<第1回応募作品>『日が暮れていく間にも君を思う』著者:芳刈亜緒

 もみじの大学院入試が迫り、彼女は勉強に集中したいから僕とはしばらく会わないと言った。それは試験日のちょうど三週間前のできごとであり、今日まで僕は彼女に会っていない。これまで、デートの約束を取りつけるべく先に動き出すのは決まって僕で、僕は自分で「もみじに会っていないと『くさくさ』してしまうたち性質」だとわかっていたから、そうしていたのだった。そんなふうだから、彼女に会わないことに対する耐性がまるでないはずの僕が14日間も彼女に会わずにいられたことは奇跡といえた。
 だけど今日、僕は彼女の住む街へ向かって自転車を走らせている。

 昨日、僕の家の「たると」(ウェルシュコーギー・♀・3才)がこどもを産んだ。「たると」の妊娠はもみじも知っていたから、出産の感動に震えているうちにこの気持ちをもみじに知らせたいと思ってしまったのだ。−感動なんて言葉じゃ薄っぺらくていやなんだけど、しっくり来る言葉がないんだ。うまく説明できないな、ただこみ上げてくるものがあったよ。泣きそうにもなった。彼女に会ったらどう話そうか、シュミレーションをしている自分に苦笑してしまうけれど、楽しくて止められなかった。
−たると、どうだった?
 ふうん、今はもう落ち着いてるの?
 こども大きくなるの、楽しみだねえ。
 彼女からの返答まで考えはじめて、はっと気づいた。
−どうして来たの?

−私、会わないって言ったよね。キミと約束したよね。キミもわかったって言った。なのに、何で?彼女なら言いかねない言葉だ。自分で想像しておきながら、その鋭さによって僕の甘い空想はばっさりと切られた。もみじはすごく頑固で、自分の計画とか、生活するリズムを崩されるのを非常に嫌がる。デートで寄り道を提案しようものなら、途端に機嫌が悪くなる。そして今、勉強に打ち込んでいるところに僕が行ったとしたら・・・。僕の空想がどんどん悪い方向に向かっていくにつれ、ペダルをこぐスピードは落ちていった。家を出た当初の勢いはすっかり影を潜め、気がつくと薄暗い失望のイメージが僕に張りついている。僕がもみじに会いたいと思っていても、もみじは同じように思っていないかもしれない。それなのに僕がもみじに会いたいと思って一生懸命に伝えるメッセージを考えたり彼女の顔を思い浮かべながらニヤついたりしていることって、僕のエゴなんだろうか?今や僕の両足にはちっとも力が入らない。前へ進む動力をすっかり失ってしまっている。少し立ち止まって考えたい。そう思って両足をそうっとアスファルトにつけた。アスファルトの上にはだいぶ落ち葉が積もっている。視線を前に向けていくと道路の両脇にサクラの木々が植えられていて、道路に覆いかぶさるように枝が広がっているのがわかる。このきれいな直線道路には馴染みがあった。もう、深大寺まで来ていたのか。

 もみじの家まではもう4、5分のところまで来ているのだが、完全に足の止まった僕は、少し落ち着こうと思い、久々に深大寺を訪れた。
 境内では蝉1匹分の鳴き声を耳にし、彼岸花の赤い花弁を一年ぶりに目にした。夏の終わりと秋の始まりを同時に味わっているような気持ちになる。
 これ以上家に居たくはないし、かといって新宿や渋谷みたいな「あくせくした」街に行ってデートしたいとは思えないような時に、僕らは深大寺に来た。深大寺に漂うゆったりとした空気は、もみじの心を安らげてくれるようで、普段と比べると深大寺でもみじが時間を気にする様子はあまりなかった気がする。そんな風にして深大寺でのデートを次々と思い出してしまい、今独りでいることの寂しさがいっそう身に沁みてきた。
 こんなに近くにいるのに、何で会えないんだろう、こんなんなら遠恋のほうがましだよとか、もみじは会わなくても平気なんだろうか、僕みたいに僕のことを思い出したりしないんだろうかとか、つまりはもみじのことを考えながら僕は茶屋の前を横切る人達を見るともなしに見ていた。すると、「たると」と同じ犬種を連れた、若い男女の二人組が横切って、僕はまたうっかり「たると」を連れてデートに来たときのことを思い出してしまった。
 
