<第3回応募作品>「ビワの救い」 著者: 伊藤 亮

「スズメバチの巣があるから危ないよ」
「大丈夫だよ、ほら」
 下から木を見上げる僕の心配をよそに、彼女は茂った枝と葉の間から姿を現した。そして片手で枝にぶら下がりながら、もう片方の手を開いて僕に見せた。手のひらにはオレンジ色に熟れたビワの実がふたつのっていた。
 その場で皮をむき、もぎたてのビワのジューシーな食感と甘酸っぱい味覚を堪能すると、小学校四年生の自転車デートがスタートした。
 学校近くのビワの木で待ち合わせて、まずは近くの市立図書館深大寺分館へ。図書館脇の廃棄電池ボックスを覆うように、桑の木の枝が張り出している。枝には赤い実が実っていた。十粒とって彼女に五粒渡すと、口に放り込んでまた自転車を走らせた。桑の実はまだ酸っぱかった。
ペダルをこぎながら食べかすの種をぷっぷっと吹きつつ、武蔵境通りに出る。そのまま南下すると「神代植物公園北」の信号が見えてくる。そこを左折。葉桜になっている並木道を走る。セミの鳴き声を聞くにはまだ早かったか。
「植物公園ってさ、サザエさんのオープニングに出てたよね」
なんて無駄話でフォローしつつ、そのまま植物公園横を走り抜けると、僕らが「ジン小」と呼んでいた深大寺小学校が見えてくる。ジン小の校門に向けて方向転換、そのまま校門を通り過ぎて角を右折すると、深大寺へと続く道。
 わざわざ遠回りして深大寺に向かうのには理由があった。ジン小側からだと急勾配の下り坂がある。そこをブレーキをかけずに自転車でイッキに駆け下りる「ノーブレーキアタック」を、僕らは絶叫しながら敢行した。
 坂道を降りた勢いでそのまま深大寺を通り過ぎ、再び武蔵境通りを南下、野川沿いに入る。次の目的地は調布飛行場だ。飛行場の隣には、野球場やサッカー場が何面もある広大な「カントー村」があった。着いたときには汗だく。でもすぐにゴムボールでキャッチボールをした。ゴムボールはよく曲がる。カーブ、シュート、フォーク、ナックル、パーム、シンカー。意味もわからないまま球種だけ言って投げると、それなりに変化する。変化についていけない彼女は、僕の投げたボールをそのつど後ろにそらしながら、「すごいね」と笑ってボールを取りに行った。僕は、ボールを追う彼女の揺れる後ろ髪を見ながら、「なんで女の子ってみんな髪が長いんだろう」なんて、とんちんかんなことを考えていた。
 どうしてこうなったのか、きっかけは覚えていない。本当は、クラスの友達を何人か誘って遊びたかった。でも、もし僕と彼女が「仲良し」ってことにされたら、クラス中、いや学年中から冷やかされてしまう。それに耐える自信がなかったから二人で遊んだ。
しかし、僕の目論見は、遊んだ次の日にあっけなく崩れ去った。彼女が自分の親友に遊んだことを話したのだ。予想通り、話はその日中に広がり、僕はみんなから冷やかしの餌食になった。なにかというと、彼女の名前を連呼する。同じクラス内で、彼女はいつもどおり僕に冗談をかけてきたけれど、もう目を見ることすらできなかった。一日、一週間、一カ月...、同じ態度を取り続ける僕に、彼女も呆れたのか、会話はなくなった。
 五年生になってクラス替えがあった。僕と彼女は別のクラスになり、より疎遠になった。たまに廊下ですれ違うことがあっても、お互い目をそらせた。あの自転車デート後、彼女のことで知ったことといえば、卒業文集に載っていた夢、「保母さんになること」。たったそれだけ。僕は「先生になりたい」と書いた。
 それが初恋だった、と知ったのは地元の中学に進んでからだ。彼女は私立中学に進学した、と彼女の親友が教えてくれた。いなくなって初めて彼女をずっと意識していたことに気付いた。最も嫌な思い出になっていたはずの自転車デート。でもいつしか、その思い出を噛みしめることが、僕にとっての救いになっていたんだ。

