<第3回応募作品>「シュガーグリーン」 著者:押切 優

「まり子ぉ! いい加減に起きなさい!」
 階段の下からの母親の怒鳴り声に、ようやく目を覚ましたまり子は、もぞもぞと枕元の目覚まし時計を見て驚いた。
 時刻は、六時五十九分。
 ベッドから転げ落ちるように出ると、慌ててカーテンを開け、窓の外を見る。
「いない......」
 まり子が、愕然と肩を落とした次の瞬間、彼は現れた。
 通称、うしろ姿の君。
まり子の家は深大寺門前に店を構えるそば屋。店の二階にあるまり子の部屋からは、とてもよく深大寺境内を望むことができる。   
いつ頃からだろう。彼が毎朝参拝に現れるようになったのは。まり子が朝起きてカーテンを開けると、決まって、同じ男が深大寺の門をくぐる後ろ姿が目に飛び込んできた。最初は何とも思っていなかったけれど、三回目にしたあたりから、気になってきて、一週間続いたところで、時計を見るようになり、三週間目に入ったところで、ある規則性があることに気がついた。
 彼は、平日の朝七時丁度に、深大寺を訪れる。ちなみに土日祝日はやってこない。スーツ姿というところから想像するに、きっとサラリーマンなのだろう。
 タイミングの問題なのか、まり子は彼の後ろ姿しか見たことがない。何度か顔を見てやろうと、七時前から窓の前に待機していたことがあったけれど、一瞬目を離した隙に彼は深大寺に入ってしまい、結局いつもの後ろ姿しか見ることができなかった。
 後ろ姿から推し量るに、年齢は三十代半ば。背中から漂ってくるどっしり感が、結婚して家庭を守る立場にある者にしか出せない落ち着きを感じさせる。でも、まり子が気になってしまうのは、落ち着いた雰囲気の中にも、どことなく寂しさが感じられるからだ。
後ろ姿が寂しそうに見える人は、恋の傷を負っている。
前に見たドラマの主人公が、そう言っていた。
深大寺は縁結びの神様。だったら彼には、どんな事情があるのだろう......?  

 まり子が仕事から帰ると、店を閉めたばかりの母親が、まり子に飛びつくように駆け寄ってきた。
「まりちゃん、この方なんてどう? 一部上場企業の本部長さんだって」
 母親はそう言って、立派な台紙に貼られた写真を目の前に押し付けてくる。
 お見合い写真だ。
「私まだ結婚する気ないって言ってるじゃない。今、仕事がいいトコなんだから」
「だって、まりちゃん。女は三十過ぎたら、どんどん貰い手がなくなっちゃうのよ、今が最後のチャンスなのよ」
「働く女にとって、三十なんてまだまだひよっ子なの。お母さんの考えを人に押し付けないでくれる?」
 まり子はそう言うと、お見合い写真の中身も見ずに、二階の自分の部屋へ駆け上がった。
 硬いスーツを脱ぐと、ベッドの上にごろりと転がる。そして天井を見ながら考える。
 三井まり子、二十九歳彼氏なし。仕事は広告代理店営業。先日同期の中で一番乗りで主任に昇格し、今一番仕事が楽しい時。そんな自分に、母親は熱心に見合いの話を持ってくる。短大を出てすぐ、二十歳で父と結婚した母親は、結婚こそ女の幸せという考えの持ち主なのだ。まり子の中にも、仕事だけに生きることへの不安が全くないわけでもない。男には負けたくない。女だからと馬鹿にされたくない。そんな一心で七年間がむしゃらに働いてきたけれど、果たしてそれで自分は幸せなんだろうか......? 
 そんなことを考えているうちに、まり子は化粧も落とさず、そのまま眠ってしまった。

