<第5回応募作品>「二日酔いの朝に」 著者: 吉田 大祐

 六月の半ば、毎日雨が降っていた。テニスサークルの練習も中止ばかり。俺は思い切り暴れたくて、うずうずしていた。
 それに、気になることがあった。美紀の様子がおかしい。ジャーナリズム概論の講義に、三回連続して出て来なかった。いつも一番前の席で、熱心にノートを取っていたというのに。サークルの部室にも顔を出さない。学内のカフェテリアで見掛けた時も、隅のテーブルにひとりで座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。俺は「似合わねえな」と声を掛けたかったが、できなかった。
美紀はいつも友達の輪の中にいた。元気で、よく笑っていた。それが今は、ひとりにしてくれ、放っておいてくれ、という見えない壁を築いて、その中に閉じこもっている。

夏休み前の期末試験が近付いて、慌しくなった。美紀にまったく会わない日々が続いた。試験期間の最終日に、サークルの慰労会が吉祥寺の居酒屋で催され、久し振りに美紀は姿を見せたのだが、少し痩せて頬がこけ、顔色もすぐれなかった。試験やつれした、というのでもなさそうな気がした。
俺は少し離れたテーブルに座り、目の端で様子を窺った。美紀は時折グラスを手に持ったまま動かなかったり、「ねえ、美紀」と肩を叩かれて「えっ、何?」と聞き返し、「もう、聞いてないし」と呆れられたりしていた。酒が入って周りが盛り上がるにつれて、彼女だけが取り残され、沈み込んでいくように思えた。
「ちょっと美紀、飲みすぎだよ」
隣に座った春香が、グラスを取り上げようとした。俺は美紀の顔を、まじまじと見てしまった。あいつは目をそらせた。
二時間ほどで宴会はお開きになった。美紀は「帰ろうよ」と誘われても「もう少し飲んでいたい」と言い通した。もう一軒の居酒屋で二次会、ショットバーに移動して三次会。最後まで付き合った女子は、酒豪の鈴木先輩の他には美紀だけだった。
俺は彼女の隣に座って、好きな映画の話などをしたが、続かなかった。黙ってウィスキーのロックをちびちびと飲んだ。
「やばい、終電」と誰かが言い、店の外に出た。美紀は少しふらつきながら、駅とは反対方向に歩き始めた。俺は横に並んで「大丈夫かよ」と声を掛けた。あいつは、俺の腕をつかんだ。歩くのをやめ、俺の顔をじっと見つめた。それから、がくりと首を折り、こちらにもたれ掛かってきた。俺の腕を、しっかりと胸に抱き寄せている。
「酔ってるでしょ」
「酔ってるよ」
「家まで送る」
雨が、またパラついてきた。タクシーを止めようと大通りに歩きかけたが、美紀は俺の肩をつかんで「嫌だ、帰らない」と言った。

結局、俺は美紀を部屋に連れてきてしまった。なぜか今日に限って、掃除機を掛けてあった。ゴミも出したし、溜まっていた洗濯物も片付けてあった。内心ホッとしつつ、俺は先に立って中に入り、食卓であり勉強机でもあるテーブルの前に座った。
美紀は少してこずりながら靴を脱ぎ、ドサリ、という感じで俺の横に腰を下ろした。部屋を見回そうともせず、テーブルの一点を見つめていた。
「飲み直すか」
俺は本棚に置いてある、実家からくすねてきた、とっておきのスコッチウィスキーに手を伸ばした。
「それとも、麦茶か何か......」
「ごめん、やっぱり帰る」
美紀はバッグをつかんで、立ち上がろうとした。
「待てよ」
あいつの腕を引っ張っていた。美紀はよろけて、俺は背中を抱きとめたのだが、ハッとして、すぐに彼女から離れた。
「いや......帰るのは、いいんだけど。おかしいじゃない、最近。何、悩んでるんだよ」
美紀は唇を噛み、顔をそむけた。
「話、聞くって。俺でよかったら、話、聞くって」
そう言って、肩に手を置くと、彼女は泣き出した。泣きながら、俺の胸に頭を押し付けてきた。甘い香りがした。俺はそっと、肩を抱いた。
しばらくたって、美紀は泣き止んだ。俺は冷蔵庫から麦茶を出してきて、飲ませた。
「好きな人がいたの」
「えっ?」
「でも、彼は......私だけじゃなかったの」
相手は、フリーの報道カメラマンだった。新聞社でアルバイトをしていて、知り合ったのだという。恋愛の打ち明け話だなんて、最悪だ。それなのに俺は「うん、それで」なんて、言っていた。
男はだいぶ年上だったが、美紀は本気で好きになった。「大事にされて、勘違いしたの」と言った。しばらくして、男に、他にも女がいることに気付いた。それからは、男に会うのが辛くなった。「私、知ってるんだからね」と責め立てることも出来なかった。男から何度もメールが来たが、返事をしていない。もう二度と、同じ気持ちになれない......
土砂降りの雨が、屋根を叩いていた。美紀は毛布に包まって、静かに眠っていた。話し終えて、急に酒が回ったらしく、倒れ込むように横になったのだ。俺はひとり、ウィスキーをあおった。気を失うように、酔い潰れてしまえばいい。そう思って、飲み続けた。
自分のいびきが途切れて目が覚めた。部屋の中が明るかった。ぼやけた視界の中に、美紀の背中が見えた。音を消してテレビを見ていた。俺が起き上がると、あいつはテレビを消した。沈んだ声で「昨日はごめんなさい」と言った。
「酔っ払って、嫌な話、聞かせて......本当、迷惑かけちゃったね」
「迷惑だなんて、思ってねえよ。......嬉しかったよ、話してくれて」

