<第1回応募作品>『手に温度』著者:佐藤 里奈

 このところ、携帯電話を握っている時間が確実に増えた。誰かからの連絡を待つ時間が増えたということだ。それは、楽しくもあり、息苦しくもある時間だった。
 麻衣は携帯の液晶画面をちらっと確認して、小さくため息をついた。翼からのメールはない。二つ折りにパチンと閉じる音が妙に大きく聞こえた。携帯をテーブルの脇に置き、お茶でも飲もうと冷蔵庫を開けに立ったとき、ブーンと振動音。麻衣はぱっと携帯を開き、メールを確認した。翼からのメールだった。そういうちょっとズレたタイミングだ。小さな落胆のあと、それを振り切って、諦めがついたころ。 それでも嬉しくてメールを読んで返事を打つ間、麻衣は顔にうっすら微笑みを浮かべている。送信して、携帯を閉じる。また翼からの返事を待つ時間。
 今、二人を繋いでいるのは携帯電話だけ。麻衣のもとから350キロ離れた東京三鷹に、翼は暮らしている。
 毎日ゆるやかに続く、翼からのメールに一喜一憂。不安になったり心配になったり、嬉しくなったり笑ったり、どうしようもなく会いたくなったり。そうして自分がメールに振り回されていると思うと苛立ちもしたが、翼とのやりとりでは許せてしまう。それはたぶん離れているからだ、と麻衣は思う。離れている自分たちを繋ぐものは、この携帯電話のメールしかない。そう気づいたとき、麻衣は翼にこう伝えた。

すぐに返事できるかわからないけど、いつでもメールしてね。

けれど、途切れることなく送受信を繰り返していると、 麻衣はときどきわからなくなる。自分はいったい何と繋がっているのだろう、向き合っているのは、この小さな機械じゃないか、と。翼との繋がりを確かめたくて、翼の気持ちを確かめたくて、麻衣はついつい挑発的な言葉を選んでしまうことがある。そしていつも後悔する。

怒った?
なんで?むしろニヤけた。
わざと言ったから。うーん、試した。
試す?そんなことしなくていいよ。...

翼は、麻衣のほうが恥ずかしくなってしまうような甘い言葉で、麻衣の不安をくるっと包んでしまう。翼の腕の中にいるみたい、そう感じると安心して、素直に「ごめんね」と言える。メールは表情が見えないぶん、本当に怒っているのか、冗談なのかわからない。
返事を待つ間の後悔と不安、怖いくらいだった。もうあんな気持ちにはなりたくない。試さなくてもいいという、翼のまっすぐな気持ちを信じよう、と麻衣は思った。
日差しと湿気で空気が重みを増し、夏の気配を感じるころ、麻衣は友人の部屋で妙なものを見つけた。目玉おやじの棒付きキャンディ、ブルーベリー味。
「有加ちゃん!これなに?」
「ああ、それ意外においしんだよ。食べてみて?ちょっと途中気持ち悪いけど。見た目が」
「目玉の親父?」
 有加はニコニコして「そうだよー」と言う。
「ちっちゃいころから好きなんだよねー、鬼太郎。なんか懐かしくてかわいくて買っちゃった」
 竹串に刺さった目玉の飴を有加は麻衣に手渡して、自分も一つほおばった。
「かわいい...わ。かわいいような、きもちわるいような。キモチワルカワイイ」
 そう言って麻衣も目玉を口に入れた。ほわん、と甘い匂い。懐かしいような、優しいような。
「うん、私も好きだったよ、鬼太郎。テレビ欠かさず見てた。妖怪の学校行きたかった」「行きたかった行きたかった。試験ないの、いいなあって」
「そう!むしろ夜中迎えに来てってかんじ」
 目玉の飴をなめながら、二人は声をたてて笑う。有加は、そういえばと甘い息で言った。「調布の深大寺ってところに鬼太郎茶屋っていうのがあるらしいんだけど、麻衣知ってる?」
 一瞬息が止まったかもしれない。麻衣は自分の身体がきゅっと固まるのを感じた。ゆっくりまばたきをしてから問い直す。
「どこだって?」
「調布。深大寺」
 聞き覚えがあった。随分前に翼が話してくれたはずだ。お祭りの話だったっけ?

  ねえ、翼の家の近くに鬼太郎茶屋があるってホント?
  ああ、深大寺のところでしょ?
  行ってみたい。
  じゃあ今度行ってみようか。深大寺は近いしよく行くよ。東京っぽくなくていい味だしてる感じが好きなんだ。麻衣にも見せたい。
  楽しみにしてる!