 まだ「たると」は仔犬っぽさが残っていて、すれ違う人が「わあっ」とか「かわいいねえ」とか言っているのが聞こえて、そのせいかもみじは散歩中よく笑った。もみじの笑顔を見ていたら僕はうれしくなり、高揚してきて、伸びをしながら冗談っぽく、「幸せだな〜っ」と言ってみた。するともみじは一瞬きょとんとした後で、顎の先を左手でもみながら、視線を下に落とした。少なくとも機嫌がいいようには、見えなくなったので、慌てて、
「どうした?僕の言ったこと気に入らなかった?ごめん」
と言うと、彼女は、左手を顔の前でぴらぴらさせながら
「あ、違うんだけど」
と言った。
「よく『幸せにしてあげる』とか『幸せにしてください』っていう決め文句があるじゃない?私あれ嫌い」
 僕は曖昧に頷いた。
「幸せってそんな人任せにできるものじゃないよね。結局は自分の心の中で、自分の価値観で決めることでしょう?だから私は幸せに・・なるの」
彼女は真っ直ぐ前を向いたまま、そう言った。
 彼女の、自分の意志を貫く心の強さというのは日頃の付き合いの中でも垣間見えていたが、それは時として僕を悩ませ、頑固すぎやしないかという感想も持った。しかし、このとき僕は彼女の心根は頑固という表現には全く当てはまるようなものではなくて、むしろ自分の意志や力に疑いを持たないという意味で純粋というのが相応しいんじゃないかと思った。
 僕はそういう結論に至ったことで彼女が眩くいとおしい存在に思えた。そこで、
「じゃあ、一緒に幸せになろう」
と彼女に耳打ちしたのだった。
 その時の、彼女の顔といったら!僕が告白したときのように大きな目をさらに大きく見開き、頬は瞬時に紅潮したのである。そうして、照れくさそうな笑いを浮かべて、ちゃめっ気たっぷりに、
「プロポーズのつもり?」
と返してきた。
 それで僕たちは一気にはじけて、大声で笑い出したものだから、足元の「たると」が(なんだろう)という顔で僕らを見上げたのだった。

池には3分の1ほど赤くなった木の葉が浮かんでいた。カルガモが1羽、池の真ん中辺
りで休んでいる。僕はまだ、茶屋の前に腰掛けている。少しばかり風が冷たくなってきたように感じて、僕は茶屋でほかほかの"そばパン"を買った。
もみじは間違いなく自分のために、もっと言えば将来の自分の幸せのために、「会わない宣言」をしたのだ。そして僕は、今の自分の幸せのために彼女に会いたいと思っている。「将来の幸せ」と「今の幸せ」というのはさしたる問題ではない。重要なのは、お互いはただ純粋に自分の幸せを願っているというところだ。そして、自分の幸せを考えての選択が、相手の幸せを邪魔するかもしれないというところだ。
 だけど僕は忘れていない。あの時言った、「一緒に幸せになろう」ということばを。僕の幸せともみじの幸せは今の時点では矛盾しているように見えるかもしれないけれど、価値観によって幸せが決まるなら、考え方次第で僕ともみじがともに幸せを感じるようになれるはずだ。だからもう少し、ここで考えていきたいと思った。考えたいと思ったこと自体は数時間前にサクラの木々の下で前進する気力を失ったときと同じだけれど、今回の僕には何となく明るさがあるぞ、と思った。少しずつ落ち始めた初秋のひ陽の光はやわら
かく、僕の背中にじんわりとしみわたっていった。


(了)



<著者紹介>
芳刈亜緒(東京都世田谷区/24歳/女性/会社員)

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