を止めた。
 加藤美樹は黙って車を降りて、自分の部屋に帰っていった。

 その夜の後も、加藤美樹は何事も無かったかのように僕の店で働いてくれていた。

 加藤美樹は、大学を卒業すると、6月が一番忙しいはずのブライダル業界に就職した。
 喫茶店を辞める日に、加藤美樹は自分で描いた小さな絵を壁に掛けていった。水彩絵の具で描かれた、薄いピンクのスィートピーの花の絵だった。

 「絶対に遊びに来ますからね、それまでお店やっててくださいね」

 加藤美樹はそう言ったが、就職してからは会っていない。一度くらいは本当に遊びに来るつもりだったのかもしれない。

 でも、僕はもうそれを確かめることはできない。

 喫茶店を閉めることにしたからだ。

 加藤美樹が僕の店を辞めて、まだ3ヶ月も経っていない6月のことだった。

       *

 『6月の深大寺に来ると幸せになれる』

 そう、喫茶店に来た夫婦は言った。

 「昔から、そう言われているんだよ。特に雨の降る6月が良いんだ」
 「初めて聞きましたよ」と、僕は言った。
 「地元の人は言わないのかもしれないね。だけど、とにかくそうなんだよ」
 「何より私たちが証拠よ。結ばれた二人がさらに強く本当に結ばれて幸せになるには、雨の中を二人で一つの傘に入ってお参りするのが良いの」
 「それには、6月の梅雨の時期が適しているんですね?」
 「そうよ」
 「そのお参りした日に結婚を決めたんですか?」と彼女は質問した。
 「そうだよ」
 「だから、毎年6月になると深大寺にお参りに来るようにしているのよ」
 「うらやましい」彼女は微笑んで言った。
 「あなた達もそうでしょう?」
 「私たち、入籍はまだなんです」
 「あら、一緒にお店をやっているのに?」
 「私はプロポーズしているんですけど、彼が受け入れてくれなくて」
 「逆ですよ」と僕は言った。
 「まあ、結婚しているようなものだろう。あとは紙に書くか書かないかだけの問題だからな」

 しかし、紙に書かれることはなく、彼女は僕の前からいなくなった。

 この喫茶店は彼女と始めたものだった。学生時代から、お互い協力してお金を貯めて開いたのだ。
 僕は、この街にある大学で電子工学を勉強するために地方から上京してきた。彼女は生まれも育ちもこの街で、高校を卒業すると、新宿にある製菓

の専門学校に通っていた。
 彼女と僕は、共通の知人を通して知り合った。
 彼女の夢はケーキの美味しい喫茶店を開くことだった。当時、将来をろくに考えていなかった僕は、彼女の夢に引きずられるようにしてアルバイトに

明け暮れ、大学を中退した。

 喫茶店は小さかったが、それなりに繁盛していた。京王線の駅からも遠く、深大寺や植物公園からも少し離れているのに何とかやっていけたのは、

彼女の作るケーキのおかげだった。
彼女の夢は現実になった。
しかし、開店して5年目に彼女はいなくなった。彼女がいなくなると、もともと彼女の夢だったこの喫茶店は、夢の抜け殻になってしまった。
彼女の夢も、彼女といっしょにしてあげたほうがいい―僕はそう考えて、喫茶店の窓に閉店を知らせる張り紙を出した。

 その張り紙を貼った翌日のことだった。
 「本当に、このお店を閉めちゃうんですか?」二人組みの女の子のお客さんのうち一人が聞いてきた。
 「名物のケーキが出せなくなってしまいましたから」
 「でも、マスターさんの作るケーキも美味しいですよ」
 「一人だと、いろいろと大変なんです」
 「じゃあ、わたしがアルバイトとして手伝います。大丈夫ですよ、わたし体力には自信がありますから」
 そう宣言すると、加藤美樹は次の日から僕の店にアルバイトに来てくれることになった。
加藤美樹は、それから2年間ほぼ毎日働いてくれた。
       *

しかし、加藤美樹が大学を卒業し就職して喫茶店を去ってしまうと、今度こそ僕は一人になった。加藤美樹が描いたスィートピーの絵は、僕をさらに孤

独にさせた。
僕は一人で喫茶店にいることに耐えられなくなっていた。
 それと同時に僕は一人にもなりたかった。
 僕は店を閉めてからは、しばらく一人で部屋に居ようと決めた。お金には少しだけ余裕があった。しかし、先のことなんて考えたくなかった。これまで

のことを考えたかった。

 喫茶店を閉めて一週間後の雨の強く降る昼間に、加藤美樹から電話がかかってきた。僕はまだ寝ていたが、出ることにした。
 「青山さん、お店閉めたんですか?」
 僕しかいない僕の部屋に、受話器越しの加藤美樹の声が響いた。
 「どうしてですか?」
 「電話では説明出来ないんだ」
 「じゃあ、今からわたし行きますから。お店にいてくださいね」

 そう言うと1時間後に、加藤美樹は本当にやって来た。
 「仕事はどうしたの? 6月は特に忙しいんだろう」
 「仕事なんて、もうどうでもいいんです」
 加藤美樹は僕に閉店の理由を聞かなかった。
 「青山さん、それより深大寺にお参りに行きません?」
 「どうして?」
 「わたし、お願いしたいことがあるんです」
 「何を?」
 「わたしの夢をです」
 「どういう夢なの?」
 加藤美樹は、僕の耳元で加藤美樹の夢を囁いた。

 それから、加藤美樹と僕は外に出た。加藤美樹は自分の傘を持たずに、僕の傘の中に入ってきた。

 僕たち二人は一つの傘の下、雨の深大寺へと向かって歩いていった。

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<著者紹介>
青山 祥(神奈川県川崎市/25歳/男性)

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