 翌朝七時。もはや毎朝の恒例行事のように、まり子は窓の外に目をやる。
 来た。うしろ姿の君。
この人は、どんな人なんだろう。
 昨日の出来事があったからか、今朝は妙にしんみりとした気分で彼の後ろ姿に見入ってしまった。どうしてこんなに熱心に縁結びの神様にお参りにくるのだろうか。勝手に既婚者と決めつけていたけれど、ひょっとして独身? 仕事が忙しすぎて、気がついたら婚期を逃していたというパターン? 
 まり子が出勤しようと玄関に出ると、近所のおばちゃんと母親が一枚の写真を見ながら、こそこそと何かを話していた。
「この方、まりちゃんにどうかしら?」
「でもねぇ、いくら奥さんと死別でも、結婚歴がある方はねぇ」
 また私の見合いの話か。昨日の今日で、よく次から次と話があるもんだ。まり子は半ばあきれながら、家を出た。
 会社に着くと、入社三年目で早々に結婚退職した同期からメールが届いていた。
 タイトルは「生まれました!」。
 どうやら、二人目のお子さんが生まれたらしい。
 同じ大志を抱いて入社した同期。でも方や仕事を辞め、家族を作り家庭を守るという、女性の本能に沿った女の幸せを手にしている。一方まり子は、結婚の予定もなく、仕事を生きがいに、いわゆる男性的な人生を歩んでいる。何を持って幸せとするかは、人それぞれの基準があるから、どっちが幸せだなんて比較はできないけれど、三十歳を目の前にして、子供に囲まれて幸せそうな同期を見ると、さすがのまり子も少し考えてしまう。

 次の日まり子は、普段よりも三十分早く起きて身支度を整え、驚く母親を軽くあしらうと、家を出た。向かうは深大寺。駅ではない。
 今まで幸か不幸か、後ろ姿しか見ることができなかった「うしろ姿の君」。今日は、絶対に顔を見る。そして、もうこれ以上、後ろ姿を追わない。
 毎朝、彼の後ろ姿を見るのが楽しみだった。最初はただあれこれ勝手に想像して楽しんでいるだけだったけれど、最近は、彼の姿を見るたび、どことなく胸が痛かった。
 とりあえず、顔を見よう。
 彼の顔を見れば、何かが変わるような気がした。最近のこの悶々とした気持ちに、終止符が打てると思った。
 七時十分前、一足先に、深大寺の神様にお参りをすると、まり子はそのまま彼がやってくるのを待った。早朝の深大寺境内は、昼間の賑わいとはまた違う荘厳な雰囲気を漂わせていた。青い空に、セミの声が耳をつく。木々の緑が目にまぶしい。ああ、世間は夏だったんだ。
 まり子の腕時計が七時を指した。
 いよいよだ。
 でも、彼は現れない。
 なぜ? 今までずっと平日の午前七時という規則性を一度も破ることなく現れていた彼が、どうして今日に限ってこない? まり子は、思わず本殿の中を覗くようにして見る。深大寺の神様、これは、神様が私に、うしろ姿の君とは会うな、とおっしゃっているのですか? そうまり子が心の中で神様に問いかけた時だった。
 小さな女の子の手を引いた男が境内に入ってきた。そして本殿の前に立つと、女の子を諭すように言う。
「お父さんが一生懸命深大寺の神様に頼んだんだ。真央の痛いの治してくださいって。真央がいい子に頑張ったから、神様も真央の痛いの治してくださったんだよ。一緒にお礼を言おうね」
 そう言うと、親子はそろって手を合わせる。
 深大寺は縁結びの神様なのに......。まり子は、思わずクスリとしてしまってからハッとした。ひょっとしてこの人......?! 三歩下がって、男の後ろ姿を見る。
 うしろ姿の君......。
 今朝はスーツ姿ではなくジーパンにポロシャツというラフなスタイルだったからすぐには気が付かなかったけれど、この後ろ姿は、まさしくまり子が毎朝自分の部屋から眺めていたうしろ姿の君。子供がいるってことは、やはり結婚していたんだ。
 少し胸が痛かったけれど、彼が熱心にお参りに来ていた理由もわかったし、どこか吹っ切れたような、なんだかとてもすがすがしい気持ちになった。
朝食を摂るため、一旦家に戻ったまり子は、テーブルの上にお見合い写真らしきものが置いてあるのに気がついた。
 お見合い、か。一回くらいしてみてもいいのかも知れない。そう思って、何気なく開いた写真を見て、まり子は絶句した。
「お、お母さん、こ、この人?!」
「なあに? 今朝はやけに早く家を出たと思ったら、戻ってきたの?」
「この人、この人何?」
「ああ、その方ね。まりちゃんにどうかって昨日お話をいただいたんだけれど、三年前に奥さんと死別されていて、さらに小さなお子さんもいるっていうのよ。お母さん、まりちゃんに結婚はして欲しいけど、さすがに子連れの方の再婚となるとねぇ......」
「いい!」
「え?」
「いい! いいよ。お母さん、私、この人と会う!」
 まり子は喜々として声を張り上げた。だって、お見合い写真に写っていたのは、さっき深大寺で会った、うしろ姿の君、まさにその人だったから。

(了)
 
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<著者紹介>
押切 優(東京都武蔵野市/女性)

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