<第5回応募作品>「道の途中で。」 著者: 弥山 浩子

 深大寺の森で遊ぶ風が、ナンジャモンジャの白い花を揺らして山門を通り抜けたとき、黄色い帽子を被った小学生たちがちょうど学校から帰って来たところでした。参道に並んだ蕎麦屋の主人や土産物屋の奥さんたちが、おかえりなさいと声をかけています。子どもたちの黄色い帽子が道いっぱいに咲くたんぽぽみたいに見えて嬉しくなった風は少しはしゃいで、ついうっかり女の子の帽子をひとつ飛ばしてしまいました。そこへ、ひとりのおばあさんが通りかかりました。
「まあ、たいへん。帽子が落ちましたよ。」
深大寺でお参りをすませたばかりのかえさんです。あわてて追いかけようとしましたが、年をとって思うように動かなくなった足は杖をついて歩くのがやっとでした。そのとき、ひょろりと背の高いおじいさんが帽子を拾い上げました。三日にいっぺんは深大寺に散歩にやって来る清司さんです。清司さんは帽子に名前を見つけると、大きな声で女の子を呼びとめました。女の子はすぐ走って来て帽子を受け取ると、
「ありがとう。」
と言って、友だちのところへ戻って行きました。清司さんとかえさんは、やれやれといった顔でにっこり笑うと、どちらからともなくベンチに腰掛けました。風は、生まれたばかりのやわらかな木の葉をそっとゆらして、キラキラと輝く光の粒をふたりの上に降らせました。かえさんが、
「いいところですねえ、ここは。」
と言うと、清司さんも、
「いいところですよ。ここは。」
と答えました。気持ちのいい風に吹かれて、かえさんはゆっくりと話を始めました。
「ずっと田舎で暮らしていたんです。でも、ひとりになってしまったものですから、息子のいるこちらに越して来たんです。驚いたわ。ここにはね、私が生れ育った山に咲いていた花がたくさん咲いているんですもの。」
「ほう。その感じ、少しわかる気がしますなあ。私も昔、小さい兄弟たちを連れて田舎に疎開していましたからね。あれから、もう何十年になるやら。自分の年まで忘れそうなくらい年をとりましたなあ。」
頭をかきながら笑う清司さんの髪は白く、顔には深い皺が刻まれています。
「ええ、私も。」
口元をおさえて笑う、かえさんの手には長い間、家族の食卓を守りつづけてきた証のような色が滲んでいました。それから、かえさんは、さっき見てきたばかりの草花のことを、清司さんは植物園に咲く藤の甘い香りや温室に咲く睡蓮の花の話などをしました。やがて、話は家族のことになって、清司さんが疎開していた頃のこと、かえさんが暮らした山のことなど、時間が過ぎるのも忘れておしゃべりをしました。かえさんは息子の家族と一緒に暮らしていましたが、みんな働いていて忙しく、ゆっくり話をする時間もありませんでした。清司さんは娘の家族が近くに住んでいましたが、いつもはひとりで暮らしていましたから、誰とも話をしないで一日が終ることもありました。さっきまで知らなかった誰かと親しくおしゃべりするなんて、まるで若い頃のようだと、清司さんは胸の奥で眠っていた小さな種が、そっと芽を出したような不思議な気持ちになりました。かえさんがまだ植物園に行っていないことを知ると、清司さんは季節ごとに咲くたくさんの花を見せてあげたいと思いました。
「もうすぐ薔薇の花が咲いて、そりゃあみごとですよ。じきに蕎麦の種も蒔かれるし、水性植物園では田植えもしますよ。よかったら、ご案内しますよ。」
「まあ、楽しみ。私は足が丈夫でないものだから、少しずつ行ってみることにしましょ。」
太陽が西に傾いた頃、かえさんはふいに時計を見てあわてた様子で言いました。
「あら、もうこんな時間。帰らなくちゃ。」
かえさんは丁寧にお辞儀をすると杖をつきながら帰って行きました。清司さんはかえさんを見送った後で、大切なことを忘れていたことに気がつきました。植物園を案内してあげる約束をしたのに連絡先を伝えていなかったのです。清司さんはしまったなあと思いましたが、きっとまた会えるだろうと気をとり直したとき、ベンチの上に藤色の巾着袋を見つけました。手にとってみると紐が緩んで中から絵筆がころりと転がり出ました。袋の中には水彩色鉛筆と小さなノートが入っていました。ノートは花の絵でいっぱいでした。たんぽぽ、はこべ、シロツメクサにシャガの花。かえさんが描いた優しい色使いのきれいな花の絵を、清司さんはいつまでも眺めていたのでした。
