<第1回応募作品>『インターバル』著者:浅田 昌之

 四月。深大寺へと続く満開の桜並木。ランドセルを背負った子どもたちが一列に並んで学校へ歩いている。一番背の高い女の子が先頭で、続いて背の低い順に6人がカルガモの親子のように進んでゆく。一番後ろの男の子が僕に気づいて話しかける。
「先生、おはようございます。何かいいことあったでしょう。」
「おはよう。なんで分かるの。」
「先生、鼻で歌っている時はいつも機嫌がいいじゃん。みんな知ってるよ。」
音楽の講師である僕は、毎日、子どもたちと同じ時間に登校する。学校の安全管理の一環として、校区内から歩いて通う僕は、警備員のような役割を任されている。鼻歌の理由は、この日、目覚まし時計よりも1時間早く鳴った携帯電話のせいだ。
「もしもし。由美子です。隆之、そろそろ起きる時間でしょ。こっちは夜の10時。きょうね、バルセロナで桜を見つけたの。今、五分咲き。東京は何分咲き。」
彼女から1週間ぶりの国際電話だった。彼女の声は、いつ聞いても美しい。プロのソプラノ歌手だから、当たり前かもしれないけれど、彼女の声には人の心を和ます不思議な力がある。彼女は何か相談事がある時に電話をしてくる。しかも浴室からと決まっている。のどを守るため、毎日バスタブの中で1時間以上過ごす。その間に本を読んだり、電話をしたりするのが彼女の習慣だ。僕はいつも裸の彼女を想像しながら話すことになる。本物は、まだ一度も見せてもらったことがない。
「桜はちょうど満開。今度の週末、神代植物公園は観光客できっと一杯になるよ。そっちはどう。蝶々夫人の稽古は順調かい。」
「イタリア語の発音が微妙に違うらしいの。今日もイケメンのピンカートンに注意されてしまいました。どうしたらいいと思う。」
「学生時代からさ、相手がイケメンだと、素直に耳を傾けるんだよな。俺のアドバイスなんて、たまにしか聞かないくせに。由美子のイタリア語は大丈夫だよ。今度のピンカートンさんはドイツ人だろ。ドイツ訛りを指摘して、やり返してやれよ。舞台はそうやって良くなっていくものだろ。」
「なるほど。さすが先生。励ますのがお上手。」
「ほら、俺が相手だと素直じゃない。で、今度、いつ帰国するの。」
「10月かな。その前にさ、隆之、夏休み、こっち来なよ。新婚旅行ごっこしようよ。」「"ごっこ"が余計だよ。だいたい無理言うなよ。俺には合唱部の指導があるの。」
「真面目に答えないでよ。冗談で言っているんだから。子どもたちは、頑張ってるの。」「今年は、いいよ。子どもたちのやる気が違う。帰国したらコンクール聞きに来てよ。」「楽しみにしてる。それじゃ、またね。なんか隆之と話したら元気が出てきた。」
「お役に立てて光栄です。バスタブで居眠りするなよ。期待の新人オペラ歌手が風呂場で溺れたら、かっこ悪いからな。」
「はい。はい。先生、分かりました。」
機嫌がいいと、ハミングする。そんな癖があることを僕は、この日初めて知った。

 彼女を初めてデートに誘ったのは6年前。大学院を卒業する3月だった。僕と彼女は、音楽大学で声楽を学ぶ同級生。その頃すでに、彼女は国内の声楽コンクールで優勝したことをきっかけに、プロ歌手として活動を始めていた。そして、僕は、母校の教壇に立つ夢をかなえ、卒業コンサートのマネージャーを務めたことをきっかけに彼女と親しくなった。自分が生まれ育った町を知ってもらいたくて、深大寺に誘った。観光客が少なくなる午後3時すぎに、馴染みの蕎麦屋の暖簾をくぐった。座敷に上がり、その店の名物である野草てんぷらを注文した。店の女将が料理を一つ一つ解説してくれたので、彼女はとても喜んで食べた。僕はちょっと得意になった。店を出た後、二人で参道を歩いた。小学校時代、この道が通学路だったこと、境内の池でザリガリを捕って坊さんに怒られたこと、子どもの頃の思い出を話して聞かせた。本堂の前で、二人並んで、さい銭箱にお金を投げ込んだ。彼女は、2拍打ってから手を合わせた。
「神社は2回たたくけど、お寺は手を合わせるだけだよ。」
「あ、そうだっけ。失敗。」
境内には、僕と彼女だけ。心の中で「この人とずっと一緒にいさせて下さい」と唱えた。深大寺を出て、今度は4月から僕の仕事場となる小学校に向かった。門の外から中をのぞきながら、かつて校庭の真ん中に大きな桜の木があったことを話した。サッカーをする時は、みんな桜の木を避けてパスを回した、と言ったら、彼女はその日一番素敵な笑顔になった。その瞬間、僕は彼女が寺で何を祈ったのか聞きたくなった。しかし、自分の願いごとを聞き返されるのを避けるために思い止まった。彼女は何かを察したのか、僕の顔から視線を外し、校庭の真ん中を見つめた。そして僕に言った。
「深大寺の神様って、どんな御利益があるの?」
「厄除けだよ。それと縁結びが少々。」
「今日、どうして私を誘ってくれたの。」
「由美子さんが蕎麦、好きだって言うから。」
「そうなんだ。また誘ってね。」
僕と彼女の距離は、心配したほど遠くもなく、有頂天になるほど近くもなかった。

