<第1回応募作品>『亀、捨てるべからず』著者:中島 晴

 亀の捨て場所に困っていた。この三年でずいぶん大きくなった。
 その日は朝から降っていた雨が昼過ぎには上がり、勝手な言い草だが亀を捨てるには良い日に思えた。ダンボールの箱に亀を入れて自転車に積むと、深大寺門前の亀島弁財天池を目指す。地図を見てめぼしをつけておいた場所だ。今日こそ亀を捨てよう。
 この町には大きな植物園があることと、深大寺という古い寺があり、その門前でそばが名物であることだけは越してくる前から知っていたが、住み始めて半年、まだ植物園も寺も訪れたことはなかった。ほどなくして着いた亀島弁財天池は亀の楽園に見えた。思っていたより広い池で亀がのんびり泳ぎ、小さな岩の上では重なり合って甲羅を干していた。絶好の亀捨て場だ。
 自転車を止め、箱の中でごそごそしている亀に別れを告げる。ごめんよ、もうおまえを飼っていられないんだ。ここで元気に暮らせよ。時々会いにくるよ。まさに池に亀を放そうとしたその時、鋭い声がした。
「池に亀を捨てないでください」
振り返るとそこには厳しい表情をした女の子が立っていた。
「よりによってアカミミじゃないの。だめよ、こんなものこの池に捨てないで。イシガメやクサガメが住めなくなるでしょ」
「えっ、だってもうここはアカミミばかりじゃない」
女の子の表情がいっそう険しくなるのを見て、自分が口を滑らせたことを後悔したがもう遅かった。
「そうよ、みんなが大きくなったアカミミを捨てにくるから、アカミミばかりになるのよ!とにかく飼えなくなったから捨てるなんて無責任よ。大人のすることじゃないわ」
えらい剣幕だ。僕はこの池に亀を放すのをあきらめた。女の子の言ってることは正しい。飼えなくなったからといって命あるものを捨ててはいけない。そして、外来種であるアカミミガメを、というよりミドリガメといった方がわかりやすいが、放すことは在来種であるクサガメやイシガメを追いやることになり、本来の生態系を壊す。例え、すでに日本国中の池がすっかりアカミミガメの天下になっているとしても、さらにそこにアカミミガメを放していいということにはならない。君の言う通りだ。
 僕は亀をダンボールに入れると女の子に頭を下げ、その場を立ち去ろうとした。
「待ちなさいよ、ここに捨てるのはあきらめて、よそに捨てようと思ってるでしょう」
図星だ。このあたりはきれいな水がいたるところを流れており、いくらでも他に亀を放す場所はありそうだった。詰問が続く。
「どうしてそんなに亀を捨てたいの?」
「辛いからだよ。この亀と暮らすのが辛いんだ。どうして辛いかは君には関係ない」
女の子の剣幕に言わずもがなのことを言い返してしまった。
「でも、あなたはこの亀と別れるのも辛いと思ってるでしょう」
これも図星だ。どうやら、さっき長々と亀に別れを告げているところを見られたらしい。「それなら私がその亀もらってあげるわ」
 思わぬことから、その女の子、深雪ちゃんに亀を引き取ってもらうことになった。小学生の時に夜店で買ってもらったアカミミをずっと飼い続けているので、一匹増えてもかまわないという。深雪ちゃんはこまめに亀の写真付きのメールを携帯にくれた。高校生だと思っていたら大学院に通う学生だった。
 何度か会社帰りに駅で会うことがあり、お茶を飲むうちに、待ち合わせて食事をしたり飲みに行くようにもなった。もうすぐ三十になる僕と話してなにがおもしろいのか、なんでもない話で笑い転げる子だった。
 秋になってしばらくした頃、おそばを食べに行こうとお誘いがきた。なんでも深大寺で「縁結びそば祭り」が開催されるそうで、その招待カップルに当選したのだという。
 縁結び......間抜けにもこの時になってようやく深雪ちゃんが僕に好意を寄せているらしいことに気がついた。気がついてみるともういけなかった。メール一通返すことができなかった。そば祭りの日、僕は携帯の電源を切り、家から一歩も出なかった。携帯の電源はそれからずいぶん長いこと切ったままにしておいた。深雪ちゃんをひどく傷つけることはわかっていたが、どうしようもなかった。もう誰にも僕を好きになんてなって欲しくなかった。僕は一人でいるべき人間だ。
 職場とアパートを往復するだけの日々に戻り一年が過ぎた。駅で深雪ちゃんを一度だけ見かけたけど走るように逃げた。もしかしたら走って逃げる僕の後姿を見られたかもしれない。さぞ情けない姿だったことだろう。でも、それでよかった。