 それから、植物園に薔薇の花が咲き、城跡の山に蕎麦の種が蒔かれ、水性植物園の水田に稲の苗が植えられ、紫陽花が咲く頃になっても、清司さんはかえさんに会うことができませんでした。清司さんはかえさんが忘れて行った巾着袋を持って何度も深大寺を散歩しましたが、七夕を過ぎてもかえさんを見つけることができませんでした。そして、暑すぎる夏と、ゲリラ豪雨が度々やって来て、清司さんは散歩に行けない日が多くなりました。夏バテをして体調がすぐれない日はかえさんの絵を眺めながら今度会えたらどんな話をしようかと考えました。
やがて萩の花が咲く頃、清司さんはいつものように散歩に出かけることができるようになって、深大寺に行く度お参りをしました。
「かえさんが元気でいますように。また会って、かえさんにこの絵を返すことができますように。」
元三大師堂には、るんびに様と呼ばれる仏像が人々の健康を願って座っておられます。痛いところを撫でると治ると言われています。清司さんは、るんびに様の膝を撫でて、かえさんがまた散歩に来ることができますようにと願いました。
 そんなある日のことす。秋の風が森を抜けて木の葉を落としていく午後のことです。遠足に出かけた帰りの小学生たちがリュックを背負って帰って来るところでした。ひとりの女の子が転んで泣いていると、ベンチにすわって休んでいたおばあさんが女の子に手を貸して、しゃくり上げる背中を優しく撫でてあげていました。女の子はおばあさんに何かを手渡すと、また友だちのところに駆けていきました。おばあさんは、かえさんでした。
「やっと、お会いできましたね。」
清司さんは、かえさんを見つけました。
「まあ。」
かえさんは嬉しそうに笑いました。
「女の子がね。これをくれたのですよ。」
おばあさんの乾いた手のひらにはどんぐりがひとつ、残されていました。
「すてきな贈り物ですね。それじゃあ、そのどんぐりも描かないといけませんね。」
清司さんは自分の小さな手提げ鞄から巾着袋を取り出すとかえさんに手渡しました。
「まあ、なんてことでしょう。」
おばあさんは何処で忘れて来てしまったかもわからなくて、すっかりあきらめていた巾着袋に驚きました。
「ずっと持ち歩いていたのですよ。お返しできてよかった。ですが、ひとつ謝らなければならないことがあるのです。実は、その中身を見てしまったのです。すいません。」
「まあ、恥ずかしい。でも、大切にとっておいてくださったのね。どうもありがとう。」
それから、清司さんはかえさんのことを心配しながら過ごした季節の話をしました。かえさんは体を壊して入院していた話をしました。入院している間、送る宛ても無いはがきに絵を描いて、それがたくさんになってしまったことも話しました。
「もったいないことですな。私もそんな便りを貰ってみたいものです。」
清司さんが小さくつぶやくと、かえさんは、もっと小さな声で言いました。
「貰っていただけますか?」
「もちろんですとも。」
清司さんは嬉しそうに頷きました。
「だれかに貰ってもらえるなんて、なんて嬉しいことでしょう。」
かえさんはまるで少女のように笑いました。
「道の途中できれいな花をみつけたみたいに嬉しいことが、元気でいたら、まだまだあるものなのね。」
「ええ、ありますとも。まだまだ、道の途中ですからな。そう言えば、いつか話した田んぼにご案内しましょう。稲刈りがすんだ頃だと思いますよ。足の具合はいかがですか。」
「おかげさまで、この頃は調子がいいのですよ。ですから今日は杖も持たず来たのです。」
 清司さんはかえさんを気づかいながらゆっくりと歩きました。水性植物園の田んぼの脇には、高くて大きな梯子のように組まれた木に、刈り取られた稲がかけられていました。
「懐かしいわ。山の家に帰ったようだわ。」
かえさんは稲に顔をつけると、人生のほとんどを一緒に過ごしたその匂いを吸い込みました。数えることも面倒になるくらい、いくつもの季節を生きてきたのです。何か大切なものを胸に抱きしめるようなかえさんに、清司さんは何も聞かず、静かに言いました。
「春になったら、蕎麦といっしょに山菜のてんぷらを食べさせてくれるところがあるんですよ。お互いに冬を元気に越えて、春にはきっと一緒に行きましょう。」
「ええ。それは、楽しみだわ。」
かえさんはもう誰もいない故郷につづく空を見上げました。遠い昨日と今日を結ぶように空はどこまでも広く高く澄んでいました。風がふたりの肩を優しく撫でて吹いて行きます。ススキの穂が揺れて、足下では虫たちが唄い、アキアカネがふたりの散歩道を静かに飛んで行くのでした。

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<著者紹介>
弥山 浩子(東京都西東京市/45歳/女性/主婦)

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