<第3回応募作品>「恋愛の条件」 著者:平 聡

春から高校で同じクラスになった中川めぐみのことが、僕はここ半年気になって仕方ない。
彼女は目立たない、おとなしい女の子だ。背丈はクラスの真ん中くらい。顔はどちらかというと童顔で彫りが浅く、髪は肩にかかるかどうかというくらいの自然に流した黒髪。部活は吹奏楽部に入っていて、いつも二、三人の女子と物静かに話している、そんな子である。もっとも一つその印象とかけ離れた部分があって、それは運動神経が抜群に良いということだ。体育の授業は男女別々なので、僕がそれを知ったのは、五月のはじめにあったクラス対抗のスポーツ大会の時だ。バスケットボールに出場した彼女が、鮮やかなドリブルで群がる女子をあっという間に抜き去り、見事なシュートを決めるのを見て、僕は普段の様子とのギャップに何か胸がすくような思いがしたのを覚えている。
ただしこのギャップのために中川めぐみが気になりだした、というわけではない。というのは五月のこの行事の時にすでに、僕は嬌声を上げながら体育館を駆け回る女子の中で、彼女ばかりを目で追っていたのだから。
彼女と直接会話を交わしたのは今までたった二回きりだが、僕はその詳細をことごとく再現することができる。一度目は五月の連休明け。放課後の掃除当番が一緒になった時だ。たまたま彼女が運んでいた机を誤って倒してしまい、中に詰まっていたノートやプリント類が床に散乱した。僕はちょうどすぐ近くに居たので、胸をどきどきさせながら
「大丈夫? 足とかぶつけなかった?」
 と言いながら机をつかんで引き起こした。
「うん。ありがと」
 彼女は言って床にしゃがみこみ、散らばったプリント類を拾って机の中に戻し始めた。僕は何か気の利いたことを言わなくちゃと焦ったが、彼女がしゃがむ度にふわっと広がる制服のスカートと、その動きにつれてかすかに立ちのぼる甘い香りで神経がかき乱され、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
二度目は夏休み中の登校日の朝である。集合は午前十時だったが、僕は日が高くなってから自転車を走らせるのを嫌って早めに家を出て、午前九時過ぎに学校に着いた。教室は冷房が入るので、本でも読んでいようと思ったのである。ところが教室に入ると、思いがけず中川めぐみが一人、机に向って勉強をしていた。僕はわななきながら
「おはよう」
 と声をかけたが、その声はおかしいくらい小さく、教室の後ろの方にいた彼女にはほとんど聞こえなかったのではないかと思う。けれども彼女は顔を上げて、
「あ、辻君。おはよう」
 と言い、それからちょっと笑いながら
「あたし時間間違えて八時半に来ちゃった」
 と舌を出したのだ。僕はとっさに「僕も間違えちゃった」と言おうとしたが、奇妙な自制心がそれを口にさせず、
「僕は暑いのがやだから早めに来た」
 といささかぶっきらぼうに言った。
「そっかあ。暑いの苦手そうだもんね」
 中川めぐみは何気なく口にして、それからはっと息を飲んで口に手をやった。「あ、ごめん。そういう意味じゃなくて」と言おうとして、それをも飲み込んだことを僕は瞬時に察した。
「それでも暑かったけど」
 僕は押しかぶせるように言って窓際の一番前の自分の席に座り、素早い動作で本を取り出した。あの時の、全神経が背中に張り付いているような感じ、本の文字が一行たりとも目に入ってこない波立った気持ちを、僕はどうにも忘れることができない。後ろを振り向いて何かひとこと言えれば、という痛切な思いを抱いたまま、僕は結局次のクラスメートがやってくるまでの十五分くらいの間、石像のように固まったまま、教室の時計の秒針が立てるかすかな音を聞いていたのである。
 好きなんだったら、もっと愛想良くすればいい、とか、ダメもとで想いを打ち明ければ、などというのは僕の肉体的条件を無視したたわごとだ。僕がそんなふうに生まれついていないのは、僕の姿を一目見れば誰だってわかる。身長百六十五センチ、体重百二キロ、胡桃を口いっぱいに溜めたリスのようにぶらりと垂れ下がった顎の肉。僕が座ると大抵の椅子はギリギリと嫌な音を立てるし、僕の自転車は小さな段差を越える度に、今にもバラバラに分解するのではないかと思われる程、激しく振動する。
 小さいときからデブと言われ続け、町を歩けば同情心から目をそらす他人の気持ちにことさら敏感になるこの僕が、自分の本心を隠し、ことさら無愛想に振舞うのは、正当な精神の自衛のはずである。それならばいっそ、女の子が好きになるとか、彼女が欲しいとか、そんな気持ちが起きなければ良いのだが、僕の心は無情にも彼女を離れてくれず、僕の背負わされた条件、自分の醜さを痛いくらいに自覚させるのである。
 いつもながらの堂々めぐりの考えをここまで続けたところで、階下から母が呼ぶのが聞こえた。食堂に下りていくと、父と母、それに小五の妹がすでに食卓についていた。三人が三人とも、ずんぐりした胴の上にまん丸な顔をちょこんと載せて、小さな茶碗と箸を操っている姿を見て、僕は不快な感じが胃の中に広がるのを覚えた。うちの家族は別段大食いというわけではない。普段の食事も野菜と魚が中心の、至って健康的なものだ。にもかかわらず全員がまるで手品のようにころころと太っているのは、間違いなく遺伝子の仕業である。そう思うと、僕は三人が呑気に笑ったりなぞしているのが腹立たしくてたまらなくなる。黙り込んで御飯を一杯だけ食べ、早々に食器を片付けようとしたところで、母が言った。
「なんか最近落ち込んでない。どうしたの」
「別に」
「嘘。なんかあるんでしょ」
「ねえよ」
 すると父がにやにや笑いながら言った。
「ははあ。恋患いだな」
 おそらく適当に口にしたに違いないその言葉が、僕の心を直撃したために、僕は思わず立ち尽くした。すると妹がキャハハと笑って、ませた口調で喋りだした。
「だったらねえ、深大寺に行くと良いよ。縁結びの神様が居るんだって。優菜ちゃんが言ってた」
 ふん。ばかばかしい。お前もそのうち神頼みなんぞ役に立たない絶望的な肉体の条件に嫌でも気付かされる事になるさ。僕はそう思い、無言のまま自室に戻った。

