<第3回応募作品>「深大寺憧憬」 著者: 川向 裕貴

 さっきまで深大寺を渡っていた夜風が私の部屋にもゆっくり吹き込んできている。たった今、バス停で気まずく別れた恋人の言葉を反芻しながら、私は窓辺のソファにぐったりと座り込んだ。
「君は今、一体どこを見ているのかなぁ。君が昔、恋人を亡くしたことは知ってるよ。でももういいんじゃないか?今をちゃんと見て、今を生きてほしいんだ。俺のためにも。」
昔、という言葉が思いのほか私の心にこたえた。そうね、と言うことも、昔のことなんかじゃないのよ、と言うことも出来ずに、ただ痛いところを突かれたという顔をはっきりと見せてしまったことが自分でもわかった。何故、今日、深大寺になんか行ってしまったのだろう。あれからずっと避けるように行ったことがなかったのに。
今日で卓が死んでちょうど10年だ。昔、と言われても仕方のない年月が過ぎたのだった。
少し湿った夜風はこの街を渡り、川の方にも流れていく。窓から川向こうの明かりをぼんやりと眺めていたら、ふいに携帯電話が鳴った。知らない番号だった。
「もしもし?」
少し訝しげな声で電話に出ると、一瞬とまどったような間をおいて、女性の声が「もしもし」と言った。
「あの、植村理佳さんでしょうか?」
「はい。」
「突然すみません。私、今は高橋と言いますが、智恵子です。・・・桜井卓の姉です。」
「え?」
この10年、いつも頭から離れることのなかったその名前が、自分以外の人の口から出たことに私は本当に驚いた。次の言葉を捜していると、彼女は続けて言った。
「本当に突然で申し訳ありません。弟のこと、覚えていらっしゃいますか?」
覚えているも何も。忘れたことなんかないです。1日たりとも。忘れたくても、どうしてもそれが出来なくて今日だってそれが原因で恋人と気まずくなってしまって。覚えてますかなんて見当違いの質問もいいとこです。頭の中にそんな言葉が溢れたが、
「はい。よく覚えています。」
とだけ言った。久しぶりに聞く卓のお姉さんの声は、「姉貴、秀才なんだよね。俺は絶対かなわない。」といつも卓が自慢げに言っていたことそのままに、落ち着いたトーンだった。卓から頼まれたものをどうしてもあなたに渡さなければいけなくて、でも今あなたがどうしているか判らなくて、卒業アルバムの名簿を頼りにご実家に連絡して電話番号と住所を教えていただいて、郵送したのですが、届きましたか?というようなことを簡潔に言った。
ええ?卓から頼まれたもの?郵送?私は慌てて、さっき無意識にまとめて持ってきた郵便物の山を探った。チラシやらダイレクトメールやらの中にしっかりとした硬くて白い封筒があった。これだ。
「ああ、ありました。」
「よかった。卓が、自分が死んで10年経ったらあなたに渡してくれって。卓の遺言みたいなものだから、それだけはどうしても届けてあげたくて。今さら、ご迷惑だったかもしれないけど。ごめんなさいね。」
そう言って、電話は切れた。
自分が死んで10年経ったら?あの時、卓は病床の中でも決して死ぬなんてことは言わなかった。私にはいつも笑顔だった。茫然とその封筒を開けると、また封筒が入っていた。表書きの真ん中に、懐かしい、涙が出るほど懐かしい文字で「理佳へ」とだけ書いてある。私はその文字を見ただけで、手が震える自分に今さらながら驚いていた。そしてどうしてもその封筒を開けることが出来なかった。
夜風は少し冷たさを増してきた。川向こうの明かりもさっきより少なくなった。私は窓を閉めて、何もかもがどうでもいいような気がしてそのままソファで眠った。
翌日は昨日とはうって変わって晴れ渡った。午後遅くにようやく起き出した私は、その晴天の空を見て、あの封筒を持って深大寺に行くことにした。10年経ってから卓が私に伝えたかったことをちゃんと聞かなくては、と思った。夏至に近い力強い晴れ空から卓が見ているような気がした。
バスを降りて山門を入ると、七夕飾りが夕風にゆらゆら揺れていた。昨日の雨で鮮やかさを増した緑が、華やかな七夕飾りといいコントラストを作っている。
卓の家は深大寺の近くにあった。私が大学を出て、一人暮らしの地を調布に決めた理由はここにしかない。私たちは高校の同級生だった。違う大学に進んでも恋は終わらなかった。高校生の可愛い恋から大学生のちょっと苦味も含んだ恋愛にステップアップしただけで、私たちはそれぞれの都合がつく時はいつも一緒にいた。その時間を思い出すときはいつも深大寺が舞台だ。楽焼なんか何個も作ったし、蕎麦の味比べと称して全部の蕎麦屋を回ったし、初詣も何回も来た。でも1度もここで買わなかったものがある。縁結びのお守りだ。
