<第2回応募作品>『残暑のバス、発車します』著者:篠原 ユキ

「あのさ、頼みたいことがあるんだけど。手伝ってくれたら、深大寺のそばおごるから」
 坂崎さんから携帯にそんな電話がかかってきたのは、初めて会ってから1週間後、まだ暑さが残る時期のことだ。
私は、ミニコミ誌を発行している小さな編集プロダクションで、ライターとして仕事をしている。坂崎さんは地元の商店会の若手で作っている町おこしグループ「あきんど組」の一人だ。調布の「布」にちなんで、オリジナルの手ぬぐいを、市内の小学生と一緒に作った、という話題を取材した時に顔を合わせた。坂崎さんはリーダーの奥村さんの同級生で、バイクショップの2代目。子どもと一緒に一番騒がしかったのも彼だった。
 頼みとは、あきんど組有志で、調布の名所PRのビデオを作ることになったので、その撮影を手伝ってほしいとのことだった。曰く、「自分がバイクを運転するから、アサコさんは後ろに乗ってカメラを回して」。あきんど組の人でやれば、と辞退したら、「ムサい男を俺の後ろに乗せたくない」などと言う。
 バイク二人乗りの図は想像できる。密着度を考えると冗談じゃない、と思ったが、貸しを作っておけば今後の仕事につながるかも、という下心がくすぐられた。好奇心も手伝って、翌週の火曜日早朝に撮影をすることになった。

 当日、坂崎さんは時間になっても待ち合わせ場所のつつじヶ丘駅に現れない。自分が時間を間違えたのかと思って坂崎さんの携帯に電話してみると、「寝坊した...」という。自分から誘っておいてなんなんだ、と思ったが、仕方がないので近くのコーヒーショップで坂崎さんの到着を待つことにした。ガラス窓の向こうを、通勤や通学の人たちがせわしなく通り過ぎる。
 私は5年前に恋人を旅先の事故で亡くした。学生時代からの付き合いで、30歳になったら結婚しようと話をしていた。あまりに突然のことで、私は意味がわからないまま葬儀に参列した。今日みたいな暑い日だった。大事な人が突然消えてしまったという痛み。私は振り切るようにそれまで勤めていた事務職をやめ、今の編集プロダクションに転職した。余計なことを考えなくてすむように、忙しい職種を選んだのだ。
 あれから5年。私は30になった。仕事は楽しいけれど、時々ふと思う。これでいいんだろうか。私が毎日走り続けているのは、痛みから目を背けたいだけなのではないかと。
 「お待たせ」
 坂崎さんの声で我に返った。
 
 「行こうか」。シートにまたがった坂崎さんが、後ろを促す。慣れないヘルメットをかぶった私は、やや緊張気味に坂崎さんの腰のあたりのシャツをつかむ。「もうちょっとしっかりつかまって。危ないから」。観念しろ、アサコ。しっかりと坂崎さんの腰に腕を回した。身体を近づけると、意外に広くて安心感のある背中だった。微かにタバコの香りがする。嫌じゃない自分に驚いた。そして、さっきまで死んだ恋人のことを考えていたというのに、坂崎さんの背中にうっとりしている自分を、少し不謹慎だと思った。ベージュ色のバイクはなめらかに動き出した。

 「じゃあこれ。使い方は簡単だから。ここ押せば撮影スタート」。深大寺に着くと、坂崎さんはバッグから小ぶりのデジタルビデオカメラを出して、私の手に持たせた。モニターには、深大寺の参道と山門が映っている。「じゃ、まず練習。バイクで流し撮りする前にカメラに慣れて」。録画ボタンを押し、参道を山門へ向かってゆっくり歩く。「そこ右ね」。坂崎さんが私の肩に手を回した。あ、手。と思ったが、神経を手の中のビデオカメラに集中させた。

 深大寺と深沙大王堂を一回りして、元の駐車場に戻って来た。坂崎さんの手が肩から離れるのを感じて、私は少しほっとした。「じゃ、今度は植物公園の方に移動――あれ、鍵がない」。バッグの中を探りながら坂崎さんが言う。その手はジーンズのポケットに移り、シャツのポケットに移り、ついには身体全体をぱんぱん、とたたくまでになった。
 「落としたのかな」。坂崎さんはさっき撮影して歩いた場所を、もう一回りして戻ってきた。「だめだ。ない。たぶん、バイクにキーをつけっぱなしにしちゃったんだろう。誰かがキーだけ持っていったのかもしれない。ここ離れるの危険だな。今度戻ってきたらバイクごとなくなってそうだ」。
 お寺の門前で断りもなく人の肩を抱いたりするからバチがあたったんだよ、そう心の中で毒づいた。次の取材の時間が迫っている。「坂崎さん、ごめんなさい、もう時間がない」私は時計を見ながら言った。「ああ、そうだよね。送ってあげようと思ってたのに。申し訳ない」。坂崎さんは本当に残念そうに言う。ちょうど吉祥寺行きのバスが来たのが見えた。「あれに乗っていけば間に合うから。ごめんなさい、じゃあ、ここで解散ってことで」。
 逃げるように走って行こうとする私の手を坂崎さんがつかんだ。あっと思ったら抱きしめられていた。ほんの一瞬だったけれど。背中を押されて、バスの乗車口へ走ると、坂崎さんは何事もなかったかのように笑顔で手を振っていた。