 だがそれから二週間程経った秋晴れの日曜日、僕は自転車で野川を渡り、深大寺に向かう坂道をのぼっていた。妹の言葉が心の片隅になかったと言えば嘘になるが、別に神頼みをしようという訳ではない。僕は元来日本史好きだったので、たまたま日本史の資料集に、白鳳時代の釈迦如来像が深大寺にあると書いてあるのを読んで、それを見に行こうと思ったのだ。
蕎麦屋と土産物屋の並んだ短い参道は文字通りごったがえしていて、もちろん家族連れや女同士のグループも多かったが、どちらを向いても大学生の、中年の、あるいは高校生のカップルが必ず一組は目に付く。僕は急いでそこを通り抜け、本堂、大師堂、白鳳仏のある釈迦堂と順にお参りした。椅子に座った形の珍しい釈迦如来像は、彫りの浅いすっきりした顔立ちに優美な気品を湛えて鎮座しており、僕は思わず感嘆のため息をついたが、次から次へと流れてくるカップル達が手をつないで喋りながら僕の前を通って行くのに、やはり神経を逆撫でされずにはいられなかった。
「白鳳時代だって。徳川家康とかの時代?」
「もっと前だろう。義経とかの時代じゃねーの。俺よくわかんねーけど」
 といった会話に僕は苛立ち、僕が中川めぐみと一緒にここに来れば、どれほどちゃんとした解説ができることかと思わされ、それにつけてもこんな男にも決して勝てない条件を背負った自分を呪う気持ちが否応無しに膨れ上がるのである。
ああ、ダメだダメだと思いながら山門の下のベンチに座り込む。ペットボトルのお茶を飲みながら辺りを見回すと、団子をかじりながら行き交うカップルや杖を突いた老婆、はしゃぎまわる子供をつれた若い夫婦などが、ベンチを二人分占領した僕に、例の微妙な憐憫の視線をなげかけてきた。
手に入れた寺の解説パンフレットに目を落とし、若者が島に幽閉された娘に会うため、深沙大王に遣わされた亀の背中に乗って湖を渡るという伝説を舌打ちしたいような気分で読む。おそらく自分が亀に乗ったら、亀は重みに耐え切れずに水の中に沈み、僕は溺れ死ぬことだろう。深沙大王とやらが助けてくれるのは、結局条件に恵まれた人間だけなのだ。
ちょうどこう考えた時、ドサッという音と「キャー」という悲鳴が聞こえて、僕は反射的に階段の方を振り向いた。見ると階段を降り切った所に、青い甚平のようなものを着た男がばったりと手をついて倒れている。
「大丈夫?」
 首まで隠れる黒いセーターを着た、細身ですっきりとした顔立ちの美女が心配そうな声で言い、かがみこんで助け起そうとした。男は真っ赤な顔で苦笑いしながら跳ね起き、無言で彼女の手を取って急ぎ足で歩き出す。その姿を見て、僕は思わずベンチから立ち上がった。二十代と思われる背の低いその男は、あちこちに垂れ下がった肉がフルフルと揺れるすさまじい肥満体型だったのである。体の中から突き上げてくるような衝撃があって、僕はやにわに二人の後を追って歩き出した。周囲の人の視線はもはや眼中になかった。ただ女に背中をなでられながら急ぎ足で歩く巨体が僕の目と心を占領していた。
二人は参道を出て右に折れ、すぐ近くの蕎麦屋の駐車場で濃緑色の四輪駆動車に乗り込んだ。若いカップルには不似合いなその車がのそのそと車道に出て行くのを駐車場の入り口に立って呆然と眺めていた時、僕は不意にあることに気付いてあっと声を上げた。そして二人を乗せた車が走り去った後、僕は自分の心の中に、今まで持ったことのなかったある勇気がふつふつと滾っているのを知ったのだった。

(了)

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<著者紹介>
平 聡(東京都八王子市/26歳/男性/アルバイト)

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