<第4回応募作品>「ムーンシャイン・ワルツ」 著者:桜木 らんか

小百合が深大寺の森を訪れたのは、門前に軒を連ねる店々がのれんを下ろし、さんざめく紅葉が夕日に粧われ始めたころだった。
この季節だけの、胸を焦がすようなきらめきが、深大寺の森にはある。そのひと時は儚く、だからこそ今の自分にふさわしいと思う。
縁談がまとまり、この街を去ることになって、恋は目の前にあったと気がついた。
もし今が暮れなずむ季節で、わが身から未練の影が長く伸びたなら、きっと気持ちが揺らぐに違いない。後ろ髪を引かれて別れるのはたくさんだ。
参道から消えゆく賑わいを背中で聴きながら、石畳を踏みしめて森を抜け、小百合がバー「ろしやなうまかぼう」に着いたころには、澄んだ帳が下りようとしていた。
「ただいま~、マスター」
 ネオンボードが灯るドアを開けると、マスターが独り仕込みにいそしんでいる。
「おう、お帰りぃ。今夜は早いね」
「閑古鳥が鳴くだろうから、早く来てあげたの。だって世間はボーナスに浮かれてるから」
「そうか、そうだったかぁ。なら仕方ない、のんびりやるかな」
「薄情な常連ばっかりよね、ボーナスや給料日になると値の張る店で飲むんだから」
 ろしやなうまかぼうは、観光客や参拝者が訪れる店ではない。地元の常連客に奉仕する、カウンターだけのささやかなバーだ。
「まあ、五日もすれば戻ってくれるさ。小百合ちゃん、そういう高級な店には?」
 ビールサーバー越しの窓に広がる、深大寺の森を眺めながらマスターが聞く。
「誘われてないよ......、ていうか、ここで夜景を楽しめるのも、あとわずか......」
マスターの視線を追いながら小百合がつぶやくと、ビールグラスをカウンターに置こうとしたマスターの手が一瞬止まる。
「何かあったの? まさか......」
 小百合の左手首にある、ためらい傷に目をやりながら聞く。
「あのね、実は......、結婚するの、私」
「えっ! それは、おめでとう......、だな」
「お見合いしたのが一月ほど前でね。彼の海外赴任が決まって、向こうで式を挙げることになったのが、昨日なの」
 小百合はマスターに視線を貼り付けたままグラスを傾けた。
「そんな、また急に......、まだ三十前だろ、小百合ちゃん美人だし、あせらなくても......」
「恋愛で相手を見つけられなかったっていう引け目はないのよ。それより、マスターを出し抜いたみたいに幸せになって、ごめん」
「お、俺のことなら大丈夫さ。深大寺に通って願かけしてるから」
「そうか、そうよね。他人の私が心配することじゃないよね」
 さらりと言ってはみたものの、後悔の苦汁が咽を流れ落ちる。ほのかだったものがはっきり見えたというのに、遅すぎる。
他人事のような言い様でもしないと、熱いものが逆流しかねない小百合だった。

 当夜のろしやのうまかぼうは、小百合の予言どおり常連客が三々五々来て帰った。マスターは早めに店じまいして、「Moon Shine」というラベルが貼られたボトルを手にとる。
とうもろこしを醸したその酒、ムーンシャインは、月明かりの下でひっそり造られるので、サンシャインの「日向」に対して「月影」と、しゃれて呼ばれる。アメリカ禁酒法時代の産物だが、今も堂々と密造され、好事家に買い取られて熟成の時を重ねた逸品だ。
小百合......、たおやかで謎めいて、まるでこの酒のような女。初めて店に来たとき、左の手首に包帯が巻かれていたな......。
その彼女が常連と呼ばれるようになったある夜、一見客が小百合に声をかけた。
「なあ彼女、となりで飲んでもいいやろ」
 好色そうな物言いだ。
「他のお客さんに、ちょっかい出さないでいただけますか」
席を移ろうとする男を制した。
「となりで飲むだけや」
「それがちょっかいなんです。さあ、もう店を閉めますから、お引取り下さい」
 男を店から出してネオンボードを仕舞う。
「金で寝る女を口説いて、どこが悪い!」
男の吐いた捨て台詞が彼女の耳に届いたかどうか分からないが、何も聞かなかったことにしろ、とバーテンダー魂がささやいた。
不惑の歳を越して独身のマスターは、小百合に想いを寄せつつも、彼女の若さに尻込みしてきたといえる。だが深い関係に発展しなかったのは、むしろ彼女の方に負い目みたいなものがあるからではないか。
思い過ごしかもしれないが、「好きな人の過去なんて気にしないよ」という言葉を、彼女は俺の口から聞きたかったのではないか、そんな目を向けられてきたような気がする。
「大人の諦観は、欲望や執着よりはスマートかもしれないけど、損するよ」
 常連客の一人が言ったように、傷付くのを恐れないで小百合にアプローチすべきだったかと、今は悔やまれてならない。