 翌日、坂崎さんから電話があった。結局、バイクの鍵は見つからず、レッカー業者を呼んだという。「セクハラした罰が当たったのかな」なんてうそぶいていた。確信犯だったのか、なんて奴だ。でも、バイクの件でしょげている様子はかわいい。結局、「そばをおごる約束は果たす」という坂崎さんに押し切られ、今度は週末に深大寺に行くことになった。電話を切ったあと、また会えるんだな、と思っている自分に気がついて苦笑する私を、隣席の同僚が不思議そうに見ていた。

 同じ日の午後、商人組のリーダーである奥村さんにばったり調布駅前で会った。先日の取材の礼を言って軽く世間話をしているうちに、「野並さんは結婚してるの?」と聞かれた。よくあることだ。私も「まだです。誰かいい人いたら紹介してくださいよ〜」と返すのが定番になっている。奥村さんは屈託のない顔で笑う。「あきんどメンバーは全員結婚してるからなあ」。ということは、坂崎さんも?なるべく顔色を変えないように聞いてみた。「坂崎さんも?あの人全然結婚してるようには見えないですよ」
 「ああ、坂崎んとこは別居してるから」
 「別居?」。奥村さんは余計なこと言っちゃったなあ、という顔をした。わかりやすい人だ。
 「いやー、なんか、坂崎君とこ、2年前に奥さんが流産しちゃってから、あんま仲良くないみたいなんだよね。あきんど組の集まりに一度もつれてきたことないし。あとさ、坂崎君、バイクレースにも出てるんだよ。俺、一度見に行ったことあるけど、すごいよ。ありゃ命がけだね。死ぬために走ってるような感じだったよ。ちょうど奥さんのこともあったし、あんまりのめりこんでるとまずいんじゃないかと思って、それであきんど組に引っ張り込んだんだけどさあ」。
 
 約束の週末、待ち合わせの時間よりもずっと早く私は深大寺に到着した。まだ時間があったので、深沙大王堂の方へ行ってみることにした。小さな湧水池があり、清浄な空間が広がっている。ここは真夏の昼間でも静かで、涼しい。
湧水のほとりにしゃがんで、湧き出る水を眺めた。坂崎さん、奥さん、別居、流産、レース、死。坂崎さんも私も、形は違うけれど、結局痛みから目を背けようとしているだけじゃないのか。その事実だけが、水にさらされた布のような白さで光っているように思えた。
 足音がして振り返ると、坂崎さんが立っていた。「早いね」。私は立ち上がって、坂崎さんの方に向き直った。「奥村さんに聞きました。奥さんのこと」
 坂崎さんは少し驚いたようだった。そして、あのおしゃべりめ、と苦笑いをした。「さすが記者」。坂崎さんはシャツのポケットから煙草を取り出す。「いいんだよ、もう。『もう子どもはいらないよね』って言われちゃったし。俺、用ナシなんだよ。実家に帰った嫁さん連れ戻すような甲斐性もないし」
 「坂崎さん、楽しいことは奥さんと分け合う努力をしてください。今の坂崎さんは奥さんと向き合うのが怖くて、逃げてるだけです。痛々しくて見ていられません。少なくとも、私は、自分の好きな人が、向き合うべきものから逃げている姿なんて見たくない」
 坂崎さんはまだ笑顔を崩さない。私はこの人の笑顔の後ろにあるものを何も知らないけれど、とても自分に近いものだと思う。坂崎さんも多分同じように感じていたのだろう。だから、私は坂崎さんに言いながら、私は自分にも言い聞かせた。恋人を失った現実から逃げ続けている自分に。「大事なことはちゃんと先に言ってください。私、もう少しで坂崎さんのこと好きになるところでした」。

 参道の向こうにバスが来たのが見えた。「坂崎さん」。今度は私から坂崎さんを抱きしめた。一瞬だけ。暖かい背中だ。でも、この暖かさは私のものではない。少なくとも、今は。
 「じゃあ、さようなら」。発車しようとしていたバスに飛び乗った。ドアが閉まる。坂崎さんは困ったように笑って言った。「そばはまた今度な」。バスがゆっくりと動き出した。

(了)
 
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<著者紹介>
篠原 ユキ(東京都三鷹市/30歳/会社員)

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