<第5回応募作品>「もしも偶然に」 著者: 北沢 まどか

 暮れもさし迫った、とある日のことである。
「初詣は、いつもどこに行くの?」
 赤坂にあるビルの三十八階の窓から、眼下の首都高速を眺めながら緑川祐次は、そう由希子に訊ねた。あと十数分たらずで昼休みが終わろうとしている時だった。
「小さい頃は、明治神宮や門前仲町の富岡八幡宮とかに行ってましたけど、ある年から深大寺に行きはじめて、それからずっと深大寺なんです」
「深大寺か......」
 コーヒーカップを持ったまま緑川は感慨深げにそういった。
「自宅から近いの?」
「近いといえば近いかも。世田谷通りから甲州街道に抜け、三十分足らずで行けますから」
「車で行ってるんだ」
「ええ」
 初詣はいつもどこも混んでいる。深大寺は面倒くさがり屋の父、光雄が、車で乗りつけられる唯一都合の良い場所だった。元旦、おせちを食べながら年賀状に目を通し、前の年に買ったお札や破魔矢をあちこちから集め、それからのろのろと出かけて行くのだ。深大寺につく頃には辺りはすでに暮れはじめている。どこから湧いてきたかと思うほどの沿道を歩く参拝客を尻目に、助手席の母、幸子が必死になって駐車場を探すのだ。お参りを終え破魔矢を手にして帰る人々を後部座席から眺めながら、今年もまた父は、お参りを終えた後いつもの蕎麦屋に入るんだろうな......と、由希子は想像する。誰が決めたわけでもないのに、そういう何でもない慣わしがその家の歴史みたいになるのかもしれない。本堂の前でたくさんの参拝者に押されながら、真剣に手を合わせる母の願いごとは、家内安全はもとより、子どもの受験や就職祈願だったり、そして、ここ数年は適齢期を少し過ぎた由希子の良縁祈願へと移行していた。
「深大寺って、どうやら縁結びのお寺として有名みたいよ」
 本当かどうかは知らないが、深大寺に伝わる「縁起絵巻」というのに記されてあるそうな。由希子が結婚しないかぎり、母の願いごとはこの先もずっと由希子の良縁祈願につきるのだろう。たまったものじゃないと由希子は思っている。
「実は、以前、僕もよく深大寺に行ってたよ」
「そういえば、お住まいは吉祥寺でしたね」
「ああ。学生時代からずっと住んでたから、それこそ初詣はいつも深大寺だった。でも三年前に所沢に引っ越してからは、とんとご無沙汰でね」
 既婚の緑川が、妻と離婚して吉祥寺のマンションを引き払ったというのをいつか誰かから耳にしたことがあった。三十五歳、バツイチ独身。

 入社して初めて緑川に会った時のことを由希子はよくおぼえている。仕事のことで頭がいっぱいだったのか、新入社員の若い娘のことなんてまるで興味がないといわんばかりに、素っ気ない態度だった。会社は外資系の機器メーカーだけあって、社員の誰もがパソコンの技術は高かったし、逐一なににつけても合理的であった。社員はみな社員証とピッチを首にぶら下げている。外部から電話が入るとオフィスの窓側のスピーカーから着信音が鳴り、誰かがピッチにでて対応する。つまり、内線というものがなく電話交換手がいないのだ。何もかもがはじめての経験の由希子にとって、ピッチで外部と対応することさえも戸惑いと不安がつきまとった。そんな時、緑川は何も言わずにさり気なく由希子を助けてくれた。ピッチを持って言いよどむ由希子に代わって、素早く対応してくれたのは一度や二度ではない。新入社員というだけでちやほやする他の男性社員とは違って、緑川は甘やかすことも叱咤もしないかわりに興味も示さなかった。自分を見せないばかりか他人の心の中にずけずけと入ってこない。そんなクールな距離を保ちながら六年の月日が過ぎていた。由希子には淡々と過ぎていった六年だが、人によっては子どもが生まれてから小学生になるくらいの年月である。緑川にしてみても離婚も含めてさまざまな生活の変化はあったはずである。その緑川が、ほとんどの社員が外に食事に行っている昼休みに、どういう風の吹きまわしなのか、珍しくそんなふうに由希子に話しかけてきたのだ。しかもこんな提案までしてきた。
「こういうゲームしてみないか? とにかく初詣は深大寺と決め、時間も場所も決めずに、そこで偶然会えるものなのかどうか、試してみない?」
「あら、面白そうですね。で、もし偶然会えたとしたら?」
「そうだな。僕の嫁さんにでもなるか?」
 紙コップのコーヒーを飲みながら、緑川は冗談とも本当とも思えるそんな言葉を口にして笑い飛ばした。しかし、由希子にとってそれはまんざらでもなかった。