 時々亀を手放したことを深く後悔した。その日、自分を持て余してやみくもに自転車を漕いでいるうちに見覚えのある風景、深大寺にたどりついた。お参りをすませてから、ここが千三百年もの歴史がある関東でも屈指の古寺であることを知る。境内には池や水路がいくつもありそこかしこで水音がした。水辺が好きだったおまえを連れてきてやったなら、きっと喜んだに違いない。境内の池の端にたたずみおまえのことを思った、その時だった。
「また亀でも捨てにきたの?」
聞き覚えのある声がした。
「走って逃げたって追いかけるわよ、今日は」
深雪ちゃんが立っていた。
「あの日、ずっと待っていたんだよ。どうして来てくれなかったの? 私のことが嫌いならはっきりそう言ってくれればいいのに」
まっすぐな質問が僕を射る。下を向いてしばらく黙っていたが、観念して誰にもしたことのない話を始めた。話し始めてすぐに、誰かにこの話を聞いてもらいたくてたまらなかったのだと気がついた。
 恋人がいたんだ。その日彼女は僕にペットの亀を預けにきた。翌日から友達とヨーロッパ旅行に出かけることになっていたんだ。そう、君に飼ってもらってるあの亀だよ。帰り際駅まで送ってくれって頼まれたのに、僕は見たいテレビがあるからって送っていかなかった。ビデオが壊れていて録画できなかったのは事実なんだけど、でも、本当はちょっとおもしろくなかったんだよ、彼女がヨーロッパに行くのがね。一緒に行ければよかったけど僕にはそんな余裕はなかった。
 そして、その帰り道彼女は飲酒運転の車にはねられて死んだ。信じられないだろう、そんなドラマみたいな話。勿論そばにいても助けてやれなかったかもしれない。みんながそう言って慰めてくれた。彼女が死んだのは僕のせいじゃないってね。でもね、恋人がまさに死んでいくその時、僕はテレビを見てへらへら笑っていたんだよ。そんな自分を許すことはできないだろう。
 手元にはあの亀だけが残され、それから三年あの亀と暮らした。でも辛くて辛くてとうとうあの日捨てに来たんだよ。勿論、本当に捨てたかったのは亀じゃない。僕が捨てたかったのは僕自身だ。君が僕のこと好きなんじゃないかと気がついた時、たまらなく恐くなった。僕は君の気持ちに応えてあげることはできない。逃げたりして悪かった。
 池の端にしゃがみこんだ。泳ぐ鯉が滲んでみえた。流れる水のそばに住みたいというのがおまえの口ぐせだった。庭先に小さな流れがあったならどんなにすてきかしらん。僕は夢みていた。そんな家におまえと住むことを。そして、その庭であの亀を飼うことを。
「それでも私はあなたが好きよ」
すぐには深雪ちゃんの発した言葉の意味がわからなかった。
ソレデモワタシハアナタガスキヨ
「私は大雪の日に生まれたの。それと深大寺の深沙大王から一文字いただいて深雪って名前になったの。深沙大王は亀に姿をかえて、引き裂かれた恋人を添いとげさせてくださった水神さまなのよ。私には縁結びの神様がついてる。だから、きっとあなたは私のこと好きになるの。そう信じてるの」
深雪ちゃんは一気にしゃべった。それから急にしゅんとして小さな声で言った。
「そんなのただの思い込みだけど」
それがただの思い込みじゃないことを僕は知っていた。僕も深雪ちゃんを好きになり
始めていたのだ。だからこそ、あの日会いにいけなかった。深雪ちゃんが話し続ける。
「彼女の亀を捨てたり、彼女のことから逃げようとするのはいけないと思うの。事故の時テレビ見て笑っていた自分が許せないのはあたりまえだと思うし、そのことで一生苦しむのも仕方ないかもしれない。そうでしょ」
辛くてたまらなくても全くその通りだった。
「でもね、亀を預かったように、悲しいときや苦しい時に私がそばにいればなにかしてあげられるかもしれないでしょう」
温かな湯が突然胸の中に流れ込んできたような気がした。温かな湯は胸から腹へ広がりそして足や手の指の先までゆるゆると流れ込んで行った。それは自分がどれほど冷え切
っていたかを知らされるような温かさだった。「あなたが元気を取り戻して、またあの亀を自分で飼えるようになるまで大事に預かっててあげるから安心して。その代わりに今日はおそばごちそうになろっかな。去年の縁結びそば祭りで食べ損ねたからね」
 涙目の深雪ちゃんがそう言ってけらけらと笑い、つられて僕も笑った。それから門前のそば屋で奮発して天ざるをごちそうした。記念だからと言って二人で大盛りを食べた。久しぶりに心が晴々とした。

(了)



<著者紹介>
中島 晴(神奈川県横浜市/45歳/女性/主婦)

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