深大寺は縁結びのお寺。それはこの界隈では有名な話で、勿論私たちも知っていた。ある時私は卓に、
「深大寺って縁結びのお寺なんだよね?お守りとか、買わない?」
と言ったことがある。その時卓は即座に、
「縁なんて、もう結ばってんだから、そんなもの要らないでしょ。」
と笑って言って私の右手をとった。少しだけ顔をこっちに向けて横目で私をじっと見た。結ばってる、という変な言い回しがおかしくて私も笑ったが、私も卓の目を見返して内心ドキドキしていた。卓は私を見る時よく、正面からではなく横目を使った。心配そうな時も怒っている時も愛おしそうに見る時も。私は卓のその横目の視線が大好きだった。私たちはそのまま、縁が結ばったと信じたまま、それから近い未来に本当に結婚するはずだった。まさかそれから近い未来に卓がこの世からいなくなるなんて、思ってもいなかった。つないだ卓の左手がさらりと少し冷たかったのを今も私の右手が覚えている。
今、私の右手には紙だけの小さな卓がいる。私は池のほとりのベンチに座った。ここでよく、後ろの土産物屋でソフトクリームや蕎麦パンやお焼きを買って二人で食べた。今は私一人と、手の中の卓。
「10年後、33歳の理佳へ。」卓からの手紙はそんな書き出しで始まっていた。
「33歳の理佳なんて、本当は想像もつかないんだけど、元気ですか?どうしていますか?もうお母さんになっているのかな?幸せですか?なんて、こんなこと書きながら今はまだ僕は生きていて、君もまだ23歳で、何だか妙な気持ちです。でも、どうしてかな、僕が死んだら君はきっと悲しむに決まってて、そうしてそれがずっと続いてしまったら、と心配になって、そしたらいてもたってもいられなくなったんだ。今、君は幸せかい?もしそうじゃないなら、それは僕のせいかもしれないね。もしそうなら、本当にごめんね。理佳、僕は君に会えて本当に幸せだったんだよ。君を置いて先に行くのは悲しいし悔しいけれど、君がいたから僕のこの短い人生はものすごく鮮やかな光に満ちていたと今、心から思うんだ。理佳、本当にありがとう。だから理佳、君も鮮やかに光輝いていてほしい。今もこれからもずっとそうであってほしい。君の幸せを祈ることしか出来なくなる僕だけど、誰よりも何よりもそれだけはずっと祈り続けるから。10年経った今も、祈っているから。これだけは忘れないで。頑張れ、理佳。またいつか会おう。」
手紙の文字は薄闇にまぎれて読めなくなってきた。長い時間をかけて、何度も何度も読んだ。手の中の卓、空にいる卓、私の心の中の卓。10年後の私のことまで心配しているバカみたいに愛しい卓。
「泣いてるの?」
急にすぐ隣から声をかけられて、私はぎょっとして横を見た。いつからいたのだろう?もう夕闇が迫っているというのに、小学1、2年生くらいの男の子が私の隣に座って池の方を見ている。言われた通り、私は確かに泣いていた。卓が死んでから私は泣くことすら出来なくなっていたことにも気が付いた。
「ボク、お家は近いの?」
涙声で私はその男の子に尋ねた。男の子は少しうつむいて足をぶらぶらさせながらコクンと頷いた。それからゆっくり顔をあげて少しこっちを向いて言った。
「男の子は泣いちゃ駄目だって、お父さんが言うんだ。でも、お姉ちゃんは女の子だから泣いてもいいんだよね。」
「もうお姉ちゃんじゃないわよぅ。」
私はちょっと照れ隠しに笑って言って男の子を見た。またぎょっとした。
男の子は横目で私をじっと見ていた。卓と同じ目だ。卓が私を見る時の、悲しそうな愛おしそうな、懐かしい愛しい目だ。私は言葉が出ず、私たちはしばらくそうやって横目で互いを見つめあった。
男の子はふいに視線をはずして、立ち上がってポケットから何かを取り出した。
「これ、あげる。」
小さな何かを私の手の中に入れて、男の子は夕闇の参道を走って行ってしまった。茫然と男の子を見送り、手の中のそれに目を凝らすと「あっ」と声を上げそうになった。それは縁結びのお守りだった。私は慌てて立ち上がって、男の子が行った方を見た。男の子は夕闇にかき消されたように見えなくなっていた。
空を見上げると、鬱蒼とした緑の切れ間から星が見えた。涼風が私の顔を撫でた。私はお守りと小さな紙の卓をそっとポケットにしまい、代わりに携帯電話を取り出して、恋人の番号を押した。

(了)
 
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<著者紹介>
川向 裕貴  (東京都調布市/37歳/女性/会社員)

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