 やがて年が明けた。いつものように父や母、そして弟の四人で深大寺に向かう。
「まったくもう......。今年こそは家族がもう一人増えているかと期待していたのに、飽きもせずまたこの顔ぶれね」
 そう母がいうと、弟の和也は眠たそうな顔で、「今年こそ、最後かもよ」といった。由希子とて今まで一度も恋人がいなかったわけではない。それなりに何度か恋愛を経験している。ただし、いつも一年と続かず、春から夏にかけて付き合い秋に別れるパターンが多かった。だからクリスマスもお正月も女友達か家族とすごすのが恒例になってしまっている。
茅葺の山門をくぐり、本堂の前でお参りをすませ、元三大師堂に向かって歩き始めたその時だった。「なんじゃもんじゃの木」の下にいる一人の男に由希子は目をとめた。その人はブルゾンにジーンズ、それにトレッキングシューズを履き、いたってラフな格好だ。しかも由希子と目が合うと笑いかけてきた。   
「緑川......さん?」
 由希子は茫然と立ち尽くして、見慣れない普段着姿の緑川をじろじろ眺めた。本堂の前で参拝者にもみくちゃにされていた母がやっと人垣から抜け出したところである。父はすでにいつもどおり、お札やお御籤を買うために売場に並んでいる。そんな二人をそれぞれに目で追いながら、由希子は緑川と「明けましておめでとうございます」と、新年の挨拶を交わした。いつも同じ職場でいやっというほど顔を突き合わせているのに、何故か妙に気恥ずかしい。これはいったいどういうことなのだろう。 
「偶然ですね」
「いや、本当。奇遇だ」
 都心のオフィスビルで寡黙に仕事をする緑川とはまるで別人のようだ。彼は、いつも自分を縛り続けている全てのものから開放されているとばかりに、実に穏やかで良い表情をしている。気がつくと母が後ろから由希子のコートを引っぱっているが、由希子はそれどころではない。もしも偶然に出会えたのなら、お嫁さんにしてくれると彼はいっていた。しかし、よく考えてみると、本堂のお参りをすませたあとは、誰もが必ずこの「なんじゃもんじゃの木」の下を通る。時間さえ違わなかったら、会える可能性はかなり高かったはずだ。お神籤を手に戻ってきた父に、母がひそひそと囁いているのが聴こえた。
「今年は、ご利益が早かったみたいよ」
「いやはや、俺の今年のお御籤も、待ち人来たる、だ」
 暮れかかる境内には、冬の夕ぐれの凛とした冷気が漂いはじめている。由起子が家族に緑川を会社の上司であることを紹介すると、母は気を利かしたつもりなのか、父と弟をいつもの蕎麦屋に引きずっていった。
「どうやら、君のご家族に何か感ちがいをされたみたいだね」
 緑川が笑いながら由希子にそういった。
「だって、毎年ここで娘の良縁願いをしてるんですよ」
「そうだったんだ。じゃ、やっぱり僕のお嫁さんになる? いや、なってくれないかな?」
 神様仏様の前だ。その言葉に嘘はないだろう。彼のことは嫌いではなかった。それどころかむしろ好きだった。しかし、緑川はいつも仕事に熱中していて異性のことなどにはまったく眼中にはないという感じであった。この人を振り向かせるのは至難の業だろうと由紀子は諦めていたのだ。それが突然、つき合いもなしに求婚されている。由希子は、戸惑いながらも「はい」と返事をしていた。
 これぞまさしく、母の長年の良縁祈願のご利益かもしれない。由希子は緑川と境内を歩きながらそう確信していた。

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<著者紹介>
北沢 まどか(東京都世田谷区/52歳/女性/主婦)

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