<第1回応募作品>『おんぶ』著者:野末ひな子

 薫には、まさかの失恋だった。和樹が友達の奈穂と自分と二股をかけていたなどとは思いもよらなかった。
 均整のとれたプロポーションとキュートな小顔を持つ薫にいい寄る男は何人もいた。和樹に絞ったのは、薫好みの繊細な容姿が大きな魅力だったが、それ以上に二十五歳だった薫が結婚を真剣に考える年齢だと自覚したからであった。
 それなのに、当時あれほど結婚しようと迫っていた和樹は、二年経っても結婚を具体化する気配がなく、逆に一週間前に「実は奈穂と付き合っているんだ。ごめん」と今日の深大寺行きを断ってきたのだ。
 傷心からか体がだるいし熱っぽい。何もしたくないけど、何かをせずにいられない。のろのろと立ち上がると、予定通りホームページに載せる写真を撮りに深大寺に向かった。 神代植物園の門を入ると広大な自然が目の前に広がっている。薫は花木の写真を撮りながらハナミズキ園に来た。木を見上げると葉の隙間に赤い実がなっている。薫はデジカメを構えた。
 その時、背後でシャッターの音がした。振り返ると、三十過ぎの赤のアロハに茶のジャケット、ジーンズ姿のがっちりとした体躯の男が、一眼レフのカメラを覗いている。撮り終えた男は、薫の視線に気が付いたらしく照れたような笑みを浮かべた。
 ださいのは服装のセンスだけでない。顔つきもギョロ目に大きな口、色黒の見るからに暑苦しい顔をしている。薫は思わず目を逸らした。
 男を無視して歩き始めると、男は親しげに話しながらついてくる。
「あの木、ハナミズキっていうんですよね」
男の馴れ馴れしさに警戒しながら、
「そうです。ホームページにハナミズキの紅葉を載せようと思ったのだけど、ちょっと早かったみたい」と素っ気なく答えた。
「えっ、ホームページ持っているの? 見たいなあ。ね、アドレス教えてくれない?」
薫は口が滑ったと後悔した。それが表情に現れたのか、男は慌てて付け加えた。
「あ、僕、怪しい者じゃないです」
 男はポケットをまさぐって探しあてた名刺を薫に差し出した。名前は木原ひろし、A広告代理店のコピーライターとある。薫が仕方なくパソコンで作った名刺を出すと、木原と名乗る男は「薫さんですか。よろしく」と押し戴くようにしてポケットにしまい込んだ。 植物園の出入り口にあたる深大寺門を出ると石畳の坂道がある。坂の途中にある門から境内に入ると、木原もついてきた。和樹のようなハンサムな男、とまでの欲は言わないが、人一倍面食いの薫は木原と肩を並べて歩くのが厭だった。だが、木原はまるで薫と旧知のような親しさで寄り添ってくる。
 深大寺の御堂をカメラにおさめた木原は、「縁結びの神様らしいですよ」と言って賽銭を投げ入れると手を合わせた。
「へえーそうなんだ。じゃ、私も祈ろっと」薫は慌てて硬貨を賽銭箱に入れると、和樹が戻って来ますように、と長〜い時間を掛けて祈った。