 雨が降っていた。
 麻衣は翼が運転する車の助手席で、左手に広がる森を見ていた。
「あのさ、次の信号左に曲がったら、深大寺の前なんだけど、俺が地元で一番好きな道なんだ」
 車はゆっくり左折した。
「うわ、すごい。木のトンネルだぁ」
 翼が車の速度を落す。麻衣は身を乗り出した。よく見ると両側の木は桜だとわかる。
「春とか...すごい綺麗なんだろうな」
「うん、みんなここで20キロくらいに速度落としてゆっくり運転するから渋滞しちゃうんだよね」
そう言って笑う翼の隣で麻衣は「今私、好きな人の好きな場所に一緒にいるんだなぁ」と思い、なんだか息が詰まるくらい、いとおしい気持ちでいっぱいになった。
車を蕎麦屋さんの駐車場に止めさせてもらい、翼は蕎麦屋さんに声をかけに行った。麻衣は傘をさし、翼が来るのを待った。透明なビニール傘越しに木々の枝葉を見上げると、大粒の雫がぽたんぽたんと傘をたたく。
「お待たせ」
「...すごいね。トトロの森みたいだね。このバス停でずっと待ってたら、猫バスが本当に来そう」
「んん、言われてみれば。今まで気にしたことなかったけど、そうかも」
 少しサビのついた停留所看板は、バス停ではなくタクシー乗り場と書いてあった。
「あそこの蕎麦屋のおかみさんが言ってたけど、今日は月曜日で植物園が休みだからほとんどの店もお休みだって。鬼太郎茶屋も休みかも」
 石畳の参道に差しかかったころ、翼が言った。
「ホントだ。閉まってるわ」
 すぐ左側に一目でそれとわかる鬼太郎茶屋があった。
「麻衣、上、上!」
 見上げた木の上に「鬼太郎の家がある!」と麻衣がはしゃぐ。それを見た翼も「この車、ぬりかべだし」と笑う。
「見て、庭にもいっぱい。ぬらりひょんまでいる!ああ今度は絶対、絶対月曜以外の日に来る!」
 ひっそりした参道に二人の笑い声が跳ねている。
 参道を進む間、翼は麻衣に話し続けていた。
「店が開いてるとね、お祭りみたいなかんじなんだ」とか「この裏の植物園、小さいころおじいちゃんとよく行ったなぁ、自転車で」とか「初詣は毎年ここって決まってるんだ」とか。そして山門の前で、ゆっくり石段を上ってくる麻衣を振り返って言った。
「蛇の目傘あったらなぁ。ビニ傘じゃちょっとなぁ...」
「浴衣に蛇の目が似合う風情?」
 麻衣は少し傘を持ち上げて笑った。
 山門の草葺屋根は、空からまっすぐ落ちてくる雨を吸い込んで、またまっすぐに雨垂れを落としている。麻衣は先に歩く翼の背中に話かける。「でもビニ傘は味気ないけど、透明だから景色がちゃんと見えるよ」普段は見ることができない翼の背中も。
境内は凛とした静けさに包まれて、その中にあるのは雨の音と二人の足音だけだった。翼の穏やかな顔の表情や声色は、深大寺の空気に溶け込んでしまっているようだと麻衣は思う。翼はきっと、この社がいつできたとか、この石はいつからここにあるとか、いちいち考えないのだろう。翼にとってそれはこの場所に当たり前にあるものとして、身体の一部に含まれているように馴染んでいるのだろう。
そう思うと、今深大寺に来ていることは麻衣にとって翼をもっと近くに感じることと同じだ。
「ここって恋愛成就のお寺なんだって」
「そうなんだ」
「最近知ったんだけどね。小さいころから来てるのに」
そう言って翼は笑う。
「...なんか、小さいころから馴染みのある景色の中に麻衣がいるって、変な感じ」
翼と、見上げた麻衣の視線が絡む。
「だけど、すごくいい」
翼があまりにも嬉しそうな顔をするので、麻衣は翼の手をぎゅうっと握る。自分も翼の中の一部になってしまいたいというように。
境内を背に、赤い橋と石橋が二つの社の浮島を結ぶ池に出る。紫陽花が池の端を飾っていた。静かに、大きく。池に手を伸ばしている木々たちも、しっとりと雨の雫に濡れていた。翼が呟く。
「雨もいいもんだね。なんだか綺麗だ」
「雨も好きになった?」
「うん」
今この景色を二人で並んで見ていること、今日翼と一緒にこの雨の日を好きだと思うこと、それが嬉しくて麻衣は翼に寄り添った。メールのときのように実体があやふやになったりしない。
あなたが隣にいて話す。あなたの声が聞こえる。手をつなぐ。あなたが温かい人だとわかる。ぎゅっと力をこめる。あなたが握り返してくれる。私たち、ちゃんと繋がってる。お互いの手で。離れていても大丈夫。きっと私、この手の感触を覚えている。思い出せる。麻衣は祈るような気持ちで目を閉じた。翼の手のぬくもりを、力強さを確かめながら。




<著者紹介>
佐藤 里奈(愛知県名古屋市/23歳/女性/アルバイト)

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