<第3回応募作品>「ストロンチウムの恋歌」 著者:藤森 みのり

 夕刻を告げる梵鐘と同時に陽は落ち、晩秋の夜気がひたひたと迫る。深大寺参道に面した木造家屋は窓枠も木で、気の早い木枯らしが忍び込むのもたやすい。私と妹の玲は洗い髪を急いで乾かしあった。三軒隣の土産物屋で生まれた子猫を欲しいと言う玲は、うちは食べ物屋だから諦めなさいと諭されると機嫌を損ね、二十年近く前のままごとの話にさかのぼってまで文句を言い募った。玲はときどき驚くほど幼い。去年、細めのタイが似合う嶺司と肩を並べて成人式に行ったというのに。
「あたしは赤ちゃんの役をしたかったの。なのにいつもペットの子猫の役ばっかり、沙耶姉ちゃんだってホントは猫を欲しかったんでしょ」
「にゃおぉん、ゴロゴロってやって、嶺司が『本物みたい』って目を丸くしたら、玲、得意そうだったよねぇ」
 玲はいつも猫の役。隣の嶺司とは、父さん母さんの揃った家族ごっこ、できなかったから。いや、やっぱり私の意地悪も少しある。二人が『れいちゃん』と呼び合うのが羨ましかった。誰かが呼ぶと一緒に返事して、くすくす笑うのも見たくなかった。もっとも、そんなこと忘れかけていた。今では医学生の嶺司の背はとうに私を追い越している。上背の高さは亡くなったお母さんの置き土産。早いもので年を越せば十七回忌だ。
 あの頃、嶺司の母さんは新年が明けてすぐ入院し、三十歳目前で亡くなった。乳がんの転移で。小学生になったばかりの私も、入院前夜の彼女の姿を憶えている。隣家の庭の物音に気付いて怖々のぞくと、寒々とした庭の隅に見えたのは季節外れの花火の鮮烈な光だった。黙ってマッチを擦っていた、嶺司の母さん。手元でパチパチいってた光の束。あの時、自分にもう夏は来ないと悟っていたのか。一秒でも長く生きたかったに違いない。「嶺司は眠る前におっぱい飲むのよ、四歳にもなって甘えん坊で泣き虫で」と、いつか小声で教えてくれた。ナイショ、と我が子そっくりの片えくぼを刻みながら。
 私は彼女の年にずいぶん近付き、今は好きがこうじて撮り始めた写真を本業にする瀬戸際に立っている。現像薬がしみた指、フィルムをこすらないように丸く切り揃えた地味な爪の二十四歳の私は、嶺司にはどう見えているだろうか。簡単だ、聞けばいい、私のこと好き?と。そして飛び出せばいい、砂漠にでも海にでも、私だけの心の風景を追いながら。
 嶺司から答えを聞いたら、踏み出す勇気が生まれるだろうか、それとも破れた心を繕って、やるせない時を長く費やすのだろうか。簡単で怖くて、聞けない言葉を、私は胸の底に結晶のように潜ませている。 

 新年、玲と私は年越しの家業の手伝いに駆り出され、夜明けには嶺司を誘い、三人でお不動様にお参りする。だが今年は違った。疲れたといいながら毎年一番はしゃぐ玲が、用があるから、とあっさり抜けた。言い訳一つしないところが玲らしいのだが、ともあれ妹の勝手を謝りながら、私は年初で賑わう通りを嶺司と歩いた。最近、玲は夜も明けないうちに出かけて昼過ぎに帰ったり、日がな台所にこもってお菓子を焼いたり、時には煙草のような匂いを漂わせていることもある。パティシエを目指しているから煙草は吸わないと宣言していたのに、と言うと嶺司はふと、えくぼを見せた。
「沙耶、久しぶりにおれの家に寄ってくれる?」
 旧くから豆腐屋を営む嶺司の家は、この界隈の湧水を使うせいか、豆腐も揚げもふわりと舌触りが良く、蕎麦屋の馴染み客にも贔屓が多い。けれど男手ひとつで切り盛りする店では量産は難しく、数年前からは気心の知れた近所の店に納めるのみになっていた。ひとり息子が医師になると決め、父親も早々と荷を降ろしたのが、周囲から惜しまれていた。
 久しぶりに訪れた嶺司の部屋にはお母さんの遺影と一緒に、私が撮った写真が壁を彩っていた。だぶだぶの制服で、顔の前で得意気にピースしている中学入学式の嶺司。サッカーの地区大会で決勝弾を決め、こぼれるような笑顔の高校時代。大学一年の夏、腰を痛めたお父さんにかわって店を手伝い、親子並んだ豆腐屋の前掛け姿。折々の表情が眩しい。
 熱い紅茶を運んでくると嶺司は改まった顔になり、勉強机の引き出しから小さな白い包みを取り出した。細くひねったコヨリ状の紙の隙間から、ほのかに火薬の匂いがする。
「これ。沙耶に渡さなきゃ、って」
 どきんとした。私に?
「線香花火だよ、おれが作った。沙耶に、火の色を見てほしい」
 その時気付いた。玲の匂いだ。玲はこれを作っていたのだ。紅茶もうちのと同じ香りだった。ストレートで華やかな、玲のお気に入りと同じ。しまいこんでいた疼きがあふれ、結晶が弾けた。
「玲を好き?」
 嶺司は飲みかけの紅茶に思い切りむせ、咳き込んだ。頬が赤くなったのは咳のせいかと思う間もなく、私は部屋を飛び出した。が、途端に足を止めてうなだれた。思えば二人はお似合いだ、あっけらかんと周りを気にしない玲は時にトラブルメーカーにもなるが、年より落ちついている嶺司はさりげなく人を支えられる性分で、私はいわば二人の姉だ。今なら、驚いたでしょ、の一言ですむかも、と私は向き直った。おかげで、追ってきた嶺司と危うく鉢合わせするところだった。真剣というより必死な目があった。
「違うよ、何から話せばいいか混乱してるけど・・・とにかく聞いて、沙耶」
 嶺司の長い話が始まった。