 マスターに縁談の話した数日後の夜、彼とその母親の三人でウェディングの打ち合わせをしながら、小百合は暗雲を見上げるような動悸を感じていた。
何かが引っかかる。母親に忠実過ぎる彼への違和感か、それとも二人の将来に口をはさんでくる母親へのとまどいか。
「お産はハワイがいいわね、アメリカの国籍を......。聞いてるの? 小百合さん」
 レストランのテーブルを挟んで目の前にいながら、襖を隔てているかのように母親の声が響き、息子はその横でうなずいている。
「先の話はさておいて、指輪のサイズを測るから手を出してくださる」
 母親は小百合の左手をとり、リングゲージに指を通した。
 これが、契約? 婚姻の象徴としてのリングが、略奪した女に足かせをはめた名残だったとしてもかまわない。だがどうして彼でなく、母親が私の指を測っているのか。
小百合の胸の底に冷たい風が吹き、波立つようにわだかまりがせり上がってくる。
「あら、この手首の傷、これはいったい......」
 違う! この人たちじゃない。私が幸せにしてあげたい、幸せにしてもらいたいと思う人は、他にいる。
「あなた、私たちに隠し事があるんじゃないの、正直におっしゃって!」
 母親の声のトーンが上がるのに反比例して、その姿はフェードアウトしていき、小百合の中で沸騰しかかっていたものが噴き出した。
「このお話は......、埋め戻しといてください、失礼します!」
小百合は席を立ち、クリンチのように絡みつく母親の声を振り切って駆け出した。
まだ間に合うはず。帰ろう、私がいるべき場所に、待ってくれているだろう人のもとに。

 小百合がろしやなうまかぼうに着いたとき、ネオンボードの灯は落ちていたが、ドアは開いていた。
「間に合った! マスター、ただいま~」
照明を落とし、広い窓から差し込む月明かりの下、マスターが独りで飲んでいる。
「おいおい、飲みに来る場合じゃないだろう」
「戻って来たの、ホームグランドに」
「え? それって、もしかして......」
「そ、私の過去が気になるようだったから、お互いが傷付く前にリセットしてあげたの」
「俺なら、きみの過去なんか問わないのに」
「マスターなら、そう慰めてくれると思った」
「慰めじゃなくて、そうプロポーズするのさ」
「今はどんな言葉より、おいしいお酒。それ何? 私も同じの、飲みたい」
「ムーンシャインっていってね、月明かりの下でひっそりと育まれたバーボンなんだ」
「私への恋、ひっそりと育んでくれてる人いないかしら」
「いるさ、すぐそばに」
「前から聞こうと思ってたんだけど、ろしやなうまかぼうって、どんな棒?」
「あえて言えば房だけど、光明真言の一部さ」
「それって、縁結びの願かけするとき、マスターが唱えるっていう呪文よね」
「そうだよ。おん、あぼきゃべい、ろしゃなぅまかぼ......」
「それのことだったの、アッハハハハ~」
 小百合は、さも面白いものでも発見したかのように笑い転げる。
「あ~、おっかしい。でも、やっと落ち着いてきたわ」
「じゃあ、生まれ変わったきみに、乾杯!」
ムーンシャインのグラスを鳴らしたとき、月明かりに映える深大寺の森を見て小百合が声を上げた。
「あ、雪! 月夜に舞う雪ってきれい。晴れた昼間に降る雨のことを狐の嫁入りっていうんなら、これは、狸の嫁入り?」
「俺ひょっとして、狸に化かされてる? それならそれで、化かし続けてほしいな」
「思いついたんだけど、ろしやなうまか望っていうの、どうかしら」
「希望の望か、いいね」
「このバーボン、美味しいわ」
「密造酒だからね、秘密めいた味わいが素敵なのさ」
「秘密を持ってる女にも、素敵な味わいがあるかしら」
「あるさ、極上のがね」
「ムーンシャイン・ワルツ......、私と踊ってくださる?」
「もちろん、喜んで」

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<著者紹介>
桜木 らんか(愛媛県今治市/50歳/男性/漁師)

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