<第5回応募作品>「吹き抜けた爽風」 著者: 内田 東良

 僕の住む調布の小島町の自宅から深大寺まではチャリなら十分ほどで行ける。
 その日は十二月に入って最初の日曜日。底冷えはしても陽だまりは温かい日だった。
 ジーンズのジャンパーを羽織った僕は、愛チャリのアンカースポーツに乗って深大寺に向かった。
 一週間前までは就職が決まらず悶々としていたがようやく内定を得てペタルを踏む足も軽快だった。小学校三年のときにここに引越してから十年以上も経ち調布が故郷になった。
 深大寺と神代植物公園は僕の遊び場だ。気分がいいときも落ち込んでいるときもいつもここに来た。蕎麦好きの僕は子どものころは親に連れられて食べに来たが、大学に入ってからは一人でも来るようになった。
 僕の心境を反映しているかのように深大寺は一ヶ月前に来たときの憂鬱な秋の空から新年を間近に控え新しい息吹を感じさせる空になっていた。
 お蕎麦屋さんが立ち並ぶ小道を少し歩いてからはずれにあるお店に入った。晴れた日曜日の昼だったのでお客は八割程度入っていた。たまたま空いていた右奥の二人用のテーブルに座り、定番のざる蕎麦を頼んだ。
 すぐ右隣のテーブルには若い女性二人が温かいそばをすすっていて、友だち同士らしく食べるよりも話のほうに夢中だった。僕の真向かいの人はよく見ると左手に箸を持っていた。ピンクのワンピースの下は濃紺のジーンズで椅子の背もたれにベージュのコートをかけていた。薄化粧の顔は小さく、瞳は大きかった。笑うたびにポニーテールの髪が揺れた。
 僕はその人に気を取られた。携帯を見るふりをして彼女に視線をやった。日差しが彼女の横顔を照らして笑い声がするたびに身体が陽光のなかで揺れた。それとなく耳にした会話のイントネーションは明らかに関西系だった。耳を澄ましても会話の内容は笑い声の中で消えていって僕まで届かなかった。
 気になる二人連れが席を立とうとしたとき僕は向かいの人を見つめた。彼女は僕を見て微笑みながら会釈してくれた。そのとき僕の身体に稲妻が駆け抜けて身体が動いた。伝票をとって僕も席を立った。