 最近、薬学の先生に聞いた。火薬と共に使う炎色材の組み合わせで花火はさまざまな色になり、例えば赤い色の素はストロンチウムといって、貝殻やサンゴ、また人体にも骨や歯に微量に含まれるものだと。そして海外では乳がんや前立腺がんの鎮痛剤に使われる成分でもあるそうなんだ。おれ、おばあちゃんが前に言ってたことを思い出したよ。母さんは医者に勧められてたのに、絶対に薬を使おうとしなかったって。おれはなかなか乳離れしないから、母乳を通じて何か影響がでたら、と母さんは心配したんだ。
 実はおれ、花火は苦手だった。病院で母さんの顔にのった白い布、そして焼き場で見た骨の色と花火の色がダブってさ。
 それでもおれが花火を作ろうと思ったのは、沙耶に見せるためだよ。材料は理科研究室から少しもらってきて調合も割合簡単だけど、色のバランスが案外難しくて。沙耶に似合う花火の色を作るのに、玲に手伝ってもらった。沙耶が写真のために遠くに行くかもしれないって玲に聞いたから、おれの気持ちを伝える時間がどれだけあるか、内心焦ったよ。
 憶えてるかな、沙耶がおれに作ってくれた、夕陽の線香花火。
 チビの頃ふざけて、沙耶の線香花火を落として、おれのほうがぴいぴい泣いてさ。そしたら、沙耶はおれの手をぐいっと引っ張って、一番大きい花火をあげる!って山門を走り抜けて、本堂の階段をかけ上って、賽銭箱の縁に足掛けて、おれを抱えあげて手を思い切り伸ばしてさ、落ちかけたでっかい夕陽に線香花火の棒をくっつけるくらいにさしかけて、『嶺司だけの一番きれいな花火、いつでも見せてあげる』、だから泣くな、っておれの鼻水を拭いた。
 あの後、罰当たり!って大目玉だったよな。 でも、沙耶はけろっとしててさ。
 あれから沙耶はおれの胸の中にずっと住んでる。おれにとっては、赤いストロンチウムの塊みたいな夕陽の色は、沙耶そのものなんだ。
 
「おれは三つも年下で、しかもまだ学生だし、頼りないことこの上ないだろうけど」
 微かにうわずったその言葉は、ストロンチウムの赤い色に縁取られて、温かく静かに降りそそいできた。そして、長い時間をかけて熟成されてきた私の思いとひとつになった。
 それから私たちは庭に出て、自作の線香花火に火を点け、パチパチとはぜる赤い小さな光を見つめた。昔、嶺司の母が花火を見つめていた庭で。日が傾き始めて空気が冷え、私の荒れた指はすぐかじかんだ。嶺司は私の指と頬を両手でしっかり包んでくれた。
「ところで」私は言った。「玲は花火のためだけに来てたの? 何か他にもあるよね?」
「うん、実は今日も」
 すると座敷からガタンと物音が聞こえ、一瞬おいて、鳴き声がした。にゃおぉん、ゴロゴロ。私たちは顔を見合わせ、噴き出した。

 数ヶ月後、私は砂丘のある小さなまちにきていた。砂に沈む陽と海から昇る陽を撮るために。南のこの地では桜が満開で、空気も行き交う人も、匂うほど淡く染まる。深大寺にもじきに花の便りが届くだろう。休憩して携帯を見るとメッセージが一件。昨日送ったメールと写真データの返信だった。

発信者 REIJI
件名 ストロンチウムの色だね
本文 海に沈む夕陽を届けてくれてありがとう。沙耶の心が伝わってくる。撮りたいものをありったけ撮ってから戻って来ればいいよ。おれはいつでも沙耶を待ってるから。
PS 玲は最近ますますうちの豆腐に惚れ込んで、入り浸ってる。新しいトーフスイーツを創作するって。オヤジもかなわないなぁ、なんて言いながら、また腰がしゃんとするようになったよ。

(了)

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<著者紹介>
藤森 みのり(武蔵野市緑町/46歳)

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