それから、俺たちはバスに乗って出掛けた。雨は上がっていたし、気晴らしに、近くの深大寺を散歩しよう、と美紀を誘ったのだ。
バス停のすぐ横には、門前蕎麦屋が並んでいた。美紀は「おなか空いた。お蕎麦食べよう」と言って、俺の腕を引っ張った。
蕎麦は、ウィスキーでただれた胃にもやさしく、うまいと感じた。美紀はよくしゃべった。俺は専ら聞き役だったが、嫌ではなかった。二人だけで出掛けるのは初めてなのに、何度もこうして、テーブルを挟んで食事をしたことがあるように思えた。
美紀がその男に出会わなければよかった。せめて、聞かなければ、知らなければよかった。俺は蕎麦を、もくもくとすすった。
蕎麦屋を出て、参道を歩いた。空は厚い雲に覆われ、ひんやりとしていた。雨で落ちたのか、柳の葉が道一杯に敷き詰められていた。濡れた濃い緑の世界が、俺たちを囲んでいた。
藁葺屋根の山門をくぐり、深大寺の境内に入ると、太鼓と鐘の音が聞こえてきた。俺達は引き寄せられるように、本堂奥の大師堂へ歩いて行った。
階段を登って行くと、賽銭箱の前で、老夫婦が熱心に手を合わせていた。堂の中にも、数人の男女が正座をして、祈祷を受けていた。三人の僧が並んで経を読む祭壇の左手には、もうひとつ別の祭壇があって、白装束の僧が火を焚いていた。
「ああ、これが護摩だ」
「ごま?」
俺は賽銭箱の横に置かれた護摩木を手に取った。
「これに願い事を書いて、あそこで燃やしてもらう。煙が天に昇って、願いが叶う」
「へえ、詳しいね」
「教養科目『仏教の世界』。おととい試験だったからな」
祭壇の炎は赤々と燃えて、時折、高く火の粉を吹き上げていた。
「護摩には、心の中の煩悩とか業とかを、焼き払う、っていう意味もあるらしいぜ」
「煩悩......」
しまった。つい、調子に乗って、余計なことを言ってしまった。美紀は炎をじっと見つめ、それから目を閉じた。胸の前で手を合わせ、動かない。俺はその真剣な横顔を見ていられなくなって、その場を離れた。
境内を、ひとりで歩いた。沢山の絵馬が奉納されていた。そのいくつかを、なんとなく読んだ。俺は今、何を願うのだろう。美紀は、何を祈っているのだろう。
鯉の泳ぐ池の横を通り、また階段を登って戻って来た。美紀は堂の脇にしゃがんで、猫の背中を撫でていた。俺が近付くと、茶虎模様のその猫は、腹を見せて大きく伸びをした。
「あ、寝ちゃったよ、この子」
美紀は俺を見上げて笑った。
「なあ、植物園に行ってみないか。きっと、バラがきれいだぜ」
「うん」
彼女はそう答えて立ち上がった。まあ、ゆっくりいこうか、と俺は思った。

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<著者紹介>
吉田 大祐(東京都三鷹市/38歳/男性/会社員)

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