高校卒業後、親のコネで地方の建築会社に住み込みで就職した。朝から夕方まで土木作業の毎日。そのときになって初めて、これまで無駄に過ごしてきたことを後悔した。中学生以降、受験勉強や部活、辛いと思われるものすべてから目を背け、逃げてきた。今も辛いが、親の顔を潰すわけにもいかない。でも、まだ十代だからできるこの仕事。二十年先も同じことができるのか...? かといって、他にできることもない。日増しに膨れる不安と苛立ち。休みの日も遊びに行く気になれず、寮で寝ていることが多くなった。
 就職して二年目の正月なんて最悪だった。風邪をこじらせ、実家にも帰らず寝込んでいた。すると、年賀状の代わりに実家から一枚のはがきが転送されてきた。
「お正月に帰ってきたら渡そうと思ってたんだけど」
 と電話で親が言っていたそのはがきは、成人式の招待状だった。
 葛藤が生まれた。式に行って旧友に会えば、幾分か救われるかもしれない。でも正直、今の自分の姿を晒したくない。
風邪が治っても、曖昧な気持ちに決着はつけられなかった。
 成人式の日。結局、仕事で式には出席できなかった。この仕事に祝祭日は関係ない。
「俺、早生まれだし。まだ二十歳じゃないし」
 そんな言い訳を自分にして納得させた。させたはずだった。

 その日の夜、夢を見た。
――滝のような、せせらぎのような音が聞こえる。この場所は...、思い出した。ここは深大寺の横にある二頭の獣の頭がある場所だ。小学生の頃はみんな、「トラ」と呼んでいた。そのトラの口から絶えることなく水が落ちている。幼い頃、この場所が怖かった。噛まれそうで、飲み込まれそうで、心が落ち着かなかったからだ。
そこには成人式を迎えたばかりの僕がいる。スーツ姿だ。でも大人になってもこの場所は落ち着かない。早々と引き上げようと振り向いた瞬間、目の前に彼女がいた。顔は小学校四年生のときのまま。背だけが伸びている。成人式に出席したのか、艶やかな振袖姿だ。
「久しぶり」
 たぶん、口が開いたままになっていたのだろう。そんな僕の顔がおかしかったのか、彼女は一言だけ発すると、あとはずっと微笑んでいた――
 次の日の平日、僕は早朝に寮を出て仕事をサボった。就職の面接以来しまっていたスーツを引っ張り出して着込み、調布を目指して電車に乗った。

 昼過ぎに京王線の飛田給駅に着くと、カントー村を目指した。今は味の素スタジアムが建っていた。以前は遠くまで抜けて見えた空が狭く、小さく見えて少し寂しかった。
 そのまま歩いて人見街道を北上、野川から深大寺を目指す。ゆっくり野川沿いを歩きながら、こんなことをしているのは小学生以来だと気付いた。
 汗ばんできたのでマフラーを外して少したった後、夢に出てきた場所に着いた。冬だからか、トラの口から水は出ていなかった。幼い頃、あんなに広く感じたこの場所も、大きく感じたトラも、今見るとずいぶん狭く、小さく感じた。「場所が変わったり、人が変わったり...、みんな変わっていくんだな」と、思った。
 そのままジン小の急坂を息も切れぎれ登って、市立図書館の深大寺分館に向かう。やっとの思いで着くと、昔桑の木があった場所も駐車場になっていた。そこから僕らが通っていた小学校に向かうと、途中にあのビワの木があるはずだ。
ビワの木のまわりは、以前は空き地だった。今、空き地には大きな保育園が建っていた。門には、「市立深大寺保育園」と書かれている。しかし、まるでそこだけ避けるかのように、ビワの木は残っていた。僕は木の下に辿りつくと、しばしの間、実もなく、葉もなく、枝だけの木を見上げていた。
 あの時と同じように。その時だった。
「大丈夫だよ、ほら」
 という声が保育園の庭から聞こえてきた。庭ではたくさんの園児を相手に、今は保育士と呼ばれるようになった立場の若い女性が声をかけている。
今まで怠けていたはずの僕の頭が咄嗟に反応した。卒業文集。夢で聞いた声。そしてビワの木...。間違いない。この直感は、きっと正しい。
 一度大きく深呼吸して今度は空を見上げた。それまで気付かなかったけれど、澄んだ空気のなか、既に陽は傾いてきているものの、まだ青空が広がる立派な小春日和だった。
「これって、また救われたってことになるのかな」
 目線をもとに戻し、大きく息を吐くと、僕は保育園の庭に向かって一歩を踏み出した。

(了)
 
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<著者紹介>
伊藤 亮 (東京都府中市/30歳/男性/フリーライター)

 

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