 夏休みの音楽室。合唱コンクールに出場する36人の子どもたちが集まっている。6年生の4人は、僕が講師になった時に入学した子どもたちだ。みんな歌が大好きで、下級生の面倒見も良い。ソプラノ、アルト、テノール、バス。パートごとの発声練習は、すべて子どもたちに任せている。去年、合唱部は初めて東京都の大会で金賞に選ばれ、関東大会に出場。今年は、さらにその上の全国大会出場を目標にしている。
「みんな聞いて。明日はいよいよ東京都大会です。一人一人が練習通りに歌えば、きっといい合唱になる。今まで一緒に頑張ってきた仲間のために一生懸命やろう。」
練習の最後に自由曲を歌った。歌い終えた瞬間、子どもたちは黙ったまま互いの顔見合わせ、笑顔を浮かべた。みんな自分たちの合唱に自信を感じている。子どもたちのこんな雰囲気は初めてで、指導者として心が満たされる気分だった。その日の朝、由美子から国際電話があった。これからの二人について話した。
「私は、世界で一番好きな人と結婚したい。だから、隆之にバルセロナに来て欲しい。歌手を続けながら一緒に暮らすにはそれしか方法がないの。」
「子どもたちに歌を教えることは、僕の夢であり、生き甲斐でもある。俺だって由美子と一緒に暮らしたいけど、そのために夢を犠牲にすることは出来ない。離ればなれでも今まで通りお互い励まし合って頑張りたい。」
外国で活動するオペラ歌手と小学校の先生。歌を愛する気持ちは同じでも、二人の夢と現実の間には、大きな隔たりがあった。

 秋。神代植物公園の庭園では、バラの花が我こそ一番と、その華やかさを競って咲いている。合唱コンクールの全国大会を前に、由美子が帰国。久しぶりに顔を合わせた。「すごいね。とうとう全国大会出場まで果たすなんて。でも隆之なら、いつかやると思っていた。」
「あすのコンクール。子どもたちの歌を聴いてもらえば、僕の気持ちがきっと分かると思う。その上でどうするのか二人で決めよう。由美子の気持ちも確かめたいし、自分の気持ちも確かめたいから。」
「全国制覇の自信はあるの。」
「コンクールは相手のあることだから分からない。でも、子どもたちは本当にすごいよ。」
「私と子どもたち。どっちが好きなの。」
「子どもは素直だからね。」
彼女の笑顔は、植物公園に咲くどのバラの花よりも美しく、僕の心を和ませるのだった。 合唱コンクールの全国大会は、地区予選を勝ち抜いた10校によって競われる。課題曲と自由曲を連続して歌い、その年の日本一を決める。

 大会当日の朝、僕は深大寺へお参りし、手を合わせた。コンクールのこと、由美子のこと、すべての未来を信じたい気持ちでいっぱいだった。大会会場の音楽ホールは、何度も訪れたことがあったが、この日はやはり特別な場所に感じた。午後2時すぎ、僕は指揮者として、36人の子どもたちと一緒に夢の舞台に立った。客席に向かって一礼する時、一番声の響く席に由美子の姿を見つけた。とびきりの歌を愛する人に届けようと、僕は指揮棒を振りおろした。
「まさか本当に全国の頂点に立っちゃうなんてね。隆之が子どもたちに夢中になる気持ちが分かったわ。わがまま言ってばかりの自分が恥ずかしくなっちゃった。」

 その日の夜、僕は彼女を自分の部屋に招いた。二人の夢と現実にある大きな隔たりを乗り越えるため、気持ちを確かめるため。
「で、由美子はこれからどうするの。」
「離ればなれは寂しいけれど、もうちょっと私も頑張ってみる。」
「なんだ、ちょっとしか頑張らないの。俺は死ぬまで一緒に頑張りたいのに。」
「はいはい。日本一の先生が言うなら、仕方がないな。」
「本当に素直じゃないよな。」

(了)



<著者紹介>
浅田 昌之(東京都調布市/37歳/男性/会社員)

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