 あれから一週間が過ぎた。木原は頻繁にメールを送ってくるようになった。木原のメールには人を惹きつける魅力がある。しかし、読み終えると木原のことはどこかに追いやられ、いつの間にか和樹のことを考えている。
 最近、薫は体に異常を感じていた。疲れやすく、息切れや動悸もする。顔面蒼白の娘を心配した母は強引に病院に連れて行った。
 血液検査と悲鳴をあげそうな痛い骨髄穿刺の検査で「再生不良性貧血」だとわかった。 医師は厄介な病気だが、軽症なので、まず蛋白同化ステロイド薬の投与で様子をみましょう、と言った。
 ネットで病名を検索した薫は、病気が難病だと知った。進む道もない、掴む所もない宇宙にいきなり放り出されたような気がする。
 終日、ベッドに横たわっていると、健康な時は意識さえしなかった他愛のない事が、あれもこれもまだやっていないと大きくクローズアップされてくる。
 こんな時、和樹がいてくれたらどんなに心強いだろう。携帯電話を手にとって保存してある涼しげな顔の和樹の写真を眺めた。奈穂が独占しているのだと思うと悔しくてたまらない。
 涙が溢れてきて目をしばたたいた時、携帯のバイブ音が鳴った。見ると薫の病気を知らない木原から能天気なメールがきている。
 薫はふと木原に病状を知らせたい衝動に駆られた。メールを送信すると、一分も経たないうちに返事が来た。気が動転しているのか珍しく誤字脱字のひどい文だ。木原は無神経なメールを謝り、病気を知らせてくれなかったことを詰っている。そんな木原のメールを和樹からのメールに置き換えてみた。すると幸せな気分になってきた。薫は木原に返事を書いた。
「病気って、未来を覆い隠して絶望的な心境に追い込むよね。これって結構残酷。いっそ狂って何もがわからなくなるといいな。そうしたら楽になれるかも。副作用もひどいし」 木原から直ぐに返事が来た。
「あのさ、提案。辛い時、独りじゃないと声に出して言ってごらんよ。元気が出ると思う。それから副作用があると書いてあったけど、どんな症状なの? 僕に何かできる?」
 そんなこと訊ねられても、副作用で髭が濃くなり声も太い男性化が進んでいるとは言えるはずがない。私はプライドが高い女なのだ。
 返事を書きあぐねていると携帯が鳴った。
 驚いたことに電話は和樹からで、菜穂と別れたからデートしないかとの誘いだった。病気だと告げると、見舞いに行くよと言う。優しい言葉にホロリとなって副作用で顔がひどいことを打ち明けてしまった。すると和樹は、じゃ無理だな。元気になったら会おうぜ、とそそくさと電話を切った。切れた携帯から流れるプープー音を聞きながら、和樹への熱い想いが急速に冷めていくのを感じていた。
 それからの薫は不安と空虚さを紛らわすかのように木原と電話で話すようになった。気が付くと薫ひとりが喋っている。木原は話をじっくりと聞き、適切な相槌を打ってくる。 ある日、木原が、「気分のいい日があったら、深大寺に行ってみない?」と言った。外の空気を吸わせてやろうとする木原の好意だったに違いない。しかし、気が付くと薫はヒステリックに叫んでいた。
「木原さんなんか大嫌い。副作用のこんなひどい顔で外を歩けると思うの?こんな顔を見られるなら死んだ方がましだわ」
 木原は答えず、しばし沈黙の時が流れた。それから諭すように静かな口調で言った。
「顔が醜くなったから死にたいなんて贅沢だなあ。僕なんか生まれつきこの顔なんだからね。ひどいって言っても僕よりずっとましだと思うよ。それに薬をやめれば元に戻るしさ。僕がいう資格はないけれど、顔なんか問題ないんじゃないのかなあ」
 薫ははっとした。僕がいう資格......木原の言葉は、実を知らないでスープの上澄みだけの世界で生きてきた薫の傲慢さを突いていた。

 桜にはまだ早い三月の中旬、木原が車で迎えに来た。都会の喧騒から離れた深大寺界隈は昔懐かしい雰囲気を漂わせている。
「あれを見てごらんよ」
 木原が指差す方を見ると、蕎麦屋の前に緋毛氈を敷いた縁台がある。ほかの店の前には休憩用の椅子が置いてある。
「深大寺の蕎麦屋っていいよな。さりげない温かさ。ね、そう思わない? 蕎麦がうまいのは蕎麦そのものと、うまいと感じさせる心配りじゃないかな。お参りを済ませたら蕎麦を食って土産物店を覗こうね」
 薫は頷いて周囲を見た。すると店も景色も、そして漂う風にさえほのぼのとしたものを感じる。
 寺ヘは石段を避けて坂道から行くことにした。坂の勾配は緩やかだが、病身の薫にはこたえる。すばやく察知した木原は、「おんぶしようか」と言った。薫は「いやよ。恥ずかしいわ」と首を強く横に振った。「恥ずかしがることなんかないよ」そういうと薫の前にしゃがんだ。「早く」と急かされて、厚い背中に体を預けた。木原の背中に顔を凭せかけると、日光をいっぱいに吸収したような陽の匂いがする。安心して身をゆだねることができる大きな背中である。
「重いでしょ」「軽すぎるよ」彼の声は涙声に聞こえる。
薫は、親鳥の愛情を一身に受けている雛鳥のように甘やいだ気分になった。
「私、死にたくない。木原さんといつまでも一緒にいたい」と木原の後ろ耳に囁いた。
「僕は薫さんが好きだよ。君のぬくもりを背に感じている僕は、世界一幸せ者だね。僕は薫さんのために生きる。だから僕のために生きて欲しい。初めてハナミズキの下で君を見た時、顔が真っ青なので驚いた。心配で後を付いて行ったんだ。君は突っ張っていたけど、それが僕にはすっごく可愛く見えた。白状するとね、あの時、深大寺で薫さんと交際できるように祈ったんだ」
 語尾は聴き取れないくらいの小声だった。
「そうだったの。真っ暗な宇宙を彷徨っていたみたいだったけど、木原さんにおんぶされて、やっと安らげる場所にたどり着けたって感じ。木原さんの背中って大きくて好き」
 木原は背中の薫を揺すった。
「僕におぶさっていればいい。薫さんの苦しみや悲しみを全部背負っていくからね」
 薫は木原の背中に顔を埋めて泣きじゃくった。
 二人が深大寺の前に立ち手を合わせた時、薫は木原と思いが重なるのを感じていた。




<著者紹介>
野末 ひな子(東京都杉並区/女性/主婦)

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