「あのー、関西のほうからお見えになったのですか?」
 会計を済ませて外へ出た二人に僕は声をかけた。びっくりしたような表情で二人は顔を見合わせた。
「ええ、私はそうです」
 左利きの可愛らしい人が答えた。さっきからウチとかウチラとか言っていたので『私』という響きが新鮮だった。
「もともと二人は京都の高校で同級生だったんですけど私のほうが今年、東京の大学に入ったんで京都から葉月が遊びに来てくれたんです」
 もう一人の人が言った。大学一年生と分かって僕は嬉しくなった。
「僕はもう卒業です。もし良かったら深大寺をご案内しましょうか? この辺は僕の地元なんですよ」
 二人はまた顔を見合わせた。東京の大学に行っていると言った人が小さい声でウチも深大寺は初めてなのというのが聞こえた。
「それじゃあ、お願いします。私は生田絵里といいます。城南大学一年です」
「私は蜜川葉月といいます。京都女子大の一回生です」
 二人はほとんど同時に自己紹介してくれた。
「僕は栄光大学四年の速水涼太といいます。最近就職決まってホッとしているところです」
 言わなくてもいい就職のことなども言ってしまった。彼女たちはすぐに反応してくれた。
「えっ、そうですか。おめでとうございます。今、就活厳しいですからね」
 僕は苦しかった就活のことが脳裏に浮かんできたけど表情をくずして「ありがとう」とだけ言った。
 温かい日差しが指しているうちにと僕は先に神代植物公園のほうへ案内した。
 初冬の公園は花の季節が終わり、わずかに薔薇や山茶花や菊の残り花が最後の命を見せていた。広々とした空間に爽やかな風が若い三人の頬をなでた。
 二人の女性は僕に慣れてくるとギャグや冗談を言ったりして僕を笑わせた。
「関西系の人って人懐こくっていいね」
 僕がそう言うと二人はまた目を見合わせて笑った。
「そんなふうに解説するところが東京系の人よね」
 絵里が言って葉月がそうそうと頷いた。絵里は気づいていた。僕が葉月に好意を寄せていることを。
 だから本堂に参拝するときは葉月を真ん中にその右隣に僕がいるようにして一緒にお参りした。
 葉月はお賽銭をあげるときも左手でした。次の瞬間だった。僕は生涯忘れることができないほどの衝撃が全身を走った。
 僕がお参りをしていて左で手を合わせている葉月を横目で見たときだ。
 彼女の右手の指の付け根に近い第二関節から先の指がないのだ。人差し指、中指、薬指そして小指までも。親指も爪はなく曲がって付いていた。今まで長袖に隠れて右手が見えなかったので彼女が両手で手を合わせたときにそのことが分かった。そのとき僕の目も口も丸くなって唖然としていたに違いない。正直、声が出なかった。声というよりも選択すべき言葉が浮かんでこなかった。
「えへっ、ウチは障害者なの」
 僕の呆然としたような顔に向かって葉月が言った。首をすくめておどけながら事態の深刻さとは無縁のようにカラカラと笑った。
「大変だね」
 僕はやっと声を出した。
「全然。ちょっと不便なことあるけど、全然大丈夫。ねえ、絵里?」
 葉月は絵里に同意を求めた。でも絵里にそんな同意を求める必要はなかった。僕の心の中ではあっという間に異変が起きていた。表層のいい感じの子から深層深く好きという感情が根付き始めていた。それは僕自身にも説明できない出来事だった。
「葉月はね。とてもいい子よ。素直で可愛いし」
 絵里がフォローした。それは彼女にはハンデはあるけどという意味合いが言外ににじんでいた。
 僕は僕の携帯の番号やらアドレスやらのメモを二枚書いて二人に渡した。葉月もすぐに左手で書いたものを僕にくれた。私はいいでしょって言って絵里はくれなかった。
 三月の卒業旅行は京都へ、僕は何度も葉月に言った。葉月も嬉しそうだった。
 深大寺の十二月の夕闇は早かった。彼女たちはJR吉祥寺方面のバスに乗り込み、その後、僕はまた愛チャリに乗った。冷たい夕風が温かく感じられた。


 
 新年は深大寺の初詣で葉月の分まで参拝した。卒業試験が終わるとすぐに休みに入った。
 三月に京都へ行くと言ったら大学の級友の菅山も一緒に行きたいと言った。即、断った。もちろん葉月のことは内緒だ。
 京都はどこへ行っても名所旧跡の観光都市だ。僕は中学の修学旅行以来で土地勘はなかったけど葉月と巡る京都の旅の見所などを研究した。ガイドブック二冊とネット検索などのお陰で僕はかなりの京都通になっていた。
 京都人でも灯台下暗しで京都の観光地は詳しくないと葉月は何度か僕に強調した。だから僕はこの研究成果を生かして彼女をエスコートしたいと思っていた。
 少し気になっていることがあった。彼女とは何度となくメールのやり取りをしていたが彼女のメールの文面がいつまで経っても打ち解けない硬くて丁寧な文章なのだ。あの深大寺のときのお茶目で冗談好きの女の子のメールとは思えなかったのだ。僕はまだ彼女とは一度しか会ったことはないし几帳面で真面目な人なのだろうと思うことにしていた。
 そんな心配するまでもなく葉月との京都巡りの行き先とスケジュールが僕の主導で決まった。
 いよいよ明日の朝に新幹線に乗るという日、つまり旅行の前夜のことだ。彼女からメールが届いた。
『やはり初めに言っておいたほうがいいと思ってメールします。あの深大寺の参拝のときです。私はある人のことを深大寺の縁結びの神様にお願いしました。実は先日、その願いが通じたのかその人からプロポーズされました。もちろん結婚はまだ先のことですけどいずれはその人と結婚したいと思っています。その人は京都大学の医学部の五回生でまだ学生です。私、本当に深大寺の神様に感謝しています。涼太さんには素敵なサポートをしていただいてとても感謝しています。明日はそのこともお話しますね。それでは明日楽しみに京都駅でお待ちしています。葉月』
 僕はメールを見たまま固まっていた。そして笑った。笑いながら言った。葉月おめでとうって。

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<著者紹介>
内田 東良(東京都日野市 /60歳/男性/無職)

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